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謎の契約

 息子は不在だし、このおじさんと二人きりで暮らすのか。


 最初のうちは心配だったけど、料理は上手だし、家もきれいに片付いているし、ものすごく居心地はよかった。エレスメイアでは男性も普通に家事をするようだ。その辺りはニュージーランドに似ている。


「亡くなった妻は料理が大変にうまくてね、真似して作ってるんですが、なかなか難しいですね」


 そう言って作る料理がとてもおいしいので、数週間経つと体重が気になりだし、ケロを連れて散歩に行くのが日課になった。


 ミョットルさんは『魔法院』で働いているというだけあって、魔法について詳しい。惜しげもなく色々なことを教えてくれるので、ただ呪文を唱えるだけの学校の授業よりも勉強になった。


 彼の使う魔具はシンプルな金色の指輪のみ。銀色の印の入った杖は持っておらず、『魔法院』公認の『魔法使い』ではないようだ。仕事が忙しいらしく、残業はしないけどよく書類を持ち帰ってくる。それでも夕食後には私のために時間を割いて、エレスメイアの風習について面白おかしく話をしてくれた。


 私が早くこちらの生活に慣れるように、気を遣ってくれているのだろう。実際、どこに行っても戸惑うことばかりだったので、彼の心遣いはとてもありがたかった。



        *****************************************



 入国して一か月ほど経ったある日、私たちは石板を使って、様々な物にかけられた呪文や契約を読み取る授業を受けていた。ケロの説明から推測すると、プログラマーがPCのモニターでコードを読むような感じらしいが、石板を使いこなせる者はあまりいないという。もちろん、どんなに頑張っても能力がなければどうしようもない。


 私は三分であきらめて、才能があったらしいケインの様子を見に行った。彼は興奮した様子で、グレーの石板を見つめている。石板を見つめる彼の目には何が映っているのだろう。彼は私が覗き込んでいるのに気づいて顔を上げた。


「あれ、ハルカ、それは何?」


「聞かれてもわかんないけど?」


 講師のジェドがケインの石板を覗き込んだ。


「あれ、ハルカ。それは……」


 彼の顔色が変わったのを私は見逃さなかった。


「……あなたは猫と暮らしていましたね。何かの約束をしたのではないですか?」


「そうか、ケロとの契約か」


「へえ、面白いね」


 それでクラスメイト達は納得したようだけど、使い魔と私の間に契約など存在しないのはミョットルさんに聞いて知っていた。ジェドは何かをごまかそうとしている。授業の後に聞き出してやろうと思っていたら、彼の方からやってきた。


「ハルカ、あれはなんですか?」


「知りませんよ。私には見えないんだから。何だったんですか?」


「養子縁組の契約です。『ミョットル・カルファフォアレ』があなたの養父になっていますよ」


「私のホストファーザーです。ホームステイの契約はしましたけど……」


 あれ? もしかしてあれは養子縁組の書類だったの?


「私を娘として受け入れないといけないと思ったんでしょうか?」


「僕にはわかりませんが、前例のないことですし気になりますね。『魔法院』に戻ったら院長に尋ねてみます」


 ええ? 院長に報告しちゃうの? ミョットルさん、叱られなきゃいいけど……。


「あの……トラブルになったりしませんよね?」


 この頃には穏やかで気のいいホストファーザーがすっかり好きになっていたので、ものすごく心配になった。


「それはないでしょう。僕が理由を知りたいだけですよ」


 ジェドを疑うわけじゃないけど、やっぱり心配だなあ。ミョットルさんが処分を受けたらどうしよう。



        *****************************************



 家に戻るとすぐに矢島さんに連絡を取った。知らぬ間に養子にされていたなんて、『納豆』級の非常事態だ。


 エレスメイアにも電話はあるのだが、村や町の役場間でしか通話ができない。魔法と干渉するので電話線はなるべく張りたくないのだそうだ。


 急ぎの場合は通信屋が使える。思念を飛ばすことができる『魔法院』承認の『魔法使い』が国中に配置されているのだ。電報のように遠方に急ぎのメッセージを送るには便利なのだけど、通信屋に面と向かって要件を告げるのは恥ずかしい気がする。


 第一、いくら翻訳魔法が便利だからと言っても、納豆を見たこともない人が、納豆という言葉を相手先にうまく伝達できるだろうか? 結局、私は鳥の郵便屋に手紙を届けてもらうことにした。


 私が初めて送った手紙は無事に矢島さんに届き、『追伸』を見た彼は、自ら飛行ぞりを操って留学事務所まで会いに来た。『本部』で働く人間の多くが、滞在許可を持つ『魔法使い』だ。エレスメイア風の丈の長い服を着て、空飛ぶそりを駆る矢島さんは、なかなか格好いい。


「軽々しく契約書にサインをしちゃならんといっただろう?」


 事情を話すと叱られた。


「そんなの、聞いてません。研修はほとんど受けてないんです」


「常識で考えろ。こんなの外界でも同じだろ? お前 留学代理店で働いてたんじゃないのか?」


「はい、確かに……」


 私にも事の重大さが分かってきた。


「まあ、養子になっても問題はないだろう。あちらから家族に迎え入れてくれるなんて、ある意味ラッキーだぞ。もしかして、国籍もくっついてくるんじゃないのか? そうだとしたら凄いことだぞ」


 最初は怒っていた彼も、考えを巡らせるうちにだんだんと興奮してきた。


「でも、日本に家族がいるんですが」


「外界の法律とは関係ないから心配はいらんだろう。まあ親父が二人になっちゃややこしいがな」


「いえ、うちは母子家庭なんで、その心配はないんですけどね」


「ああ、すまん。貰った書類に、家族構成は書いてなかったんだ」


 彼が申し訳なさそうに言った。態度はでかいが、気配りはできる人らしい。


「気にしなくていいですよ。父は私が幼いころに出てっちゃったんです。顔も覚えてませんから」


 矢島さんは上に報告しておくと言って、またそりに乗って戻っていった。



        *****************************************



 家に戻るとミョットルさんが、いそいそと迎えに出てくれた。窓から私の帰ってくるのを見ていたらしい。


「留学事務所に行ったとダングルに聞きました。何かあったんですか? 今日は面談の日ではないでしょう?」


 本気で心配しているようだ。


「もしかしてホームシックなんじゃないですか?」


「違いますよ。知らないうちに養子になっててびっくりしただけです」


「はい?」


「あの書類、養子縁組の届け出だったんでしょう?」


「あれ、言ってませんでしたっけ?」


「聞いてないです」


「ええと、何か問題がありますか?」


 同意も得ずに人を養子にするなんて、問題ありまくりだ。でも、彼の不安そうな顔を見ると、文句を言う気も失せた。


 普通、中年男性に勝手に養女にされていた、なんて事態になったら気持ち悪いなんてもんじゃないんだけど、ミョットルさんに嫌悪は感じなかった。彼には妙な崇高さが備わっていて、理由は何にしろ、不純な動機ではないと信じられた。


 矢島さんは外界の法律とは関係ないと言ってたし、異世界にいる間だけなら、父と呼べる相手がいるのも悪くないかもしれない。


「いえ、ありませんけど……」


「よかった。じゃあ、夕御飯にしましょう」


 彼はにっこり笑うと、先に立って家の中に戻った。



        *****************************************



 渡航先では決して内容のわからない書類にサインをしてはいけない。基本中の基本を忘れると、異国に父親ができてしまったりするのだと、私は身をもって知ったのだった。

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