ハルカの呪文
「お前が新入りか」
ドレイクは大きな頭を私の方に向けた。竜の声は低く深く遠雷のように響いた。
金色の竜は圧倒的に大きくて、スーラとは次元の違う存在だった。これほど美しい生き物は見たことがないと思った。外界の本に載っていた怪獣みたいなイラストとは似ても似つかない。
私は怖いのも忘れて思わず前に出た。もっと近くで見たいという気持ちを抑えられなかったのだ。
「おい、ハルカ」
アミッドが止めようとしたけど院長が制止した。
私は竜から十メートルほどの距離まで近づいた。敵意は感じられない。私を殺すのが目的なら会ったとたんに殺してるだろうし。
竜は私をじっと見つめている。注意されたのも忘れて私も彼の目を見つめ返した。
「ふん、小さくてかわいらしい奴だな。名は何という?」
「ハルカです」
「ハルカ、か」
竜は私の名前を吟味するように、目をつぶって首を傾げた。四本の角が額の上から突き出している。真ん中の二本は長く、残りの二本は外側に向かって張り出していた。鉤爪の付いた大きな翼は胴体に沿ってきれいに畳み込まれている。垂れ下がる翼の飛膜は金糸で織られた布のようだ。
「翼が見たいのか?」
下から覗き込もうと体を傾けたら竜が尋ねた。
私が頷くと、彼は居住まいをただして上半身を高く持ち上げ、大きく翼を広げた。ピンと張りつめた薄い金の飛膜に、透かし模様のような複雑な文様が浮かび上がる。息を呑む美しさだった。
本館の窓からは見物人たちの叫び声が上がる。私達の会話が聞こえなければ、ドレイクが私を威嚇しているようにしか見えないことに気づいた。
「どうだ?」
「すごくきれい」
「そうだろう」
竜は得意そうに鼻から息を吹き出した。
「では、ハルカ、俺を倒してみろ」
「やめとく」
「ああ? 怖気づいたのか?」
「ううん。でも、やめといたほうがいいよ」
「なんだと?、わざわざ遠方から飛んできたのだぞ。遠慮はいらん。お前の技を使ってみろ」
鉤のついた尻尾の先を左右にばたばたと振り回す。挑発しているつもりらしい。
「いやだって言ってるでしょう?」
「どうしてだ?」
「死んじゃったらどうするの?」
『魔法院』の門をくぐりドレイクと向き合った瞬間、握った手のひらを通して杖が私に教えてくれた。この竜は私には勝てない。
粉々になった竜の彫像が頭をよぎる。こんなにきれいな生き物を傷つけると思うだけでぞっとした。それに絶滅の危機にある生き物を殺してしまってはまずいだろう。
「なるほど、お前にはずいぶんと自信があるのだな。だが俺がよいと言ったらよいのだ」
しびれを切らした竜は、広場の端にあった東屋を尻尾でなぎ払った。
「次はその建物を壊すぞ」
彼の大声に本館の窓から一瞬で見物人の姿が消えた。
人が心配してやってるのに。いかにも小馬鹿にした態度に私はむっとした。院長を振り返ると彼は愉快そうに微笑んでいる。
「ハルカ。ご希望通り倒してあげればいいんですよ」
「でも……」
「竜は簡単には死にはしませんし、傷を負ってもすぐに回復します」
それじゃ、遠慮はいらないか。
新しい杖をかかげ、今度は呪文を間違えずにきちんと唱えた。辺りが青い光に包まれ、思わずぎゅっと目を閉じる。ゆっくりと目を開いてみれば大きな竜はその場に昏倒していた。
ほら、言わんこっちゃない。
私は急いでドレイクに駆け寄った。外傷はないようだし、巨大な腹部が上下に動いているところを見ると息はしているみたい。
安堵した私が次にしたのは、ポケットからカメラを取り出すことだった。
「先輩、写真を撮ってください」
「しゃ、しゃしん?」
アミッドは私が差し出したカメラをぎこちなく受け取った。
「はい。ここに絵が見えるでしょう? 格好良く構図が決まったらこのボタンを押すんです」
だらしなく地面に転がったドレイクの頭の横で新しいスレイヤーの杖をかかげ、巨大カジキを吊り上げたアングラーのように私は記念写真に収まった。
鼻の上に足を乗せてやりたかったけど、竜には触れてはいけないと言われているので、それは諦めた。格好良く撮れても誰にも見せられない写真なのだけど自己満足。
エルビィが手帳を片手にドレイクの周りをぶつぶつ言いながら歩き回っている。
「気にするな。あいつは竜が大好きでな。院では竜の研究をしてるんだ。ドレイクを間近に観察する機会なんて滅多にないからな」
アミッドが説明してくれた。なるほど、彼は竜オタクなのか。
それでも三分もしたらドレイクはもぞもぞと動き出した。大きな頭を左右に振りながら持ち上げると、杖を構える私に向かって鼻先を突きつけた。
「おい、ハルカ。俺の卵を産め」
とんでもないことを言い出したな。
「お前の力は素晴らしい。お前にならできる」
できるか!
「抜けてきちゃったので学校に戻ります」
院長にそう告げると、私は門に向かって歩き出した。ドレイクも私の後をついてひょこひょこと歩き出す。
「ついてこないで」
杖で鼻先を焦がしてやったら、彼はますます喜んだようだった。
「ついてこないでってば。私は学校に行くの」
「俺も行こう」
「はあ? あなたなんかが来たら学校が壊れるでしょ? 山に帰りなさいよ」
「帰ったらハルカと会えなくなるではないか」
こんなのがついてきたら本当に街が壊れてしまう。私は焦った。
「じゃあ、何もないところで会ってあげるから、街には入ってこないでよ。何か一つでも壊してみなさい。一生口を聞いてやらないから」
「それは困る。何も壊さないと約束しよう」
「約束だよ」
「竜は約束は破らぬ。そういうお前はいつ会ってくれるのだ?」
「ええと、来週、ここで?」
「人目が多すぎる」
竜はもじもじしと恥ずかしそうに下を向いた。なんだ、こいつ? 気づけば本館の窓は再び見物人でいっぱいになっている。これでは確かに落ち着かないか。
「じゃ、ここからメルベリ村の間に何もない空地があるから、そこでいい? 学校終わってからだから四時ごろね」
「よし、わかった」
竜は大きな口の端を持ち上げて笑みらしきものを浮かべると、翼を広げ一気に空へと駆け上った。油断していた私は吹っ飛ばされてよろめいた。
「ハルカ、見事でしたよ」
院長が後ろから声をかけた。
「ドレイクと約束しちゃったんだけど、よかったですか?」
「ええ、構いません。もうハルカも大人ですし、父としてあなたを信頼しています」
「デートじゃありませんよ」
「相手はそうは思っていませんね」
その点においては院長は正しかったようだ。
その日から王都の上空を竜が舞うようになった。最初は街の人たちも怖がっていたが、慣れてしまえばそれが風物となった。確かに翼を広げて舞う金の竜は、この世のものとは思えない美しさだ。
竜は力のある相手を伴侶に選ぶのが本能なのだそうだ。 だがこの国では竜の数があまりに少なかった。つまり最強の竜である彼は長い間、自分と張り合える相手を見つけることができなかったのだ。
ようやく出会った自分より強い相手が私だったという事らしい。私にしてみればなんとも迷惑な話なのだけれど。




