翼の怪物
ぽかぽか陽気の昼下がりの事だった。私が机に向かって眠気と戦っていると、事務所前の広場から女性の叫び声が聞こえた。
「何だろう?」
「見てきます」
レイデンは立ち上がるなり、杖をつかんでドアから飛び出した。
「え、ちょっと待ってよ」
彼の後を追って外に出ると、広場のほかの住人達も家から出てくるところだった。広場の中央に二人の人影が見える。パン屋のラウラおばさんとシホちゃんだ。おばさんは私の姿を認めて走り寄ってきた。
「ハルカ、大変だよ。シホちゃんがね、怪物が出たっていうんだ」
「ワンコが化け物に襲われてるの。助けてください」
シホちゃんは泣きながら私たちに訴えた。今日は面談が入っていたはずだ。事務所に来る途中で襲われたということか。
「どこで?」
「森の入り口から少し入ったとこです」
「行きましょう」
レイデンが先に立って駆け出した。私とシホちゃんも後を追う。村の人たちも少し距離を開けてついてきた。
「何が襲ってきたの? もしかして大きな鳥だった?」
「そう、鳥のお化けみたいなの。ワンコよりもずっと大きくて……」
まずい、例の化け物だ。牛ですらバラバラにしてしまう化け物が相手では、狼のゼッダでもただでは済まない。
「私に飛びかかって来たの。でもワンコが助けてくれた。逃げろって。ねえ、ワンコがしゃべったの。ただの犬じゃなかったのね」
森に入り、小道の角を曲がるとレイデンの姿が見えた。
その向こう、彼に向かって威嚇の声を上げているのは巨大な鳥だ。広げた翼は四、五メートルはある。背の高いレイデンがちっぽけに見えた。
気味の悪いことに化け鳥の首から上には人間の女性の頭がくっついていた。胴体は羽毛に覆われているものの、女性的な曲線を描いている。けれども表情には人間らしさは微塵も感じられない。
「ハーピー!?」
「ええ、そのようです」
エレスメイアにはいないはずなのに。『壁』ができてからは目撃されてないと聞いていた。
「レイデン、大丈夫?」
「だめです。呪文が効かないんです」
呪文? あれ、この人、攻撃魔法なんて使えたっけ?
「ゼッダは?」
「そこの木の陰です」
「ゼッダ? ゼッダさんがどうしたの?」
そう尋ねたシホちゃんの声をかき消すように、ハーピーが甲高く叫んだ。私たちを恐れるに足りない敵だと判断したようだ。翼を広げて威嚇しながらこちらへ向かってくる。
「ハルカ、杖は?」
「置いてきちゃった」
「どうしてですか?」
「つい癖で。ごめん」
ハーピーが姿勢を低くして身構えた。飛び掛かるつもりだ。
「あなたのを貸して」
「え、私の?」
問答無用でレイデンの手から杖を奪い取り、心の中で呪文を唱えた。
ぼしゅ、っと間の抜けた音がして、ハーピーは消えた。残ったのは地面に落ちた数枚の羽根だけだった。
「あれれ?」
やりすぎちゃったかな? ドレイクならこのぐらい平気なのに。
「ハルカさん、凄い」
シホちゃんが感嘆の声を上げた。
「こう見えても害獣退治のプロだからね」
彼女は私が『ドラゴンスレイヤー』だとは知らないので、ごまかしておかないと。遠巻きに見物していた村の人たちも喝采を上げた。
私たちはゼッダに駆け寄った。彼の真っ黒い毛皮は肩から背中の中央までぱっくりと裂けている。
「これはひどい」
レイデンの声に、ゼッダは目を開けた。
「シホは逃げたか? ああ、無事だったのか。よかった」
シホはゼッダの隣にしゃがみこんだ。
「ワンコはゼッダさんなの?」
「そうだ。嘘ついてすまなかったな」
「ううん、助けてくれてありがとう」
「ちょいと、まずは止血だよ」
ラウラおばさんが私たちを押しのけて、ゼッダの傷を改めた。指輪のはめられた右手を傷口にかざすと、勢いよく溢れ出していた鮮血がみるみるうちに固まりだした。
「おばさん、凄い!」
「なに、昔は王都で看護師をやってたのさ。あたしにできるのはここまでだけどね」
やがて飛行ぞりに乗った救急隊員たちが到着した。すぐにゼッダを王都の病院まで搬送するという。
「もう大丈夫だよ。病院にはすごい治療師がいるから」
シホちゃんは青い顔で頷いた。震える手でゼッダの前足を握り続けている。
「病院まで付き添ってもいいですか?」
「お願いできる? 何かあったら連絡してね」
私たちにできることは何もない。そりを見送ってから事務所に向かって歩き出した。
「まったく、人の杖を使うなんて」
珍しくレイデンが咎めるような口調で言った。
「え? ダメだった?」
「ほかの人の杖を使うのは重大なマナー違反なんですよ。同じ歯ブラシを使うどころじゃありません。知らなかったんですか?」
「ご、ごめんね……」
そんなの、聞いたこともなかったよ。
「さっきの状況では仕方ありませんでしたが、自分の杖を持って歩く習慣をつけてください。いつもケロにも言われているでしょう?」
「杖、どうかなった? 壊れたりするの?」
以前、学校支給の杖を割っちゃったことがあったっけ。レイデンが杖の手入れを怠らないのは知っている。持ち主並みに繊細そうな杖を見て私は不安になった。
彼は杖の先の白い石に顔を近づけた。
「強い魔法でびっくりしたようですね。ひびは入っていないようです」
「よかった。ほんとにごめんね」
「……ハルカを感じます」
「え?」
「と、とにかく、今後は気を付けてくださいね。トラブルの元になりますから」
レイデンはさっさと先に立って歩きだした。こんなに強い口調で叱られたのは初めてだ。彼でも腹を立てることがあるんだな。でも、彼の大切な杖を壊さずに済んでほんとによかった。
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事務所に戻ると、事件の顛末を記した手紙を『魔法院』に送った。この騒ぎでずいぶん時間を取られてしまったけれど、シホちゃんの面談がなくなったので特に問題はない。まずはお茶でも飲もうかとキッチンでお湯を沸かしていると、後ろからケロが声をかけた。
「ねえ、ハルカ。レイデンの杖を使ったの?」
「あれ、どうしてわかるの?」
「わかるよ。前と感じが違うから。上書きしちゃったんだね」
「上書き?」
「杖は使えば使うほど持ち主になじむんだ。だから僕がいつも杖を持って歩けって言ってるだろ? 攻撃魔法なんて使ったもんだから、ハルカの魔法で上書きされちゃったんだよ」
分かったような分からないような。
「要するに、すごく悪いことしちゃったんだね」
「使い込むまで違和感があるらしいね。気になるからって杖を新調しちゃう人もいるんだよ。でも、レイデンは喜んでるみたいだし、ハルカは気にしなくていいんじゃないかな」
「どういう意味?」
「ほら、見てごらんよ」
机に向かっているレイデンに目をやると、杖の先にぴったり頬をくっつけて、うっとりした顔で書類に目を通している。やだなあ。変態親父みたい。
「なにしてるの?」
「え、ああ、今日中に終わらせておこうと思って……」
そこまで言って、杖に頬ずりしていたのに気づいて赤くなった。無意識のうちの行動だったらしい。
「それ、私にやってくれてもいいけど」
「ま、まだ仕事中ですし……」
彼はますます赤くなって下を向いた。
「杖の事、ごめんね」
「何度も謝らなくてもいいんですよ。気にしてませんから」
「でも、人の杖を使うのって凄く悪い事みたいだし、さっきはレイデンだって怒ってたでしょ?」
「怒ってなんかいませんよ。ハルカに厄介事に巻き込まれて欲しくなかっただけです。他人の『魔具』使ったことが原因で、過去に戦乱が起きたぐらいですから。……あの、私の言い方、きつかったですか?」
「いつもと違ったからびっくりしたかな。厳しいレイデンも格好よかったけどね」
「そ、そうですか? ありがとうございます」
彼はまた赤くなって下を向いてしまった。可愛すぎるな。
「へえ、彼が噂のイケメン彼氏か」
背後からの声に慌てて振り向いたら、ルーディが窓から中を覗いてニヤニヤしていた。
「どうしたの?」
「『魔法院』から連絡を貰ったんだよ。ハーピーが出たんだろ?」
「え~? さっき手紙を出したところだよ。早過ぎない?」
「救急隊を呼んだら『魔法院』にも連絡が入る仕組みなんだよ。僕は南の森で調査中だったから、国軍のそりで送ってもらったんだ」
「軍の人は?」
「ハルカが倒しちゃったんだから、もう出番はないだろ? 専門家の僕だけで十分さ」
私は事務所をレイデンに任せて、ルーディを現場に案内した。
「ハーピーなんて何十年も目撃されてないんだけどな。どこに隠れてたんだ?」
現場は村の人たちが呪文を張り巡らせておいてくれたので、荒らされてはいない。軸のついた大きな羽根が数枚、地面に落ちている。
「ごめん。ほとんど残ってないの。慌てて呪文をぶつけてしまったから」
「これで十分だよ。こりゃあ、本物のハーピーの羽根だ。ほら、ここに赤い十字線がはいってるだろ? 今までの現場には羽毛しかなかったから特定できなかったんだよ」
顔に興奮を浮かべ、布を使って羽根をつまみあげた。負傷者も出たし、喜んでちゃいけないと思うのだけど、学者というのはこういうものなんだろう。ドレイクに近づいた時のエルビィみたいだ。
「相手がハルカでよかったよ。ハーピーに効く攻撃魔法は限られてるって言うからね」
『スレイヤー』の能力なんて害獣退治にしか使えないと思ってたけど、今回は役に立てたらしい。まあ、ハーピーだって害獣の一種なんだけどね。
羽根のほかにも体の破片が飛び散っていたようで、ルーディは四つん這いになって探し始めた。この調子じゃすぐには終わりそうにないな。
「仕事中だから事務所に戻るね。後で寄っていかない?」
「いや、今日はこのまま『院』に戻るよ。ありがとう」
私はルーディを残して現場を後にした。




