意見の不一致
私は事務所のソファの背にぐったりともたれかかっていた。村人たちに勧められるままに飲み食いしてしまったので、お腹が重い。
[ねえ、レイデン」
「はい」
終業時間は過ぎたのに、彼は事務所の片づけに余念がない。
「式の事、本気なんだよね?」
「ええ、本気ですよ。両親にもそろそろハルカを紹介しようと思ってたところなんです」
レイデンの口から両親という言葉が出たのはこれが初めてだった。出会った当初に何度か尋ねてみたのだが、いつも話を逸らされてしまったので、分かっているのは父親にも『目玉』の能力があるということぐらいだった。
彼のことだし、きっと話すのが辛い理由でもあるのだろうと、触れずにいたのだ。
「ご両親はどんな人なの?」
「父は厳しいですが、曲がったことが許せない人です。とても尊敬しています」
あれ、ちゃんと答えてくれたな。
「母はとても美しい人なんですよ。自分の親を褒めるのもおかしいですけどね」
「それじゃレイデンはお母さんに似たんだね」
ご両親のことは嫌いではないらしい。それなのに、どうして今まで話してくれなかったんだろう?
「私の事、気にいってもらえるかな? 外界人でも大丈夫?」
「私の両親はそんなことは気にしませんよ」
そう言いながら、彼は私の隣に腰を下ろした。
「兄弟はいないの?」
「年の離れた妹がいます。きっとハルカの事を気に入ります」
「お兄さんに会えなくて寂しがらない? 最後に家に帰ってから半年以上経つでしょ?」
「家に戻るのは年に一度と決めてるんです。それに妹は私にはあまり懐いてくれなくて …… 」
「どうして?」
「私の『目玉』が怖いみたいなんです」
「あ、ああ、そうなんだ」
そりゃ、子供があれ見ちゃったらトラウマになるよね。
「式はいつあげようか?」
レイデンが落ち込んだので、私は話題を変えた。
「次期の留学生が入ってくる前にあげませんか?」
「それだと三か月しかないよ?」
「では準備を急がなくてはなりませんね」
今だって夫婦のように暮らしているわけだし、たいして状況が変わるわけでもないんだけど、彼が正式に自分の夫になると考えると、動悸が止まらなくなった。
レイデンが私の肩にぎゅっと腕を回す。
「あれ、ハルカ、ドキドキしてますね」
「うん」
「私もです」
「それじゃあ、そんなところで抱き合ってないで、二階に行ったら?」
ケロがのっそり部屋に入ってきた。ひげにおかしな寝癖がついている。パーティでたらふく食べて、ひと眠りしてきたらしい。
「まだ明る過ぎます」
レイデンが赤い顔で言い訳がましく言った。そのつもりはあったらしい。肌と肌を触れ合わせると彼の不気味な『目玉』が見えてしまうので、愛し合うのはいつも暗闇の中だ。
「あれ、『ミョニルンの目ん玉』を隠せば済む話じゃなかったの?」
「なんでそれを知ってるの?」
「僕は耳がいいからね」
嫌な猫だな。
「目隠しだとレイデンが嫌がるの」
試しに『ミョニルンの目』に布を巻きつけて隠してみたことがあったのだけど、残りのレイデンの顔はぐにゃりと歪んだままだった。私は気にしないのに、自分の醜い顔を見られるのが彼には我慢できないらしい。外界から戻ってからは、ますます嫌がるようになった。
「何にも見えないんじゃ面白くないだろ?」
「大丈夫ですよ。暗闇でも私の『目』にはも何もかも見えますから」
なんだって?
「ちょ、ちょっと、レイデン、それ、本当?」
「はい」
私は彼の腕を掴んだ。
「ハルカ、どうしたんですか?」
「二階に行こう」
「だから、まだ明るいからダメですよ」
「『目玉』さえ隠してもらえれば平気だから。あなたにだけ見えてたなんて不公平でしょう?」
「え? え? でもハルカにあんな醜い顔は見せられません」
「私だけ見えないのは嫌なの」
「私だって変な顔を見られるのは嫌です」
「まったく気にならないって言ってるの。あなただって、散々、私の変な顔見てたくせに」
「なんのことです?」
「見えてないと思って緊張感のない顔してたでしょ?」
「それのどこが問題なんですか?」
行為の最中に隙ありまくりの顔を見せてしまった女心の悔しさは、鈍い彼には理解してもらえそうにない。説明はすっぱりと諦めた。
「とにかく、これからは『目玉』だけ隠してもらえればいいから」
「嫌です」
頑なに拒まれて、頭に来た。
「嫌じゃない! 顔見てセックスできない男と夫婦になれるか!」
ケロが毛を逆立てて部屋から飛び出して行った。レイデンは緑の目を大きく見開いて私を見つめている。
私は立ち上がって事務所の外に出た。言い過ぎちゃったかな。でもこのくらいはっきり言わないと、彼には伝わりそうにない。
鮮やかな夕焼け空を、鳥の群れが渡っていく。私は大きくため息をついた。彼の劣等感を甘く見過ぎていた。私なんかの手に負えるものではないのかもしれない。
「ハルカ」
振り返ると、ドアの隙間からレイデンが覗いている。やだなあ。そんなに怖がらなくてもいいのに。
「取って食ったりしないから出ておいでよ」
彼はそろそろとドアを開けて出てくると、私の隣に立った。
「空を見てたんですか?」
「うん。明日もお天気だね」
「いえ、午後から雨ですね」
「え?」
「今ちらりと見えたんです」
「それって、凄い力だよね」
「はい。けれども私には苦痛しか与えてはくれません」
「そんなことないでしょ? 明日の朝、無駄に洗濯せずに済んで助かったよ」
レイデンは弱々しく笑って下を向いた。
「……あの、先程はすみませんでした」
「本気で謝ってるの?」
「はい。でも、ハルカにはこの姿の私に抱かれていると思って欲しかったんです。醜い姿を見ていると、いつかは愛想をつかされるんじゃないかと怖くて……」
「レイデンの馬鹿。気にしないって言ってるのに、私がそんなに信用できないの?」
「ええ、私はほんとに馬鹿ですね。これほどまでにハルカが想ってくれているのに、どうしても不安になってしまうんです」
「格好いいレイデンは外界に行った時の楽しみに取っておくからいいよ。私が好きなのはあなたの中身なの。『目玉』さえ隠れてたら、レイデンがどんなヘンテコな化け物でも構わないんだからね」
それにレイデンの彫像のような肉体美が鑑賞できないのは物凄くもったいない。さっきのセリフと矛盾するのでこれは彼には言わないでおくけどね。
「ねえ、レイデン。将来、外界で暮らそうか?」
「え?」
「そういう選択肢もあるよね。留学事務所では働けなくなっちゃうけど、『門』の近くならいいんじゃないかな」
『ドラゴンスレイヤー』なんて死ぬまで出番がなさそうな仕事だし、週一回『魔法院』に顔さえ出していれば、文句を言われる筋合いはないと思うんだけど。
「許可が下りるでしょうか?」
「タニファの依頼なんて無視して日本に帰るってゴネれば、許可しないわけにはいかないでしょ?」
「強引ですね」
「あなたのためなら何だってする覚悟だからね」
結局のところ、エレスメイアにも『ICCEE』にも、私を拘束する権利はないのだ。レイデンだって『魔法院』公認の魔法使いではないし、エレスメイアから出たって困ることはないはず。私がもらっちゃっても問題ないよね。




