院長の助言
レイデン、このまま辞めちゃったりしないよね?
気の休まらない一日を事務所で過ごした後、私は王都の院長の家を訪れた。四か月の留学期間が終わり、スタッフとして留学事務所で暮らし始めてからは、院長宅には月に一、二回しか出向いていない。とは言っても、彼とはほぼ毎週『魔法院』で顔を合わせているんだけどね。
彼はちょうど帰宅して、食卓の上で包みを開いているところだった。
「今日は楽をしようと屋台で色々買って来たんですよ。一緒に食べましょう」
彼が夕食の手を抜くなんて仕事が忙しいときだけなのに、院長は笑顔で私を迎え入れてくれた。
「何かあったのでしょう? 話してみてください」
もちろん私に悩みがあることなんて、彼にはお見通しだ。
「先月、事務所に新しい人が入ったんです」
「レイデン君ですね」
「彼をご存じなんですか?」
「ええ、以前『魔法院』で研究生をしてましたからね」
「彼が『ミョニルンの目』の持ち主なのも知ってますか?」
「はい。知っています。特殊な『血の魔法』の持ち主は『魔法院』での登録が義務付けられています。情報は公にはされませんが、私の場合、役職が役職ですから……」
『魔法院』の院長が秘密を知る立場であるのは当然なのに、彼は少しきまりが悪そうに言った。
「レイデン君が問題でも起こしたんですか? とても真面目で優秀な若者だと記憶していますが……」
「いえ、その……彼とお付き合いしてるんですけど……」
「え?」
何事にも動じない院長が、珍しく驚いたように見えた。
「付き合っちゃまずかったですか? 滞在許可があれば、誰とでも付き合っていいのだとばかり……」
「いえいえ、それは構いませんよ。ハルカに恋人ができたと聞いて驚いただけです」
驚いたのはそれだけが理由でない気もしたのだけど、それよりもレイデンの事が心配だった。
「それが……昨日、事務所から飛び出したまま、今日も仕事にこなかったんです」
「怒らせるようなことをしたんですか?」
「いえ、怒らせたわけではないと思うんですが……」
ええと、なんて説明しよう。心配のあまり、ここに来てしまったけれど、泊まっていけと男を誘ったら逃げられただなんて、養父に相談できる案件ではなかったな。
「なるほど、恋の悩みというわけですか」
口ごもった私に、院長が微笑んだ。
「『ミニョルンの目』は『天』から授けられた力です。彼は『目』を通してあなたの姿を見ています。それでハルカを選んだというのなら、あなた方の間にはよほどの繋がりがあるのでしょうね」
「繋がり……ですか?」
「ええ。何を悩んでいるのかわかりませんが、彼を信じてみてはどうでしょう?」
院長は顔の前で手を組んで、私の目を覗き込んだ。
「それよりも、ハルカ。あなたには彼と付き合う覚悟はあるのですか?」
「どういう意味でしょうか?」
「『ミョニルンの目』は持つ者にとって、大変な重荷なのです。彼と付き合うということは、彼の重荷を分かち合うことでもあるのですよ」
確かに『目玉』のせいでレイデンは辛い人生を歩んできた。自分の姿が化け物にしか見えず、人に触れられることを避け、この年になるまで女性と付き合うこともできなかった。
でも、私と出会ってからは孤独は感じていないようだし、少しずつ自信をつけてきたようにも見える。少なくとも、昨日飛び出して行くまでは、私といることに満足しているように思えた。
「重荷を分かち合うというのが、彼の心の支えになることであれば、私にもできると思います」
「それならいいのです。レイデン君が相手なら私も異存はありません」
院長は、満足そうにうなずいた。
「今度来るときには彼も連れて来てくださいね」
そう言って、彼は私を送り出してくれた。私の抱える問題は彼の中ではすでに解決済みらしい。そう思うと、ちょっとだけ元気が出た。異世界なのに実家があるなんて私はかなりラッキーなのかもしれない。




