留学生、入国
タニファと出会ってから三年後の三月初旬、私は第17期の留学生達を引率してエレスメイアへの『門』を抜けた。
今回の合格者は六人。選考会と研修には私もスタッフとして参加したので、すでに生徒さんとは顔見知りだ。
「やあ、ハルカ。今回は多いね」
私たちの姿を認めてトロが近づいてきた。彼は『門』の番人の一人だ。小銃を抱えた警備員が昼夜見回っている外界側と比べて、のどかなものだ。
背の高い男の腰から下が馬身であるのに気付き、生徒さんたちがざわめいた。
「エレスメイアにもケンタウロスがいるんですね。南の方にしかいないと思ってたのに」
ダニエルの言葉に「ひい爺さんが『壁』ができる前に移住してきたんだよ」と、トロが笑う。
「写真を撮らせてもらってもいいですか?」
「それは入国審査と検疫を済ませてからにしましょう」
生真面目そうな顔を赤くして恥ずかしそうに尋ねるエドウィンに、私は慌てて声をかけた。撮影会が始まると長くなってしまう。
浮足立つ生徒さんたちを引き連れて、門から百メートルほど離れた木造の小屋に向かった。持ち物は外界側で徹底的にチェックされるのでここで引っかることはまずないが、一通りの検査を受けなくては入国は許されない。
電気を使ったものの持ち込みは厳しく規制されている。スマホはもちろん、ヘッドフォンステレオやPCの持ち込みも禁止だ。唯一の例外は代理店から支給されるデジカメのみ。
こちらの人間は私たちが魔法にいだく憧れに近いものを、デジタル機器に対して持っている。簡単にいうとトラブルの元なのだ。
係員二人による荷物の確認が終わると、茶色いローブを纏った銀髪の中年男性が留学生を一人ずつ小部屋に招き入れ、穏やかな声で質問をする。質問といっても入国の理由を聞くわけでもなく、軽い世間話のような内容で、どうしてこれが審査になるんだろうと毎回不思議に思う。
六人全員と話し終えると彼は私に微笑みかけた。
「ハルカ殿、今期はよい感じですな」
「ありがとうございます」
よい感じとはどういう意味なのか分からないまま私は礼を言った。
建物から出ると、表で待っていた派手な紫色の二頭立ての馬車に荷物を積み込む。私物の持ち込みは規制されているので荷物はそれほど重くない。衣類は入国前にこちらのものに着替えてもらっている。
馬車の中から大きなオレンジ色の猫がひょっこりと顔を出した。
「あ、ケロだ」
みんな一次審査の時にケロには会っている。動物好きのシホちゃんが駆け寄って、普通の猫の二倍はあるケロをためらいもせずに抱き上げた。周りの生徒さんも触ったり写真を撮ったりしている。
「尻尾を引っ張らないでよ」
文句を言いながらも、注目を浴びてケロはご満悦だ。こいつはこれが楽しみでお迎えには必ずついてくる。
「この子、ハルカさんの使い魔だったんですか?」
「今のところはね」
『使い魔』という呼び方には語弊がある。私とケロの間にはなんの契約も存在しない。ケロは私が気に入ったから、ここにいるだけだ。いつか飽きたらどこかに行ってしまうんだろう。
生き物を縛って使役する魔法はあることにはあるらしいのだが、使う事は禁じられている。『魔法院』の院長曰く、そんなモノを使うと『ろくな事にならない』からだ。
エレスメイア語で『使い魔』にあたる言葉は『小さな友達』のような意味を持つらしい。私の頭に『使い魔』という言葉と概念があったから、自然とその言葉に翻訳されてしまうのだ。
ポーズをとり慣れたケンタウロスや他の番人達と記念写真を撮り、生徒全員が馬車に乗り込んだ。
「ジャンマー、出して」
忘れ物がないことを確認し、私は茶色い地に白い斑模様の巨大な馬に声をかけた。
「あいよ、嬢ちゃん」
のんびりと馬が答える。
「馬もしゃべるんですか?」
「馬によりますね。普通の馬もいるんですよ」
ジャンマーの相棒のクリーム色の馬は口をきいたことがなかったので、普通の馬だと思ってたんだけど、この間岩に足をぶつけて、「痛っ」と言った。ただ無口なだけだったらしい。
「魔法で走る車があるって聞いたけど?」
「あれはダメだな。あんなのが増えちゃ俺たちゃ、おまんまの食い上げだ」
馬は不満げにブルブルと鼻を鳴らした。ほかにも空を飛ぶ橇のようなものもあるが、ほとんどが軍用か緊急車両として使われている。ゆったりと時間の流れるエレスメイアでは馬とおしゃべりしながら馬車の旅を楽しむのが人気のある交通手段だ。
うちの代理店では生徒さんの移動にはジャンマーたちを雇うことにしている。普段から王都の観光案内を生業にしているので、見どころはよく知っているし、解説だって私なんかよりずっとうまいのだ。
馬車がゆっくりと走り出した。今のところ、スケジュール通りに進んでいる。他の留学代理店からのグループも時間を開けて入国することになっている。
うちの代理店の担当区域はオセアニア及び太平洋上の国々だ。今回選ばれた六人のうち、五人はたまたま二十代だった。女性は二人、日本人のシホちゃんとインドネシアのシスカ。男性陣はサモアのトゥポ、台湾のエドウィン、オーストラリアのダニエル。そして一人だけ五十代後半の日本人男性、山田さん。
つたない英語に頼らなくても、お互いに言葉が通じることに気づいた生徒さん達は興奮気味におしゃべりをしている。
エドウインとシスカの顔色が悪くなってきた。エドウィンはただの乗り物酔いのようだけど、シスカはしきりに頭を振っている。『魔素』酔いを起こしてるようだ。十人いれば一人か二人は『魔素』酔いを起こす。気持ちの悪いものらしいけど、幸い私は味わったことがない。
「これを飲んでください。苦いですけどよく効きますよ」
私は小さな茶色いガラス瓶に入った酔い止めの薬を手渡した。『魔素』酔いは数時間で症状が消えるものだけど、せっかくの異世界の旅が楽しめないなんて気の毒だ。
途中、馬車は小高い丘の上に止まった。眼下には小さな丘が点在する緑の平地が広がっている。公害とは無縁の空気はどこまでも澄み渡り、遠くまでくっきりと見えた。
平地の中央には大きな街が見える。太陽の光が色とりどりの屋根に反射して宝石箱のようにきらびやかだ。白く光る川が街を東西に分断している。北側には遠近感を疑ってしまうほどの巨大な木がそびえたっていた。
「ほれ、あれがエレスメイア王国の王都だよ」
ジャンマーの言葉に、生徒さんたちは馬車から身を乗り出して歓声を上げた。これから彼らは四か月の間、あの街の魔法学校へ通うことになるのだ。