母と会う
選考会の翌朝、母がホテルまで訪ねてきた。レイデンを連れて実家に顔を出す予定にしていたのだけど、未だに彼は『魔素』のない環境に慣れる様子がない。ケロも同伴となると、警備の車両やヘリコプターまでくっついてきてしまう。母がこちらに来たほうが早いという話になったのだ。
部屋のドアがノックされ、近くにいた矢島さんがドアを開けた。
「どうぞお入りください。初めまして。私、矢島と申します」
「え……?」
母は呆気にとられた顔で矢島さんを見つめた。
「お母さん、矢島さんは、『ICCEE』の人なの。私が付き合ってる人じゃないよ」
「今回はボディガードも兼ねてご一緒させていただいております」
「あ、ああ、そうなのね。娘がお世話になってます」
母はぺこぺこと頭を下げながら、部屋に入ってきた。
「あんなにびっくりしなくていいじゃない」
「部屋を間違えたかと思ったのよ。あら、そちらがレイデンさんね」
自分の名前が呼ばれるのを聞いて、レイデンは素早く前に進み出た。ひどく緊張しているのか、動きがぎくしゃくしている。
「コンニチハ。ハジメマシテ」
母に向かってぎこちなく右手を差し出し、片言の日本語で挨拶した。
「あら、日本語がしゃべれるの?」
「ううん。挨拶だけ教えたの」
「あちらの人とは『魔素』がないところでは話せないんだったね」
「『魔素』があっても魔力の持ち主じゃなければ話せないんだ」
「それじゃあ、私とこの人はこれからもおしゃべりできないの?」
そう言った母の声は少し寂しげだ。義理の親とのコミュニケーション問題は国際結婚には付きものなんだけど、片言でも少しは意思の疎通が図れちゃったりするものだ。けれどもエレスメイア語となるとそれさえも難しい。発音も文法も難易度が高く、エレスメイア語を操れる外界人は数えるほどしかいない。
「私が通訳しますよ。どうぞおかけください」
矢島さんは母をラウンジのソファに案内すると、レイデンをケロのケージの中に引っ張り込んだ。大の男が二人で猫の檻の中に入ったのを見て母が驚いた顔をしたので、私は理由を説明した。
レイデンが真面目腐った表情で話し出すと、矢島さんも同時に通訳を始めた。
「……お母様に……ようやくお会いすることができて……大変光栄に……存じます。ハルカさんは……仕事においても私生活においても……私自身の……心臓と同様、なくてはならない……存在です」
「矢島さん、ふざけるのはやめてくださいよ」
「何がだ? 聞いたとおりに話してるだけだが?」
「だ、だって……レイデンは……」 そんな話し方はしないと言いかけて思い出した。翻訳魔法は人によって訳され方が変わるんだ。
「ずいぶんとハルカを気に入ってくださったのね」
「ええ、ハルカさんは……昼も夜も……私を大海のような慈愛で……包み込んで……くださいますから」
「矢島さん、もう結構です。私が自分で通訳します」
私はケロのケージから矢島さんを引っ張り出して、代わりに中に入った。
午後には私たちも帰途に就くことになっていたので、あまり長くは話せなかった。私は母をホテルの前のタクシー乗り場まで送った。
「レイデンさん、いい人ね」
「うん。凄くよくしてくれるよ」
「まるでお人形さんみたいだね。エレスメイアの人はみんなあんなにきれいなの?」
「格好いい人は多いけどね。彼は特別かな」
「特別って? 違う種族の人なの?」
「本人は普通の人間だって言ってたけど、どうして美形なのかなんて気にしたこともなかったな」
透き通るような美しさは、ニッキと共通するものがある。彼にも『東の森の民』の血が入ってるのかな?
「どうしてハルカを好きになったんだろうね? どこに行ってもモテるだろうに」
それは彼が『ミョニルンの目』の持ち主だったせいなのだけど、母に話すつもりはなかった。魔力のない人には、どうせ彼の『目玉』は見えないんだし。
「いずれ一緒になるつもりなら、少しでも疑問に思うことはきちんと調べておいたほうがいいね」
放任主義の母からアドバイスなんて珍しいな。父が出て行ったことと関係があるんだろうか?
「それから、あの矢島さんって人なんだけど、ドイツに住んでるの?」
「うん、『ICCEE』の本部で働いてるから。どうして?」
「どこかで会ったことがある気がしたのよね」
じろじろ見てたのはそのせいか。
「お母さんのタイプでしょ?」
「なかなかのイケメンだけど、ちょっと若すぎるかな」
母は笑ってタクシーに乗り込んだ。
「次に帰国するときには家に戻ってきなさいよ」
「うん、そうするよ」
一年半ぶりの再会なのに、ほんの少ししか話せなかったな。申し訳ない気持ちで母の乗った車を見送った。
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その日の午後、私たちは再び専用機でドイツへと戻った。 留学事務所まで飛行ぞりで送ってくれるという矢島さんのオファーを断り、私たちは『門』に向かった。空を飛ぶのは飛行機だけでたくさんだ。
エレスメイアへの『門』の前で、レイデンは私の腕をぐいと引いて引き止めた。予想していた以上に悲壮な顔をしている。今から死地に向かう兵士のようだ。私を抱き寄せてキスをすると、ポケットから手袋を取り出して両手にはめた。
『門』を抜けると頭上に青い空が広がっていた。澄んだ風が花の香りを運んでくる。『魔素』に包まれるのは気持ちがいい。ケロもケージから飛び出して、草の上でゴロゴロと転がった。
「長旅、お疲れさまでした」
「ハルカこそ」
レイデンは私の方に手を伸ばしかけたけれど、途中で動きを止めて手袋のはまった自分の手に悲しげに目をやった。
「素手ではハルカに触れられなくなってしまいましたね」
「そんなことないでしょ? 私が目を閉じればいいだけの話なんだから」
「それが嫌なんです」
「ねえ、レイデン。私は一緒にいられるだけで幸せなんだよ。あなたが気にしてたら、困るのは私なんだけど」
「そうですね。すみませんでした」
それでも入国管理の小屋へと向かう途中、彼は未練たっぷりに何度も後ろを振り返った。




