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外界人のタブー

 村はずれで乗合馬車を降りて、事務所のある広場まで歩いた。すっかり遅くなってしまったけど、月が明るいので魔法で明かりを呼び出すほどではない。


 広場に足を踏み入れると事務所の前に背の高い人影が見えた。夜風に黒い髪がなびいている。月明りを浴びてまっすぐに立つ姿は、空から降り立った神の化身のようだ。


「レイデン」


 私の声に彼が顔を上げた。


「私を待ってたの?」


「ええ、ケロがあなたが王都に行ったというので……。あの、今日は急に休んでしまってすみません」


「ううん。私が悪かったよ。強引に誘って気を悪くしたよね」


「いえ、ハルカのせいじゃありませんよ」


 そう言ったものの、彼の顔はいつも以上に真剣で、私は不安になった。悩みに悩んで決断して吹っ切れたような、そんな表情。


 やっぱり仕事を辞めるつもりなんだ。


「話があるんです。聞いてもらえますか?」


 聞きたくないけど仕方がない。辞めるなと言ったら、また逃げ出すだろうか? 杖を持って来ればよかった。


「私は逃げたりしませんよ」


 私の不安を見透かしたかのように彼が言った。


「本当に逃げない? 逃げないでちゃんと話し合ってくれる?」


「何を話し合うのですか?」


「だって仕事を辞めたいんでしょう? もうセクハラなんてしないって誓うから、辞めないでほしいの」


「なんのことです?」


「私が無理に誘ったから辞めるんでしょ?」


「違いますよ」


「違うの?」


 なんだ。辞めるんじゃないんだ。


 ああ、よかった。ほっとしたら全身から力が抜けた。


「でも、ハルカの返答次第では、辞めざるを得ないかもしれません」


「え? ちょっと待ってよ。今、辞めないって……」


「ハルカ、まずは落ち着いて私の話を聞いてください」


 レイデンの腕が伸びて私の肩を掴んだ。月の光を柔らかく照り返す緑の瞳が、懇願するように私を見つめている。


 そうだな。彼の言う通り、まずは話を聞こう。考えるのはそれからだ。


「わかった。聞くよ」


「はい……」


 話を聞けと言ったくせにしばらく躊躇してから彼はようやく口を開いた。


「ハルカ、あの……私と『婚姻の契約』を結んではくれませんか?」


「はい?」

 

 『婚姻の契約』って結婚のこと? もしかしてプロポーズされてるの?


「それが無理なら別れてください」


「え?」


 またもや予期しなかった展開になった。プロポーズと別れ話を同時に持ち出されても、どう答えていいのかわからない。


「どうしてその二択なの?」


「あなたといると自分が抑えられなくなるからです」


 暗くて彼の表情ははっきりとは見えないけど、恥じ入っているように声が小さくなった。


「でも、お互いに好き合っていたらそういう気持ちになるのは自然なことでしょう? どうしてそこに結婚が出てくるの?」


「だって、ハルカの世界では婚前交渉はタブーなんでしょう? このままだと私はハルカの純潔を奪ってしまいます。そんな事になる前に『婚姻の契約』を結ぶか、私があなたから離れるか、どちらかしかないんです」


 ああ、なるほど。そういうことだったのか。タブーと聞いて、ようやく合点がいった。


 エレスメイア国と外界の民間人との交流があった二十世紀初頭までは、ヨーロッパの多くの地域で結婚前に純潔を失うことは恥ずべきこととされていた。


 当時『門』に接触できたのは上流階級の人間が多く、奔放なエレスメイア人に娘たちを傷物にされないよう、「未婚の外界人が関係を持つことはタブーである」、と触れて回ったのだそうだ。


 現在はかなり事情が違うのだけど『ICCEE(アイシー)』はあえて訂正しない。前にも述べたように、滞在許可を持たない外界人とエレスメイア人の間にうっかり子供でも出来てしまったら、トラブルの原因にしかならない。誤解はそのままにしておいたほうが都合がよいのだ。


「ええと、私は初めてじゃないから、レイデンが純潔を奪うのは無理だと思うな。だから心配しなくていいよ」


「え? ……ハルカは既婚なんですか?」


「ううん。結婚もしたことないけど……」


 月明りの下でもレイデンの顔色が変わったのが分かった。


「ま、まさか、ハルカは禁を犯したのですか? どうしてそんな恐ろしいことを!」


 エレスメイアにもタブーとされる事がいくつかあるが、破れば一族が根絶やしになるほどの残酷な呪いが降りかかるという。外界とエレスメイアではタブーの重みが違うのだ。


「レイデン。婚前交渉がタブーだったのは昔の話なの」


「え? 本当ですか? じゃあ、タブーは冒していないんですね?」


「うん。罰が当たるようなことはしてないよ」


「ああ、よかった。ハルカが呪いを受けてしまったかと……」


 彼はへたへたとその場に座り込んでしまった。目には涙が光っている。心から私の身を案じてくれたらしい。


 この人は付き合い始めたばかりの私をどうしてここまで気遣えるんだろう? 胸がいっぱいになって、私も地面に膝をつき、ぎゅっと彼を抱きしめた。『目玉』を見なくてもいいように彼の長い髪に顔を埋める。


「レイデン、大好きだよ」


「私もハルカが大好きです」


 超美形だろうと三つ目の化け物だろうとどうでもよかった。私の腕の中のこの存在が愛おしくてたまらない。


「ねえ、今日は雨は降ってないけど、泊まってってくれる?」


 彼の身体がきゅっとこわばった。


「あ……あの……それはつまり、私とハルカが……」


「うん。初めての相手が私でよければね」


「ハ、ハルカじゃないとダメですよ。ハルカがいいんです」


 照れ隠しに茶化したら、ぎゅうと抱きついて訴えられた。


「私と結婚してくれるつもりだったの?」


「はい。それ以外にタブーを冒さずにハルカと、その……関係を深める方法を思いつかなかったんです」


「『婚姻の契約』って心から好き合ってないと結べないんだよね?」


「そうです。一生添い遂げる覚悟がなくては、契約は成立しません」


「レイデンには覚悟があったの?」


「ええ、でもハルカの気持ちは分かりませんから、それが無理なら別れるしかないと思ったんです」


「私には覚悟がないと思った?」


「まだ付き合い始めたばかりですからね。それにいつかは私の姿に我慢できなくなるかも……」


 彼は手を持ち上げて、自分の額に触れた。どうしても『目玉』の事が気になるらしい。

 

「プロポーズされて嬉しかったんだよ」


「え?」


「あなたとなら添い遂げられると思う。だからこれから先も私のそばにいてよ」


「も、もちろんです。絶対にハルカと別れたりはしません」


 彼の緩い涙腺からまた涙が溢れ出したので、私は慌てて彼の口を唇でふさいだ。



 その晩、彼は私の部屋に泊まった。それはそれで色々と大変だったんだけどね。



     ****************************************

 


 翌週、レイデンは事務所に越してきて、それからはずっと一緒に暮らしている。


 『婚姻の契約』を結べば子供ができてしまうかもしれないので、まずは二人きりの生活を楽しんでからにしようと先伸ばしにしてきた。でも、もうそろそろ式を挙げてもいいんじゃないかと思っている。


 二年経っても彼に対する気持ちは変わらないどころか、強くなるばかりなのだから。


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