怪物のうわさ
「知ってるかい? 南の方で家畜が殺されてるんだと」
パン屋が暇だとみえて、ラウラおばさんが遊びに来た。
「バラバラのぐちゃぐちゃになってたらしいよ。それも一頭だけじゃないんだ」
「犯人は捕まってないの?」
「でっかい爪のある獣の仕業らしいんだけどね。『魔法院』だけじゃなくって国軍も出動したって言うから、すぐに解決するだろうよ」
でっかい爪か。
「まさか竜がやったんじゃないよね?」
「恐れ多いことを言うんじゃないよ。竜がそんな野蛮な事するもんかい。あんたも『スレイヤー』ならそのぐらい分かるだろ?」
メルベリ村の住人であるおばさんは、私が『ドラゴンスレイヤー』だと知っている。
「昨日はペンルブィでも乳牛がやられたって、ボイリン爺さんに聞いたのさ。しゃべる牛じゃなかったそうだが、それでも気の毒な話だよ」
エレスメイアでは猟奇的な事件なんて滅多に起こらないので、彼女は興奮気味だ。
「ペンルブィだったら王都からそんなに離れてないよね?」
「だんだん北上してるようだね。うちの村にはあんたがいるから、おっかないのが来ても安心だ。どんな怪物でも、ドレイクほどじゃないだろうからね」
おばさんには頼りにされてるようだけど、家畜を惨殺するような相手には絶対に会いたくないな。
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その日は午後から『魔法院』に行く日だった。ルーディに詳しい話を聞こうと思ったら外出中。代わりに院長に会いに行ったら、彼はちょうどお茶を入れているところで、嬉しそうに迎え入れてくれた。
「ええ、噂の通り、今までに何頭もの家畜が襲われています」
彼の顔には懸念が浮かんでいた。ラウラおばさんの話はいつも大げさになりがちだけど、今回は彼女が話してくれた以上の被害が出ていたのだ。
「これまでに人が襲われていないのは不幸中の幸いと言えるでしょう。ですが、犯人が捕まらなければ時間の問題ですね」
「どんな生き物なのか分かってるんですか?」
「いくつかの現場に羽毛が落ちていたそうです。ルーディは大きな鳥ではないかと言っています」
動植物の専門家であるルーディは、現場に駆り出されていたのだ。
「家畜を襲うほどの大きな鳥って? ロック鳥ですか?」
「ロック鳥は生き物をさらいはしますけど、バラバラにはしませんからね。かなりの人数を動員しているのですが、それらしき生き物は目撃されていません」
「牛を殺せるぐらい大きいんでしょう? どうやって隠れてるんだろう?」
「現場はどれも森に近い場所なのです。森を伝って目立たぬように移動しているのでしょう。痕跡を消すのに魔法を使っている可能性もあります。非常に狡猾な生き物のようです」
「怖いですね」
「まあ、ハルカの敵ではありませんけどね。『ドラゴンスレイヤー』の呪文が効かない生き物は存在しないと言われていますから」
そうなんだ。そこまで凄い技だとは知らなかったな。『上級魔法使い』として、協力を申し出るべきだろうか?
「私もお手伝いしたほうがいいですか?」
「いえ、国軍にもかなりの使い手が揃ってますので大丈夫でしょう。もしあなたの力が必要ならば迎えを出します」
ああ、よかった。内心胸をなでおろして院長室を後にした。
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『魔法院』からメルベリ村への帰り道、ほんの数百メートルではあるが鬱蒼とした森を抜ける箇所がある。謎の怪物は森に潜んでいると聞いたので、私は杖を構えたまま歩いた。
森を出てほっとしたとたん、ドレイクの金色の頭が道路わきの大きな岩の陰からにゅっと現れた。
「ぎゃ! なんでそんなとこから出てくるの?」
「おいおい、杖を向けるな。びくびく歩いてるから、脅かしたくなったのだ。どうかしたのか?」
「家畜が何かに襲われてるって話、知ってる?」
「いや。国軍のそりが飛び回ってるのはそのせいか」
「うん、羽毛が落ちてたから、鳥みたいな生き物じゃないかって」
「羽毛か。羽があって生き物を殺すような奴となると、限られてくるな」
「心当たりはある?」
「ないことはないが、どれもエレスメイアにはいない生き物だからな。見当もつかん。まあ、そいつがなんであろうと、お前にはかなわんだろうがな」
「みんなと同じこと言うんだね。いくら私の呪文が強くても、突然に襲われたら反撃できないかもしれないよ」
「そうだな。不安なら今日は家の前まで送ってやろう」
「村が壊れちゃうから、いつもの所でいいよ」
「つまらんな。たまには恋人気分を味合わせてくれてもいいだろう」
「私、恋人いるから」
「フリをしても減るものでもあるまい」
「ドレイクは家畜を襲ったりしないの?」
「話題を変えたな。どうして俺が家畜を襲わなきゃならんのだ?」
「外界の昔話じゃ、竜は村や町を襲って騎士に退治されるんだよ」
「遠い昔の出来事だが、狂暴化した竜が大暴れしたことがあったのだ。その話が元になっているのかもしれぬな。まあ外界の騎士ごときに竜が倒せたとは思えんが」
「どうして狂暴化したの?」
「さあな。俺は知らんが、よほどの理由があったのだろうな」
「ドレイクだって火を吹いて村を焼き払ったりできるんでしょ?」
竜は急に歩みを止めた。
「どうしたの?」
「……火を……吹くだと?」
彼はぎょろりと目をむいた。
「ドラゴンって口から火を吹くんじゃないの?」
「俺がそんな下品なことをすると、ハルカは本気で思っているのか?」
「下品かなあ?」
「それなら自分が口から火を吹いているところを想像してみろ。下品なこと極まりないだろう?」
人間が口から火を吹けば大道芸人になれる。でも下品だとは思わないけどなあ。
「いいか。竜は口から火など吐かないし、吐けない。外界人の悪意ある捏造だ」
こんなに憤慨してるドレイクは初めて見たな。竜にも触れられたくない話題があるらしい。
「なんだ、何がおかしい」
「火は吐かなくても、鼻から湯気は出るんだね」
「なんだと?」
彼は寄り目になって自分の鼻先を見た。
「冗談だってば。信じちゃってかわいいな」
彼はまた動きを止めた。今度は何?
「かわいい……俺をかわいいと言ったのか?」
しまった。これは失言だったかな? しつこく付きまとうものだからタメ口で相手してるけど、本来、竜は国王よりも高位の神聖な存在なのだ。かわいいなんて言われたら、そりゃ気に障るよね。
「ええと、ごめん」
「なぜ謝る?」
「竜にかわいいは失礼だったかなって……」
「いや、どんどん言うがいい」
はい?
「俺に好意を持っていなくては出ない言葉だからな」
好意ね。まあ、大型犬的な意味でかわいいから、間違ってはいないかな。
「お前にも俺の魅力がだいぶ分かってきたようだな」
竜は鼻先で私の背中を小突くと、再び歩き出した。心なしか足取りが軽やかだ。一瞬でも気を遣って損しちゃったよ。




