ハルカの凱旋
「おお、ご無事でしたか」
私たちの姿を認めて、村の入り口で待ち受けていたホウティが駆け寄ってきた。けれども私と目が合うと、彼は落胆の表情を浮かべた。
「ダメ……でしたか」
「ごめんさない。杖の先が裂けてしまったんです」
「え?」
私は重たい杖を肩から下ろして、三つに割れた先端を見せた。
「古い物だったのに無理をさせてしまいました」
調子に乗って手加減しなかったのが悪かったのだ。やっぱり普通の杖を借りるべきだったよ。
「あ、あの、ハーピーはどうなったんですか?」
彼の声はうわずっている。代々大切に保管してきた村の宝をこんなにされちゃ、村長としてはショックだよね。
「ハーピーはハルカ殿が全滅させました」
罪の意識に押しつぶされそうな私の代わりに、シンラが答えてくれた。
「全滅……ですか?」
「はい。巣も壊しましたから、もう残っていないはずです」
「あ、ありがとうございます!」
ホウティが礼を言った途端に、後ろで聞き耳を立てていたらしい村人達が歓声を上げた。狭い入り口から外へと走り出してくる。
私はシンラの背中から滑り降りて、おばば様へと近づいた。伝説の戦士の杖を手渡して、壊したことを詫びたのだが、老婆は穏やかな表情で私に向って頭を下げた。
「これでこの杖も役割を終えました」
「でもこの先、村の危機が来たらどうするんですか?」
「いいえ、村の歴史を紐解いても、今回ほどの危機はありませんでしたよ」
彼女はこれが予言された村の危機であったと信じているようだ。まあ、たいして頑丈な杖ではなかったから、将来本当の危機が来た時のために、もっと質のいい杖を用意した方が村のためにもなるだろう。そう考えると少し気が楽になった。
楽団が賑やかな音楽を奏で出した。村人たちはテーブルを屋外に持ち出して、料理を並べている。そろそろパーティが始まるようだ。
「ハルカさん、食べに行こうや」
女子高生の姿に戻ったノッコが私を呼びに来た。人の姿でいた方が美味しいものがたくさん食べられるのだと言う。杖の件でお咎めはないようだし、私も楽しませてもらっちゃおう。
そう思って、テーブルに近づいた途端、村人達が叫び声をあげて騒ぎ出した。空を指差す人もいるし、洞窟の中に逃げ込む者もいる。
あれ、まだハーピーが残ってた?
彼らが指差す方角を見上げると、ドレイクが舞い降りてくることろだった。竜は入り口から少し離れた小さな空き地に器用に着地した。
私が村人達にドレイクが旅の連れであることを伝えると、彼らはまた熱狂して、竜を取り囲んだ。
「音楽が聞こえてきたのでな。ハルカが戻った頃だろうと思い、飛んできたのだ」
そう言いながらも、ドレイクはその場に体をぐったりと横たえた。少々休憩したぐらいでは疲れは取れないようだ。
村人の後ろからおばば様が進み出て、竜に向かって話しかけた。
「黄金竜殿、我が村に救いをもたらしてくださり、感謝いたしますぞ」
「いや、ハルカが勝手にやったことだ。礼はハルカに言うといい。だが、ここにも竜はおるのだろう? 真っ当な竜がハーピーをあそこまで野放しにしておくとは思えぬのだが」
「守護竜ハルフィナ殿は我らを見放されました。『壁』が出現した当時の村長がロインダスと通じておったと聞いております」
「なんと、それは愚かな真似をしたものだ。あやつは頑固であるからな。なかなか許す気にはなれぬのであろう」
竜を見に行った村人達が戻ってくると、歓迎パーティが再開された。この頃には空腹に耐えられなくなっていたので、感謝を述べに集まってくる人たちの相手をしながらも、食べ物を口に詰め込んだ。
袴田さんはここでも若者たちの興味を引いたが、人に姿を変えたシンラが彼にひっついて回るので、カップルだと認定されたらしい。どちらも誘われることなく、村人たちとの交流を楽しんでいる。水筒のウナギは大きな水桶を借りて中に移してやった。昔のようにたくさんの人と話せて嬉しそうだ。
辺りの森が暗闇に包まれ、パーティがお開きになっても、村人達は中に入ろうとはしなかった。みんなマットレスを持ち出して、屋外で眠ることにしたらしい。ほとんどの人が生まれてから星空をまともに眺めたことがないのだという。
森の奥からはまだ子供達の声が聞こえてくる。初めての外遊びが楽しすぎて、いつまでも戻ってこないのだが、今日だけは大人たちも大目に見てやっているようだ。
私もマットレスを借りて、ドレイクの頭のすぐ隣に敷いた。彼の疲れは溜まっていく一方だし、なんとなく近くにいた方がいい気がしたのだ。
「ここで寝るのか? 俺に気を使わなくても良いのだぞ」
「気なんて使ってないよ。もしもハーピーが残ってたら仕返しに来るかもしれないでしょ。見張ってないとね」
「それはあるまい。俺が奴らなら、とっくの昔に逃げられるところまで逃げているだろう」
「それじゃ中で寝ようかな」
「いや、ここにいてくれ。俺が寂しい」
ずいぶんと素直だな。疲れている竜に嫌味を言う気も起きず、私は毛布の下に潜り込んだ。
「ねえ、守護竜ってドレイクだけじゃないんだね」
「守護竜などというものはいない。人が勝手にそう呼んでいるだけの話だ」
「でも、呼ばれるだけのことはしてるんでしょ?」
「俺たちはハーピーという奴には我慢がならぬのだ、増え過ぎれば殺すこともある。ハーピー同士での殺し合いも珍しくないのでな、あそこまでの大群になったのは初めて見たな」
「あれ、もしかして見てたの?」
「ああ、竜は目がいいからな。爽快だったぞ」
ドレイクは私にしかわからない笑みを口元に浮かべると、目を閉じた。
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翌朝、目を覚ますと妙に顔が暖かかった。ノッコのモフモフなお腹に顔を埋めて寝ていたのだ。その向こうにはシンラが四肢を伸ばして横たわり、袴田さんが背中にもたれて眠っている。
周囲を見渡せば村人達のマットレスがドレイクの周りを取り囲んでいた。外で寝たのはいいものの、冷えてきたので、自然と暖かな竜のそばに集まって来たらしい。
村人達はしきりに引き留めてくれたが、私たちは朝食を終えると早々に出発した。竜の背から岩山を振り返れば、陽の当たる大きな壁面に、白い麒麟に跨った女性と落下するハーピーたちの姿が描かれていた。ずいぶんと美化してあるけど、あれってやっぱり私だよね。杖の先はしっかり三つに分かれてるし。誰が描いたのか知らないけど仕事が早すぎる。
「うわあ、ハルカちゃん、格好ええなあ」
「新しい村の英雄ですね」
並走するシンラの背中から、ノッコと袴田さんが感嘆の声を上げる。
「あの麒麟は私ですか? 大したことはしていないのに、あんなに美しく描いていただいても良いのでしょうか?」
「だってあなたが囮になってくれたんでしょう? 勇気がないとできないことですよ」
恐縮するシンラに袴田さんが暖かく声をかけた。実物のシンラは絵にも描けない美しさなのだけど、彼の自己評価はかなり低めなようだ。
私はスマホを取り出して、記念に写真を撮った。壁画のモデルになれるなんて滅多にない機会だもんね。
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途中、他の集落を見かけることもなく、一時間ほど飛んだところで次の『壁』が現れた。けれどもドレイクの様子がおかしい。今までは『壁』に向かってスピードを上げていたのに、嫌なことを先延ばしにするかのように、ノロノロと飛んでいる。
「ドレイク、どうしたの?」
「ああ、この『『壁』』の向こうはロインダスなのでな、かなり遠くはなるが、回り道をするべきかと考えておったのだ」
「え、そんなに危ないの? 来る時も通ってきたんでしょ? 何かあったの?」
「いや。だが、どうも薄気味悪い場所なのでな。それに今回は俺一人ではない。お前達を危険に晒したくはないのだ」
「ドレイク殿、それが賢明かもしれませんよ」
水筒の中から ウナギが声を上げた。
「『壁』が現れる以前も、ほとんどの隊商は迂回路を使っておりました。ロインダスは関税が高い上に治安も悪く、役人の不正が横行しておりましたので、まっとうな商人は近づきたがらなかったのです。その反面、盗賊や禁制の品を扱う者たちの取引は盛んに行われていましたけどね」
でも、これ以上時間をかければドレイクの疲労が限界まで達してしまうかもしれない。それこそエレスメイアに戻れなくなってしまうかも。
「ドレイク、このまま進もうよ」
私は竜に声をかけた。
「何が襲ってきても、私がぶっ飛ばしてあげる。だから早く家に帰ろう」
 




