本社訪問
翌日は『ディアノトラベルサービス』の本社に挨拶に行く予定になっていた。私たちは矢島さんが運転する地味な四駆で本社に向かった。車自体に『魔素』封じの呪文をかけたので、ケロはケージには入らずに助手席に座っている。矢島さんと猫がバディのように会話しているのはシュールな光景だ。
『魔素』があるのでレイデンもべたべたひっついてはこない。肌が露出しているのは手と顔ぐらいなので、接触する危険はあまりないのだけど、今朝は少し休ませてもらおう。
毎年選考会が近づくと本社周辺にはマスコミ関係者が集まってくる。『魔法使い』と『魔法生物』が必ず参加するので面白いネタでも拾えるんじゃないかと思っているのだろう。選考会は二日後に迫っており、今日はいつもより多くの記者が張り込んでいるらしい。
「今日は『魔法獣解放同盟』の連中も来てるそうだ」
「それ、なんですか?」
「留学生選考会に『魔法世界』の生き物を利用するのは人間のエゴだと訴えてる団体だよ」
「ええ? そんなの余計なお世話じゃないか」
異世界滞在を満喫中のケロは目を丸くした。
当然ながら他の地域の選考会にも『魔法世界』の生き物が派遣されている。募集すると希望者は殺到するのだけど、大きすぎると輸送が大変だし、小さすぎると短期間で『魔素』が切れて体調を崩してしまうので、ケロぐらいのサイズの生き物がちょうどいいようだ。
「今期、北アメリカ地区へはグリフィンを連れてったらしいぞ」
矢島さんが言った。
「ええ、格好いいなあ」
「小型の亜種らしいがな。かなりの護衛がついてるそうだ」
「誘拐するなら僕の方がかわいいじゃないか。なんで僕のボディガードは矢島さんだけなんだよ?」
「ハルカもいるだろ?」
「私ですか? どうして?」
「ケロがそばにいれば攻撃魔法が使えるからな」
外界で魔法を使おうなんて考えたことがなかった。確かにケロの『魔素』があれば『ドラゴンスレイヤー』の呪文が使えるな。
「でも杖を持って歩くと魔法使いだってバレちゃいますよ」
「携帯用のワンドをさっき渡しただろ?」
「え?」
「カバンに入れてたじゃないか」
「あれってお箸じゃないんですか?」
「どうして箸なんか渡さにゃならんのだ?」
「いえ……。マイ箸持参のレストランにでも連れて行ってくれるのかと……」
「お前はバカだな」
「説明してくれないとわからないでしょう?」
「寝坊して走り回ってたのは誰だ? 説明を聞く余裕なんてなかっただろうが」
それを言われると反論できない。レイデンはすました顔で前を向いている。元はといえば、寝かせてくれなかったこいつのせいなんだけどね。
確認しておこうとカバンの中から透明の袋に入った木の棒を取り出した。いや、やっぱり箸にしか見えない。
「二本あるから箸に見えたんです」
「それは予備だ。パピャイラで出来てるが、細いから耐久性がないんだ。杖屋で特注したんだぞ」
携帯用の武器なんてスパイ映画みたいで格好いいな。でも猫がいないと使えないのは問題ありだ。
「ケロを先にさらわれちゃったら使えませんね」
「その時にはあいつらに任せるさ」
「あいつらって?」
「俺たちの前後を走ってるのは護衛の車両だ。上をヘリも飛んでるだろ?」
まったく気づかなかった。
「何をにやけてる?」
「今回の帰国はVIP気分ですね」
「VIPはお前じゃないけどな」
そんなの分かってるけど、浸らせてくれてもいいじゃない。
本社前では記者らしき人たちとプラカードを持った団体が歩道を占拠していた。プラカードの奇妙な生き物の絵の下に「魔法獣を解放せよ」と太い文字で書かれている。これが『魔法獣解放同盟』か。見たこともない生き物のために反対運動ができるなんて、ある意味、想像力の豊かな人たちなんだろうな。
車の窓にはフィルムが貼ってあり外からは見えにくくなっている。それでも、念のためにレイデンに毛布をかぶせて隠した。私に膝枕する形になって、彼はまたニヤニヤしてる。この旅行で清純なイメージがかなり崩れてしまったな。
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矢島さんは車を本社の地下駐車場に乗り入れた。ゲートがあるので、関係者以外は入ってこられない。ケロをバックパック型のペットキャリアに詰め込んで、エレスメイア留学部門のオフィスのある階まで直通のエレベーターに乗った。
レイデンには矢島さんが用意したスーツを着せたのだけど、あまりに似合いすぎていて目が離せない。矢島さんのファッションセンスは魔法の域に入ってる。
「これも昔取った杵柄ですか?」
「まあな」
この人いったい何の仕事をしてたんだろう? レイデンは私の視線にまたニヤけている。私は矢島さんが背負ったペットキャリアの蓋を少し開き、流れ出る『魔素』の中でレイデンを睨んだ。
「上に着いたら真面目な顔してよね」
「ハルカがジロジロ見るからです。この服のせいですか?」
「うん」
「エレスメイアの服よりもこちらの方が好みなんですね」
「そんなことないけど、あっちじゃゲームのキャラみたいな服着てるから、格好良くって当然っていうか、どうも現実感が伴わないんだ」
「ゲームのキャラって?」
彼はキャリアから離れると、私に体をぐいぐい寄せてきた。
「うわ、押さないでよ」
言ったってもう通じない。エレベーターの隅に追い詰められてキスされた。
「ちょっとは遠慮しろよ」
矢島さんもニヤニヤしている。彼に『ミョニルンの目』の事を知られた時にはどうなる事かと思ったけれど、秘密を隠さずに済むのは気が楽でいい。結果的にはよかったのかもしれないな。
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エレベーターを降りるとそこはもうエレスメイア留学部門のオフィスの中だ。ここには留学経験者が五人も務めている。みんな『魔法使い』の肩書は持っているが、滞在許可保持者は一人もいない。一時帰国した際に紹介してもらったので、ほとんどの人とは顔見知りだ。
「ハルカちゃん、お帰りなさい」
私の前任者だった恵子さんが駆け寄って迎え入れてくれた。
「村はどう? 変わってない? あら、すみません。いらっしゃいませ」
レイデンと矢島さんもいるのに気づいて慌てて挨拶する。相変わらずそそっかしい。
ほかの人たちも挨拶してくれたけど、私が快く思われていないのは知っている。彼らは一年交代でエレスメイアの現地留学サポート事務所に赴任していたのに、別の留学部門にいた私がそのポジションを奪ってしまったのだ。滞在資格を持つ私が事務所に居座る限り、彼らに赴任のチャンスはない。
害獣退治なんてぱっとしない能力で滞在許可を貰ったのも気に障るようだ。私が『ドラゴンスレイヤー』であるのは秘密なので仕方ないのだけど、知ったところで余計に妬まれそう。申し訳ないとは思うけど、私を送りこんだのはタニファなんだから恨まれても困る。
客用のソファに案内され、ケロのキャリアを下したところで、私たちの到着を知った鹿野社長が現れた。
「矢島さん、お久しぶり。遠方より御足労いただきありがとうございます」
口調は丁寧だが、表情は茶目っ気たっぷりだ。元々留学生だった彼とはかなり親しいそうで、ドイツへ出張の際にはいつも飲みに行くらしい。次に彼女はレイデンに向き直った。
「あなたがレイデンさんね。お会いしたいと思っていたの」
手を差し出されて、レイデンはそつなく握手をこなした。握手は三秒までと言い聞かせておいてよかった。
ケロと私にもねぎらいの言葉をかけると、彼女は反対側の席に座った。貫禄はあるけれど、肌もスタイルも若々しく、五十代だとは思えない。
彼女には魔力はないが、魔法を使っているんじゃないかって疑うほどビジネスはうまい。『留学という形で異世界にこちらの人間を送りこむ』という噂を聞いた時点で彼女は準備を始めていた。代理店として真っ先に名乗りを上げたのだ。
ディアノトラベルサービスは日本でもトップクラスの旅行社であり、すでに何十もの国にオフィスもスタッフも配備されていたので、交渉は有利に進んだ。お陰でお隣の中国に大きな拠点ができたのにもかかわらず、日本とオセアニア、太平洋の島々はうちの会社の管轄に入っている。
アメリカやロシアは国立の留学機関を設置したがったが、エレスメイアは個々の国との交渉を持つことを拒否した。そこで設立されたのが『国際エレスメイア文化交流委員会』 通称『ICCEE』という国際機関だ。
『ICCEE』は文化交流を目的とした国際非政府組織ということになっている。運営資金のほとんどは大国が負担していることを考えれば、そのあたりは疑わしいんだけどね。
留学生の募集や選考にはすでに実績のある民間の企業が参入することになった。多くはうちのような大手の旅行代理店だ。世界中に全部で八つあるのだが、国同士の軋轢もあり、管轄はちょこちょこ変わる。
どこの国も自分の国から優秀な『魔法使い』を輩出したいことには変わりはない。それが将来的にどのような役に立つのかはわからなくても、投資しておいても損はないと考えているのだ。
社長はレイデンと私を見比べてニヤニヤしている。
「あのイケメンさんを捕まえたのね」
彼との関係は話してないんだけど、レイデンが私にぴったりくっついてるのを見れば丸わかりだ。
「報告してなくてすみません」
「いえ、プライベートは報告する必要はありませんよ。結婚でもするのなら別ですけど。お祝いを贈らなくてはなりませんからね」
会話はケロのキャリアの隣に座った矢島さんが通訳してくれている。もちろんレイデンは真っ赤になった。
「あなたたち、選抜会は初めてだけど大丈夫ね? スタッフはベテランぞろいだから問題はないと思うけど。
「僕もいるからね」
キャリアの蓋の隙間からケロが言った。矢島さんが彼の言葉を伝えると「頼りにしているわ」と社長は笑った。




