機内での出来事
外界の服に着替えるとレイデンは芸能人にしか見えなかった。鏡の前で並んで立つ私はどう見ても付き人だ。空港の搭乗ゲートに向かう途中、すれ違う職員達に話しかけられた。
写真が流出したせいで、レイデンは外界でも顔が知られている。女性職員に握手を求められたが、手袋なしで握手ができるのが嬉しいらしく、相手が赤くなるまでがっしりと手を握りしめた。
『ICCEE本部』の敷地内には小さいながらも空港があり、エレスメイア人の移送には必ずここからの専用機を使うことになっている。今回は矢島さん以外にも二人の職員が同乗した。
専用機にはエルスメイア人の乗客のために小さく仕切った個室が用意してある。『魔法世界』の生き物と一緒に中に入れば、『魔素』を満たしてリラックスすることができる仕組みだ。
まずはレイデンがケロと一緒に部屋に入り、すべての壁に『魔素』を封じ込めるための呪文をかけた。『魔素』はどんな物質でも通り抜ける性質を持っている。この過程を怠ると、ケロの身体からとめどなく『魔素』が溶け出してしまう。私もやり方を教わったのだけど、ケロの生死にかかわることなので、レイデンに任せた方が安心だ。
ケロはすぐにシートの上で丸くなったけど、レイデンはすぐに客室に戻りたがった。
「あれ? 部屋の中でのんびりしないの? 『魔素』がなきゃおしゃべりもできないでしょ?」
レイデンはにっこり笑って客室の席に腰を下ろした。仕方なく隣に座ると、私の手を握ってくる。化け物の姿に変わることなく、私と触れ合いたいらしい。
専用機は大人数を乗せて飛ぶことはないので、シートはゆったりと幅を取ってある。足も延ばせるし、背もたれも平らに倒せるし、一度この快適さを味わってしまうと、エコノミークラスなんて乗れたものじゃない。
レイデンとは言葉は交わせないけど、彼は私の手を握りしめてニヤニヤしている。この人にこんな顔ができるとは思わなかったな。気持ちはわからないでもないけどね。
触れられるたびに目を閉じる必要がないのが、これほど気楽なものだとは思っていなかった。うっかり不気味な『目』を見てしまわないように、彼のそばではいつも無意識に身構えていたのだ。
レイデンは握った私の手を自分の頬に押し付けた。傷一つないなめらかな肌をゆっくりと指でなぞってみる。こんな簡単な事すら、一度もしたことがなかったなあ。
「ハネムーン気分なんだな」
通りがかった矢島さんが呆れたように言った。
「すみません」
「いや、好きにしてもらっていけどな。俺はケロの部屋で寝る」
離陸して三時間ほどすると、レイデンに異変が起こった。手を離してシートにぐったりともたれかかったので眠ったのかと思ったら、どうも様子が変だ。目は開いたまま、でも焦点が合っていない。
「どうしたの?」
問いかけても虚ろな表情で私の顔を見返すだけだ。慌ててケロと矢島さんのいる個室に彼を引っ張って行った。
中に入ったとたん、レイデンが大きく息をついて、空いているシートに座り込んだ。
「大丈夫?」
「ええ、急に頭がぼんやりしてきたんです」
「この部屋に入って治ったんだったら『魔素』切れだね。やっぱり初めての外界は辛いよね」
気の毒そうにケロが言った。『魔素』酔いの反対で『魔素』がないと気分が悪くなる人も多いのだ。
「そうみたいですね。そのうちに慣れると思うんですが」
「ここまで影響を受ける奴は初めて見たな。ニッキの奴は不機嫌にはなったが、体調までは崩さなかったぞ。熱もあるんじゃないのか?」
矢島さんがいきなり手を伸ばしてレイデンの額に触れようとした。レイデンは素早く身体をそらせたが、狭い個室だということを忘れていたらしい。壁に追い詰められた彼のおでこに矢島さんの指先が押し付けられた。
『魔素』のあるこの部屋で触られたら『ミョニルンの目』を見られてしまう。いつもクールな矢島さんでもあれを見たら叫び声ぐらいは上げるだろう。
けれども彼は叫ばなかった。怪訝な顔で指先をレイデンの額から離し、再びぐいぐい押し付ける。それを何度か繰り返した。
「あ、あの、見ちゃいましたよね?」
「ああ、見ちゃったな」
平素と変わらぬ声で彼は答えた。
「驚かないんですか?」
「驚いたぞ。かなり驚いた」
「私がミョットルさんの養子になった時の方が驚いてるように見えましたよ」
「あの時は本当に驚いたからな。こいつ、触ると姿が変わるのか?」
「触った人にしか見えないんですけどね。あの『目玉』は彼の能力が具現化されたものだそうです」
「どんな能力だ?」
「人の本質が見えるんです。いい人はイケメンに、悪い人は醜く見えるそうです」
詳細は省いておいた。矢島さんを信用していないわけではないけれど、彼には報告の義務がある。レイデンに未来さえ見通す能力があるなんて『ICCEE』には知られない方がいい気がしたのだ。
「俺はどう見える?」
顔をほんのり赤くして矢島さんが尋ねた。
「え?」
「自分がどんな人間なのか気になるじゃないか。教えてくれ」
レイデンの能力よりもそっちが気になるのか。確かに矢島さん、ナルシストなところがあるからな。
「矢島さんはものすごく格好よく見えますよ」
今まで黙っていたレイデンが口を開いた。『目玉』がすんなりと受け入れられた事に戸惑いを隠せないようだ。
「そうか。ありがとう」
矢島さんはあっさりと礼を言うと、再びレイデンの頬に指を押し付けた。
「こりゃ、面白いな。どういう仕組みなんだ?」
「『目玉』が怖くないんですか? 私なんて恐ろしくて見れないんですけど……」
「だが、触ったら見えちまうんだろ? 触れられもしない相手とどうやって付き合ってるんだ?」
「触るときには目をつぶるんですよ」
そう答えたものの、恋人の顔も見れない自分が人でなしに思えてきた。私も努力すれば彼の『目玉』を直視できるようになるんだろうか? それとも矢島さんが特殊体質なだけ?
「なるほど、外界ではお触りし放題ってことか。環境が変わって発情したのかと思ってたが、そういう事情だったとはなあ」
矢島さんは気の毒そうにぽんぽんとレイデンの肩を叩いた。
「その言い方、やめてくださいよ。猫じゃないんだから」
ケロが不満げに唸ったけど無視。
「好きなだけイチャイチャしてこい。だが『魔素』切れには注意しろよ」
そう言って矢島さんは私たちを部屋から押し出した。おかしな理解者ができてしまったようだ。
それからもずっとレイデンは私の手を握り続けていた。昨夜は準備で忙しかったので飛行機で眠るつもりだったのに、超絶美形に至近距離で微笑みかけられると眠れたものではない。その上、うっかり目を合わせるとキスで口をふさがれる。個室に逃げ込んだら、矢島さんに追い返された。
新手の拷問でも受けている気分になってきた頃、ようやくレイデンは私が疲れているのに気付いたらしい。申し訳なさそうな顔で私のシートを倒し肩までブランケットで包んでくれた。
それでも手だけは離してはくれなかったので、私は彼の手を握ったまま眠りについた。




