院長の本心
そうは言っても私の能力がドレイクに通用するものなのか、まだわからない。実地で試すのは危険すぎる。彼が機嫌を損ねて暴れ出しでもしたら本末転倒だ。
それを調べる手立てが『魔法院』にはあった。攻撃魔法や武器の研究をしているサフィラさんという『魔法使い』が、私を本館から少し離れた森の中の空き地に連れだした。大きな空き地の中央には乗用車ほどのサイズがある竜の彫像が置かれている。
「ハルカさん、あれを壊してみてくださいな」
サフィラさんは武器と縁があるとは思えない穏やかな表情の中年女性だ。
すでに空き地の半分は見物人で埋め尽くされ、空き地を囲む木々の間にも人々の姿が見えた。
最後のスレイヤーが発見されてからもう二十年以上にもなる。みんな興味津々なのだ。院長に借りたローブを頭からすっぽりかぶっているので、私の顔は観客には見えない。外界人なので身元は隠したほうがよいと私が言ったら、彼も同意してくれたのだ。
「そんな立派なものを壊しちゃっていいんですか?」
こういう場に強い私は、見世物になっていることよりも、美しく彫られた竜の彫像の事を心配した。
「ドレイクを想定した強度の防護の魔法がかけてあります。そう簡単には壊せませんよ」
サフィラさんの言葉に、付き添いのアミッドが力強く頷く。つまりは彼には壊せなかったってことか。私は杖を構えると、呪文を唱えて振り下ろした。
青い閃光が走り、彫像は粉々に砕け散った。見物人たちは歓声を上げ足を踏み鳴らす。
「これは凄いですね」
サフィラさんの頬は紅潮していた。
「おい、呪文、間違ってるじゃないか」
アミッドが呆れた顔でささやいた。私はバッグから教科書を取り出して、呪文の上に振ってあるフリガナを確認した。『マ』と『ア』を読み間違えてしまったらしい。
「ほんとだ、すみません」
「いや、謝らなくてもいいけどな。それでどうやって撃ったんだ。スーラの時も唱えなかっただろう?」
「わかりませんよ」
私に聞かれても困る。
「壊れちゃいましたね」
「ふふ、いいんですよ。倉庫に同じものが三つもあって邪魔でしたから」
サフィラさんが朗らかに微笑んだ。
「あれ、杖も壊れてる」
学校で支給された杖は、先半分が縦にぱっくり裂けていた。
「アミッド、そんな杖で撃たせたのですか?」
「いや、まさかこれほどとは思わなかったからな」
アミッドが頭を掻いた。
私は知らなかったのだが、攻撃魔法は杖に負荷がかかるので、攻撃用の杖はパピャイラという魔力に耐性のある珍しい木で作るんだそうだ。
院長が近づいてくると、私の肩をぽんと叩いた。
「今日はお祝いしましょう。晩御飯は何がいいですか? ハルカの好きなもの、なんでも作りますよ」
「あの、院長……」
「公の場ではありませんし、『お父さん』で構いませんが……」
彼が院長だと分かった今、どう話しかけていいのやらわからなくなった。目の前の穏やかな顔の男性は、この『魔法院』に所属するすべての『上級魔法使い』達の長であり、緊張するなと言われても、それは無理というものだ。
それに、彼が私を養子にしたのは、彼の役職と関係があったのかと勘ぐってしまう。タニファの使命を担った私を監視下に置きたかっただけなのかも。だとしたら、私の面倒を親身になって見てくれたのも、すべて仕事の一環だったってこと?
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私は先に帰宅し、院長はいつもの時間に大きなワインの瓶を抱えて帰ってきた。
「さあ、今夜は飲みましょう」
ワインだと思ったら、液体の底には虫のようなものが沈んでいたが、気にしないことにする。味はフルーティーで飲みやすかった。こちらに来てからお酒を飲むのは初めてだ。
後から考えれば、この虫ワインには自白剤のような作用があったのだと思う。相手が『魔法院』の院長だと思うと、最初のうちは遠慮がちなことしか言えなかったのに、酔いが回るにつれて、心に溜まっていたわだかまりが、言葉になってあふれ出た。
「どうして私を養子にしたんですか? やっぱりタニファのせい? 近くにいたら見張りやすいから?」
「いいえ、違いますよ」
院長は微笑んだ。
「妻も私もずっと娘が欲しかったんですけどね。二人目はできなかったんですよ。そのうちに妻は亡くなりました。娘ができるって予言までされていたのに、おかしなことでしょう? 『魔法院』であなたの情報を受け取ったときに分かったんですよ。この子をうちの子にしなくっちゃってね……」
いったん言葉を切ると、彼は私の顔を見た。
「そういうことです。信じてはもらえないかもしれませんが……」
彼の言葉が嘘だとは思えなかった。すうっと気持ちが楽になって、ちょびっとだけ涙が出た。顔は思い出せなくても、実の父に捨てられたことは心に傷を残してる。信じていた人に裏切られることをどこかで恐れていたのかもしれない。
「ハルカ? 大丈夫ですか?」
私は慌てて涙をぬぐった。
「大丈夫です。ところで、お父さん、ずっと一人なんでしょう? 再婚は考えてないんですか? 好きな人はいないの?」
一つの疑問が解消されたところで、また別の疑問が無遠慮に口から出てきた。このお酒が日本の会社の忘年会で出されたら、大変な事態になるだろう。
「はい、実は気になる方がいるんですけどね……」
お酒は彼にも効いていたらしく、赤い顔をますます赤くしながらも、あっさりと答えてくれた。
「職場の人?」
「そうです。よく仕事でご一緒する方なんです」
「それなのに、どうして、告白しないんですか?」
「私なんて見向きもしてもらえないと思いますよ。とてもモテる方なので……」
誰なのか聞き出そうとしたところまでは覚えているのだけれど、それ以降の記憶がまったくない。
翌朝、私は学校に、院長は仕事に遅刻した。けれども虫ワインのおかげで、いつも通りに院長に話しかけられるようになったのだった。




