森を飛ぶ
再びタイムゾーンを飛び越えたらしく、西に傾きかけていた太陽は、頭の上に戻ってしまった。
今度はどこに出たんだろう?
見渡す限り森がどこまでも広がり、所々、ゴツゴツした岩山が頭を出している。豊かな森に見えるのに生き物の姿はまばらだ。時折見かける鳥たちも竜の姿を見ると木々の間に隠れてしまった。
「ねえ、トイレ休憩しようよ」
私はドレイクに声をかけた。
「砂漠じゃなかなか行けなかったでしょ?」
本当は用を足したかったわけじゃなく、少しでもドレイクを休ませようと思ったのだ。けれども森は途切れることなく続き、巨大な竜が降りられる場所はなかなか見当たらない。ようやく頂上が平らになった大きな岩山を見つけ、小休止することができた。
「ここからは自分で走ります」
後ろ脚を伸ばしながらシンラが宣言した。ドレイクの背に揺られているだけでは我慢ができなくなったらしい。
「まだ疲れているのでしょう? 本当に大丈夫なんですか?」
袴田さんは半信半疑だ。
「ええ、麒麟というのは走らなくては死んでしまう生き物なのです」
「え、そうなんですか? そりゃ大変だ」
「いえ、そのぐらい走るのが好きだという意味ですよ」
彼の顔から血の気が引いたので、シンラが慌てて言い直した。
「袴田殿とノッコ殿も乗ってください。一緒に走りましょう」
「重くないですか?」
「いえ、あなたなど軽いものですよ」
ということで、シンラは袴田さんとノッコを背に乗せて竜と並走し始めた。森の木々の梢ギリギリまで高度を落としたかと思えば、太陽の中の小さな点になるほどに高く舞い上がったり、『壁』を越えた衝撃からはすっかり立ち直ったようだ。
どういう原理なのかは知らないが、麒麟という生き物は四本の脚を動かして宙を駆けることができる。シンラの速度が増すにつれ、純白の身体から放たれる光も輝きを増して行った。走らなければ死んでしまうというのはあながち嘘ではないのかもしれない。それとも夢見ていた『壁』の向こうの世界を好きな人と共に走る喜びを体現しているんだろうか?
シンラの広い世界への憧れは疑いもなく本物だ。けれども彼には長の後を継ぐという重い責任があったのだ。真面目な彼に最後の一歩を踏み出させたのが袴田さんであるのは間違いないんだけど、鈍感な彼が気づくことはまずなさそうだな。
後部座席が静かになって、ドレイクと二人きりだ。黙っているのもなんとなく気まずくて、私は話題を探した。
「この辺りには人は住んでないの?」
「昔は小さな集落が森の中に点在していたのだ。南に行けばこの国の王都があるのだが、今はどうなっているのだろうな」
「王都ってことは王様がいたんだね」
「ああ、王都と言っても小さなものだが、王家の歴史はエレスメイアよりも古い。この国もエレスメイアと同盟を結んでいたな。大した産業はないが、良質の土が取れるので、焼き物が盛んであった。『門』が開いていた頃は外界との技術交流も行われていたと聞くな」
質問をすれば尋ねた以上の答えが戻ってくる。サリウスさんの個人講義を思い出すな。まあ、彼本人と話しているわけだから当たり前のことなのだけど。
四六時中一緒にいると、彼との距離をどう取ればいいのかわからなくなってしまう。一応仲直りっぽいこともしたし、正体を知ってからも、彼に愛情を感じている。けれども騙されたことへの腹立ちは簡単には消えそうもないし、将来への不安も拭えない。とりあえずはこの旅を無事に終わらせて、エレスメイアに着いてから徹底的に話し合うしかないのだろう。
光の化身のように駆けるシンラと比べ、ドレイクの速度は確実に落ちてきていた。それからも空き地を見つけるたびに渋る竜を説き伏せて休憩を取らせた。
「ねえ、今日はもう休もうよ」
午後も遅くなると、ドレイクのスピードはますます遅くなった。出発地の時間に直せばもうとっくに日は暮れているはずだ。黙り込み気味な竜を見ていられなくなって声をかけたのだが、彼が素直に同意したところをみると、相当疲れていたのだろう。
私達は大きな湖を見つけて、湖岸に着陸した。飛行中も村でもらったお菓子をボリボリ食べていたので、お腹は空いていなかったけれど、それでもキャンプらしく火を起こして、流木の上に腰をおろした。足の下に地面があるって素晴らしい。
「なあ、まだ明るいし、探検に行こうや」
ノッコの提案に袴田さんとシンラが勢いよく立ち上がった。疲れていても未知の土地への好奇心は抑えられないようだ。
「森の中を見て来てもいいですか?」
袴田さんが瞳を輝かせて湖を取り巻く森に視線を向ける。生き物を見かけてないからって、危険なものが潜んでいないとも限らないよね。
「危なくないかな?」
「いざとなったら私に乗って逃げればいいですよ。足の速さには自信があるのです」
反対されては大変とばかりに、シンラが飛び跳ねて見せた。
「ああ、お前がいれば危険はないだろう」
ドレイクも同意したので、一人と一匹と一頭は森の中へと散策へ出掛けて行った。再び二人きりになったところで私は竜に話しかけた。
「’ねえ、しばらくここに滞在しない? 疲れが取れてないんでしょう? 食べ物はたくさんあるからのんびりしても大丈夫だよ」
「いや、戻ってからゆっくりと休みたい。あと『壁』を二つ越えればエレスメイアだ」
「そうなの? それなら明日中には着くかな?」
「ああ、明日の晩には家に戻れるぞ」
なんだ、思ったよりも近くまで来てたんだ。それなら寄り道せずにさっさと戻った方が良さそうだな。
「ちょっと足を伸ばしてくるよ」
肩の荷が降りると、身体を動かしたくなった。鞍の上に座りっぱなしでお尻が痛いし、空を飛ぶ緊張で足もガチガチだ。明日も座りっぱなしになるのだから、歩ける時に歩いておきたい。
「ああ、迷子になるなよ」
ドレイクはそれだけ言うと、地面に首を横たえて目をつぶってしまった。
私はウナギの水筒を抱えて、湖の岸に沿って歩いた。湖は深い緑色で大きな生き物が潜んでいてもおかしくはない雰囲気だ。岸辺は入り組んだ形をしておりて、歩き進むうちに小さな入江にたどり着いた。
私は水筒を持ち上げて、周りの景色をウナギに見せた。
「キレイな場所だね。ここで泳ぐ? ずっと水筒の中にいるのもしんどいでしょ?」
「そうですね。ちょっと身体を伸ばしてきます」
水筒を傾けるとウナギはするりと滑り出て元の大きさに戻った。私も靴を脱いで、水の中に足を浸す。ここからだと木々に隠れてドレイクの姿が見えないな。心配させてもいけないから、もう少ししたら戻ろうかな。
そう思っていたのに、いつの間にか岩にもたれて眠ってしまっていたらしい。耳を刺すような不気味な叫び声に驚いて飛び起きた。あの声には聞き覚えがある。
空を見上げれば、真っ白い姿が頭の上をよぎった。袴田さんとノッコを乗せたシンラが矢のように駆けていく。そして、その後を追うのはハーピーだ。それも十羽近くが群れになっている。
白い麒麟は湖面スレスレを光のように直進する。彼の足は速く追いつかれる心配はないものの、ハーピーに付き纏われるなんて、気分のいいものではないだろう。
退治してやろうと思って気がついた。しまった、杖を持っていないんだった。それなのに、シンラはいきなりこちらに向きを変えた。一直線に私に向かって走ってくる。
どうしていつも必要な時に杖がないんだろう。仕方なく地面に落ちていた大きな木の枝を掴み、先頭のハーピーを狙って呪文を唱えた。
木の枝はバラバラに裂けて吹っ飛んだけど、ハーピーの方もバラバラになって湖に落下した。もう一本枝を拾って二羽目を吹き飛ばすと、残りのハーピーたちはギャーギャーと騒ぎながら森の方へ飛んで行ってしまった。ただの木の枝でも結構使えるものだな。今後のために覚えておこう。
「ハルカさん、ありがとうございました。おかげで助かりました」
目の前にふわりと舞い降りると、麒麟は礼儀正しく礼を言った。
「ハーピーは嫌いなんだ。でも、あなたの脚なら余裕で逃げ切れたでしょ?」
「はい。ですが、悪意のある生き物に追いかけれられたのは初めてなのです。ドキドキしてしまいました」
「ええ、怖かったですね」
袴田さんもシンラの首にしがみついたまま、額に汗をかいている。
「『スレイヤー』のハルカさんやったら余裕で倒せると思ってな、連れて来たんや」
ムジナが嬉しそうにシンラの背中から飛び降りた。頼ってもらうのはいいけど、杖を持ってなかったんだけどね。
「そろそろ戻ってご飯にしようよ」
私がウナギを水筒に戻していると、一団の男たちが森から走り出てきた。
「’な、なんですか?」
慌てて木の枝を拾って彼らに向けると、男たちは持っていた杖を地面に置いて、両手を高く上げた。敵意はないという意思表示だ。こういうジェスチャーは外界とあまり変わらない。
「旅のお方、ハーピーを倒していただいてありがとうございます」
リーダー格の男が私に向かって頭を下げた。
「見てたんですか?」
「はい、森の中からこの方たちが追われるのを見ていたのです。我らの呪文では倒すことはできませんから、指を咥えて眺めているしかありませんでした。そうしたら、あなたが二頭も倒されたので、これはお願いするしかないと……」
「’お願い……ですか?」
「残りのハーピーも退治していただけないでしょうか? 数を減らしてくれるだけでも構いません。我が村はもう何十年もの間、ハーピーに苦しめられています。私たちの攻撃魔法では追い払うのが精一杯でして、森の中を移動するだけでもこの有様なのです」
こんなところで害獣駆除を依頼されるとは思わなかったな。旅の途中に魔物の退治をお願いされるなんて、ゲームの冒険者みたいで格好いい。受ける気は満々だったけど、一応、ドレイクにも相談するべきだろう。
「連れに相談してみます」
ドレイクのところまで歩いて戻るのも面倒なのでシンラに伝言を頼むと、彼は数分で戻って来た。
「ハルカ殿の好きにされると良いとおっしゃっていました」
自分の姿を見てハーピーが警戒するといけないので、駆除が終わるまでは動かずにいるという。奴もなかなか気が利くな。
私はウナギの水筒を抱えると、袴田さん達と共に彼らの村に向かった。




