『ドラゴンスレイヤー』の杖 《三年前》
三年前、私の留学生活が始まって、二か月後の事だった。
私たちは例の『ドラゴン見学ツアー』でスーラの住む森へ連れていかれた。本物の竜と『ドラゴンスレイヤー』に会えると聞いて、私たちは数日前から興奮していた。当時はドレイクもまだ北の森にこもっていたので、誰もまだ竜を見たことはなかったのだ。
スーラはこの日も陽だまりでごろりんとお昼寝をしていた。『ドラゴンスレイヤー』のアミッドは四十代半ばの背の高い男性だ。ひげ面長髪のワイルドな風貌のイケメンだが、なんとなく眠たそうな顔をしている。
『ドラゴンスレイヤー』は近衛隊の隊員以上の攻撃魔法を使うらしい。この国で一番攻撃力のある『魔法使い』だといっても過言ではないのだ。そうそう会える人ではないので、記念にサインをしてもらおうと手帳も持ってきた。
アミッドに連れられて、私たちは竜からほんの数百メートルほどの距離まで近づいた。スーラは首を翼の下に差し入れて眠っている。遠くて細部までは見えないが、日の光を浴びて輝く赤銅色の身体は美しく、生徒たちは持ってきたカメラで写真を撮った。
「呪文は練習してきたな」
アミッドが大声で生徒達に尋ねた。
私は彼の杖に目を留めた。大きな青い石のはまった長い杖。こげ茶色の肌に『上級魔法使い』の証だという三本の銀のラインがぼんやりと光っている。これが本物の『スレイヤー』の杖なのか。
ーー恰好いいなあ。
指輪や杖などの『魔具』と呼ばれるアイテムには、まったく興味がなかったのだけど、先日たまたまオーダーメイドできる杖の工房を訪れる機会があった。
留学生たちは帰国時に『魔法使いの杖』を持ち帰る。どうせ外界で魔法は使えないので必要はないのだけど、エレスメイアに留学した記念と、友達に見せても格好いいってことで、みんな必ず杖を作ってもらうのだ。
自分では注文するつもりもなく、クラスメイト達にひっついて行ったのだけど、デザイン見本を見ているうちに自分でも欲しくなってしまった。店では出来合いの杖も売られている。部屋の隅っこに立てかけられた小さな杖が、私の目を引きつけた。青い石と黒っぽい木肌の組合せがすごく好みだ。
「それ、素敵なデザインですね。大人のサイズはないんですか?」
店のおじさんは愉快そうに笑った。
「それはおもちゃですよ。『ドラゴンスレイヤー』の杖は子供達に人気なんです。大人用のレプリカの作成は許されておりません。本物が欲しければ『スレイヤー』になるしかありませんな」
という次第で、私は『スレイヤー』の杖に密かな憧れを抱いていたのだ。
長身のアミッドには長い杖がよく似合う。私が持っても似合わないだろうし、杖が必要になるほどの強力な魔法は使えないけど、高級な時計や文房具のように持ってるだけで幸せな気分になれそうだ。
私たちは順番にならんで、『ドラゴンスレイヤー』の使う呪文を唱え、スーラを攻撃した。呪文を唱えて杖を振るだけのことなんだけど、誰がやっても何一つ起こらない。スーラはごろりと横になったまま、私たちがいることにすら気づいていない様子だし、アミッドもいかにも退屈そうにあくびをかみ殺している。
地元民も十四歳になれば強制的にここに連れてこられてテストを受ける。それほどまでに『ドラゴンスレイヤー』はまれな存在だったのだが、その時にはもちろんそんなことは知らなかった。
さて、私が杖を振ったとたん、スーラが横ざまに吹き飛んだ。私もびっくりしたけど、アミッドの方が何倍も驚いて見えた。
「おい、今のどうやったんだ?」
目を覚ましたスーラは、首を振りながら起き上がり、角と耳をピンと立ててこちらを見た。やばい。今のが私の仕業だって気づいただろうか?
やがて四本の足で体を持ち上げると、優雅な動きでこちらに向かって歩き出した。生徒たちは慌てて逃げ出したが、アミッドは私の肩を掴んで放さない。
「に、逃げたほうがいいんじゃないでしょうか?」
「いいから答えろ」
「わかりません。ちょっと振ってみただけです」
「呪文も唱えてないだろうが」
「い、いまから唱えるつもりだったんです」
アミッドってば、先にスーラを止めてよ。
「ふうん。この子、いい感じじゃないの」
頭上から柔らかな声が響いた。見上げればそこにはスーラの顔があった。私はこのとき、竜が話すのを初めて聞いたのだった。
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他には誰もスーラを吹っ飛ばさなかったので、私はそのまま『魔法院』へと連れて行かれた。院長と面談するという。ムック本の恐ろしげな老人の絵を思い出して私は震えあがった。そんな偉い人と会って何を話せばいいんだろうか?
『魔法院』は森に囲まれた広大な敷地に広がる一群の建物からなっている。正門の背後にそびえる大きな四階建ての建物が本館らしいのだが、中世の城のような建物を期待していたら、バウハウス建築的なガラス張りのビルが建っていて驚いた。
後で聞いたところによると、一世紀前に『門』が閉じられた際にこちらに取り残されたドイツ人がデザインしたものなんだそうだ。なんというか、おしゃれとしかいいようのない雰囲気だ。
アミッドに連れられて玄関ホールに入ると、ホストファーザーのミョットルさんがにこやかに私たちを出迎えた。
「ハルカが来ると聞いて迎えに来ましたよ」
「あれ、お仕事中じゃないんですか?」
「これも仕事のうちなんですよ。院長室にご案内しますね」
院長の部屋は一階の奥にあった。
彼はノックもせずに院長室のドアを開け、私とアミッドに「どうぞおかけください」と椅子を勧めると、自分は立派な机の反対側の大きな椅子に腰を下ろした。
「ここ、院長室ですよね?」
「はい、そうですよ」
微笑むミョットルさんに、アミッドが私のわき腹をつついた。
「ハルカ、この方が院長だ」
「え……ええっ!」
アミッドはにやにや笑ってる。私の驚愕の表情が面白かったらしい。
「どうかしましたか?」
ミョットルさんが不思議そうに私とアミッドの顔を見比べた。
「……お父さんって院長だったんですか?」
「そうですよ。あれ、言ってませんでしたっけ?」
「お、お父さん? 院長、どういうことですか?」
今度はアミッドが驚いて腰を浮かせた。
「ああ、私はハルカのホストファーザーなのですよ。異国の父という意味です」
「なんと、そうだったんですか」
ミョットルさんが院長だったなんて……。ファンタジー映画に出てくるような大魔法使いを想像してたのに、イメージが違うにもほどがある。『魔法院』の院長ともあろう人が、街はずれの小さな家でつつましやかに暮らしてるとは思いもしなかった。
スーラを吹っ飛ばしたことなんかすっかり忘れてしまうほどに、私は自分の養父が院長だったことに衝撃を受けたのだった。




