メルベリ村へ
「現在のエレスメイアの国土は、南北へ240キロメートル、東西へ300キロメートルほどの大きさだと言われています。王都は国土の中心よりやや南寄りにあります。こちらの世界が私たちの世界の並行世界だという説に従えば、ちょうとドイツ南部とフランスの国境辺りに位置することになりますね」
もう研修で習ってきていることだけど、ここでもう一度おさらいしておく。外界ではエレスメイア王国についての本が数多く出版されている。
エレスメイアへの関心は高く、出せば売れるのだが、内容は正確だとはいいがたい。学術書の体裁をとった、噂ばかりをもっともらしく書き連ねた本や、使い古された写真や想像で描かれたイラストでいっぱいのムック本がほとんどた。生徒さん達の知識もそこから来ているので、いい加減なことこの上ない。
「昔はこの国も七倍近くの面積があったんだがな。『壁』に切り取られちまって、今じゃ残ってるのはこれだけなのさ。観光名所もたくさんあったのに残念な話だな」
大きな頭を振りながらジャンマーが補足した。
「ここから『壁』は見えないの?」
好奇心旺盛なシスカが遠くの山の稜線に目を凝らす。
「一番近い『壁』も七十キロ先なので、ここから見るのは無理ですね。『壁』に近づくのは固く禁じられてるんです。私も見たことはないんですよ」
「どんどん『壁』が迫ってきていて、いつかエレスメイアがなくなっちゃうっていうのは本当?」
「出現してから『壁』が厚みを増したというのは事実ですが、現在どうなっているのかは私にはわかりません。『壁』についての情報は機密なんです」
エレスメイア王国の国土が、八十年前に突如現れた正体不明の『壁』のようなものに包囲されているのは誰でも知っていることだ。だが、私たち外界人で実際にその『壁』を見た者はいない。
「『壁』の向こうにも別の空間があるんですよね?」
今度はエドウィンが尋ねた。
「この世界の全土が『壁』によってバラバラに切り分けられたというのが『魔法院』の見解ですね。エレスメイアの国土は、パズルの1ピースのようなものなんです。ですが、『壁』を越える手段が見つからない以上、『壁』の向こう側がどうなっているのか確認することはできないんですよ」
だからこそ私がタニファに出会ったのは、エレスメイアにとっても私たちの世界にとっても重大な出来事だった。少なくともニュージーランド近辺にはたとえ断片であれ、タニファが暮らす世界が残っている証となるのだから。
「あ、あれ!」
突然、シスカが叫んだ。王都の上空を金色に光るものが舞っているのに気づいたのだ。
「もしかして竜?」
「ありゃあドレイクだよ」
ジャンマーが空を仰いだ。
「数年前からよく現れるようになったんだ」
生徒さん達がざわめいた。外界ではドレイクは凶悪竜として名を馳せている。映画やアニメの悪役に使われているほどだ。
「危険はないんですか?」
「平気さ。エレスメイアには三人も『スレイヤー』がいるんだよ。もっともドレイクを倒せるレベルの奴は一人しかいないがな」
彼らの動揺する様子に、馬はおかしそうに鼻を鳴らした。
「『スレイヤー』って『ドラゴンスレイヤー』の事?」
「はい。正式には『竜と交渉する者』って言うんですよ」
まあ、誰も正式名称は使わないんだけどね。
「エレスメイアには竜は八頭しか残っていないんです。保護の対象になっているんですよ。なので、よほどの悪事を働かない限り、退治することはないそうです」
「ほれ、嬢ちゃん、村に着くのが遅くなるぞ。おしゃべりの続きは走りながらにしな」
そういうなりジャンマーがぐいと馬車を引っ張ったので、生徒さん達はまた歓声をあげた。
*****************************************
王都に近づくにつれ、すれ違う人が増えた。エレスメイアの住人は明るくて気さくな人が多い。みんな陽気に挨拶をしてくれる。馬車は王都から五キロほど手前の三叉路で右に曲がり、目的地のメルベリ村に向かう。
村の手前の橋に差し掛かった時、生徒さん達が悲鳴を上げた。ドレイクが低空飛行で近づいてくるのだ。大騒ぎする彼らに私は呼びかけた。
「危険はないですよ。飛ばされないように帽子を抑えてください」
巨大な金の竜は馬車の真上を滑るように通過し、翼を一度だけ羽ばたかせると、そのまま西の方へと飛び去った。「ああ、怖かった」 そう言ったシスカはカメラを竜に向けたままだ。
「きれいな生き物ですね。思ってたのと全然違う」
シホちゃんは感極まった様子でドレイクの後ろ姿を見送る。他の生徒さんも魔法にかけられたように同じ方向を見つめている。竜は力強くそれでいて優美な不可侵の生き物だ。見る者すべてに畏怖の念を起こさせる。
「凄い、純金でできてるみたい」
「こっち、見てたよね」
「なに、あいつは好奇心が強いのさ」
ジャンマーは動ずる様子もなく、同じ足取りで歩き続ける。
それにしても、あの馬鹿竜、留学生を脅かすなんて何を考えてるんだろう?
*****************************************
村のはずれにある小さな広場に馬車は止まった。『門』からこの村までは馬車で二時間弱。長旅ではないので、生徒さんたちはまだまだ元気だ。
楕円形の広場の周りには二十軒ほどの家屋が並び、そのうちの一軒がうちの事務所だ。妙ちくりんな形の建物が立ち並ぶ中、比較的平凡な二階建て家屋。青いドアの横の看板にはエレスメイア語、ドイツ語、英語、そして日本語で「ディアノ留学センター エレスメイア出張所」と書かれている。
うちの事務所のたった一人の現地スタッフ、レイデンがドアを開けて飛び出てきた。
「みなさん、いらっしゃい。長旅、お疲れ様でした」
彼の姿に生徒さん達は歓声を上げた。レイデンはあっちの世界ではちょっとした有名人だ。留学生が撮った彼の写真がネット上に流出して、あっと言う間に広まってしまったのだ。それも当然、彼はスーパーモデルが務まるレベルの格好よさなのだ。顔だけじゃない。頭良し、性格良し、まあ変わったところはあるけれど、ほぼ完璧と言ってもいい。
彼は荷物を下ろすのを手伝いながら、生徒さんと写真に収まったり、質問を受けたり、忙しそうだ。今回の選考会にはレイデンもスタッフとして参加したので、生徒さん達は彼にはもう会っているのだが、一次選考が終わった時点で彼はこちらに戻ったので、交流する時間はほとんど持てなかった。
「ハルカ、お疲れ様でした」
レイデンは建物の影に私を引っ張りこむと、すばやくキスしてくれた。ふふふ、そして私の彼氏でもある。自分でも未だに信じられないのだけどね。
*****************************************
初日は近所の食堂で昼食を取り、すぐにホームステイ先へ移動してもらう予定になっている。明日は朝から王都の見学、そしてその翌日からは早速学校通いが始まる。
私たちは歩いて食堂に向かった。事務所からは五分ほどの道のりだ。
「ハルカさんも留学されたんですよね」
隣を歩くトゥポが尋ねた。体格は大きくて目立つが、物静かな性格らしくあまり発言はしない。
「はい、三年前です」
「ここで働けるなんていいなあ」
シスカが羨ましそうに言った。
「滞在許可が下りるほどの魔力の持ち主って、やっぱり選考試験の段階でわかるものなのかな?」
ダニエルが尋ねる。滞在許可についてはみんな気になるらしく、全員が歩きながらも私の声の届く範囲に集まって来た。
「いえ、全くわからないです。選考試験は魔力があるかないかを調べるだけなんです。魔力の強さというよりは、特殊なタイプの魔法が使える人に滞在許可が下りる事が多いみたいですね」
「ハルカさんはどんな魔法を使えるの?」と、シスカ。
「私の場合は害獣退治の能力なんですけどね。珍しいらしいんですよ」
「じゃあこちらで害獣退治の仕事もしてるんですか?」
「ええ、畑を荒らされないよう見回ったりしてます。今はツノネズミの繁殖の時期なんで忙しいんです」
「三年前ならメルボルンで一次選考があった年だね。僕の従弟が地元だからって挑戦したんだけど一次で落ちてがっかりしてたよ」
ダニエルの言葉に私は頷いた。
「そうです。オーストラリアです。あの日は特に暑くて、順番を待ってるだけでバテちゃいましたね」
メルボルンの話が出ると私はいつもこう答えるのだけど、本当は選考会場には行っていない。
タニファに出会った三日後には、私はドイツに向かう軍用ジェットの機内にいた。三度の選考試験に合格し、ドイツ南部の黒い森にある『国際エレスメイア文化交流委員会』通称『ICCEE』の本部で出発を待つばかりになっていた留学生たちのグループの中に、いきなり放り込まれたのだった。