国際エレスメイア文化交流委員会 ニュージーランド支部 《三年前》
三年前、緊急信号を受けてヘリコプターでやって来たのは、三人の軍人風の男と、周りの風景にそぐわないカジュアルなジーンズ姿の一組の男女、それと長い金髪の美しい男性だった。
「『遭遇』を報告したのは君だね?」
私が頷くとジーンズの男は笑顔で右手を差し出した。
「『ICCEE』から派遣されているジョナサンだ。連絡をありがとう」
彼はひょろりと背が高く、枯草色の髪には寝癖が残っている。左手に長い木の杖を握っているところを見ると『魔法使い』のようだ。軍服の男たちは彼の後ろで指示を待っている。ここでの責任者は彼らしい。
「こっちがフイア、あそこのはニッキだ」
同じような杖を持った褐色の肌の女性と、案内もしていないのにさっさと斜面を降りて行こうとしている美形を指さした。
私がスマホに保存したタニファの写真を見せると、ジョナサンは素っ頓狂な声を上げた。
「うわ、こりゃ本物じゃないか」
「写真の偽造なんてしませんよ」
「ああ、すまない。君を疑ったわけじゃない。通報を受けても毎回空振りだったからな。驚いたんだよ」
後ろから軍服の男がペットケージを持って現れた。オレンジ色の大きな猫が入っている。
「ケロは連れてこないで。現場が汚染されるから」
フイアに言われて男は重たそうなケージを地面に下ろした。中から不満げな唸り声が聞こえたけど、全員が無視している。なんでこんな場所に猫なんて連れてくるんだろ?
私は彼らを沼に案内し、思い出せる限り正確に何が起こったのかを話した。
先に降りて行ったニッキと言う美形は、かがみこんで沼のほとりを調べている。水の中に指を突っ込んで何かつぶやいた。英語ではないようだ。
「あの人、エレスメイアから来たんでしょ? もしかしてエルフですか?」
ジョナサンは愉快そうに笑った。
「違うよ。エルスメイアでは『東の森の民』って呼ばれてるな。人間とは少し違う種族のようだ。あっちじゃエルフっていうとちっこい厄介者の事だから、うっかり口に出すなよ。すねると面倒だ」
「はい、気を付けます」
そういえば社長からそんな話を聞いたことがある。ファンタジー小説や映画のイメージが先行して、本来のエルフの姿が忘れられてしまったって。そんな例はあげればキリがない。異世界からの情報が規制されていることが、外界の人々の想像力をますます掻き立てるのだ。
軍服の男たちは写真を撮ったり、泥を採取したりしている。フイアがニッキの隣に立って沼を覗き込んだ。ニッキが両手でサインのようなものを作って見せると、フイアが大きく頷いた。この人たち、お互いに言葉が通じないみたいだ。
「ジョナサン、『魔素』が出たよ。初めての当たりだね」
フイアがジョナサンに報告した。
「『門』はどうだ?」
「水中にあったっぽいけど、閉じちゃってるって」
「そうか」
ヘリの一機が尾根から舞い上がり、沼の上空をホバリングし始めた。男が身を乗り出し、銀色に光る機器を沼に向かって下ろそうとしている。ヘリの爆音で何も聞こえない。
ジョナサンは身振りで私たちに引き上げるように告げた。再び山道に戻り、ヘリから少し離れると音はかなりましになった。
「あんなもんじゃ、何も見つからないっていうのにな」
ジョナサンが後ろを振り返ってつぶやいた。その口調はなんとなく冷ややかだ。
「彼らはここに残して帰るか。うちの事務所でもう一度話を聞かせてくれ。トレッキングはここで切り上げて貰うことになるが構わないかな?」
「今日とは別に有給休暇をくれるように、上司に説明してもらえると助かるんですが。できれば寒くなる前に」
仕事の性質上、オフシーズン以外にまとまった休みを取るのは至難の業だ。久しぶりのトレッキングだったのに、ここで終わりだなんて残念過ぎる。
「わかった。掛け合ってみよう。それにしても、タニファに会ったというのに君はずいぶんと落ち着いているね。……いやそうでもないか」
私の顔が青いのに気付いたようだ。私は尾根の上に見えるカーキ色の軍用ヘリを指さした。大型のと小型のが二台並んでいる。
「ヘリコプターがどうも苦手なんです。下が見えちゃうと余計に怖いので、あっちの大きい方に乗せてもらってもいいですか?」
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私が連れてこられたのは、地方大学の一角にある二階建てのビルだった。ドアのわきには小さく『国際エレスメイア文化交流委員会(ICCEE)ニュージーランド支部』と書かれたプレートが張り付けてある。
二重ロックのドアを通り、廊下の奥にある小部屋に通された。部屋の隅にはシンクと冷蔵庫が備え付けてあり、テーブルの上にはクラッカーの箱やマグカップが無造作に置かれている。休憩室なのかな?
ジョナサンとニッキはどこかに消え、フイアはパーカを脱ぎ捨てると「コーヒー飲む?」と尋ねた。普段から鍛えているのか均整の取れた身体つきをしている。大きな茶色い瞳が魅力的な女性だ。
「どうかした?」
「いえ、『魔法使い』を間近で見るの、初めてなんですよ」
フイアは目を丸くして、それからおかしそうにくすくす笑った。なにがおかしいんだろう? 馬鹿にしてるわけでもないようだけど。
大きなマグでコーヒーを飲んでいるところにジョナサンが入ってきた。プリントしたタニファの写真をテーブルの上に置き、腰を下ろすなり質問を始める。
「さて、君は日本から来たと言ったね。永住権は?」
「先月申請したところなんです。今は就労ビザでの滞在です」
「なんの仕事?」
「留学代理店で働いてます」
「ニュージーランドの会社かい?」
「いえ、日本に本社があって、私は日本から来た生徒さんのお世話をするために現地オフィスに派遣されてるんです。ディアノ留学センターっていう、ディアノトラベルサービスの子会社なんですけど……」
「ええ? そこって、エレスメイア留学の選考会やってるとこじゃ……?」
フイアが声を上げた。
「そうですよ。『ICCEE』の正規留学代理店です」
二人は顔を見合わせた。ジョナサンがくくっと笑う。
「こりゃあ面白い。偶然じゃないな」
「よし、ニッキの部屋に行こう」
私は二人に追い立てられるように、別の部屋へと向かった。部屋の奥にはもう一つドアがあり、四畳半ほどのサイズの小部屋に続いていた。
明るい窓際のソファの上でくつろいでいたニッキが顔を上げた。床のうえにはケロと呼ばれていたオレンジの大猫が無防備にお腹を上に向けて転がっている。
部屋に入ると空気が濃くなったように感じられた。頭の中が晴れ渡ったような不思議な感覚に戸惑う。ケロがむっくりと起き上がって私の足に体を擦り付けた。
「この子、人懐っこいんですね」
かがんで撫でようとすると、猫は私の顔に自分の顔をぐいと突きつけた。
「僕のいう事が分かる?」
そう言うと、猫はにやりと笑った。