別れ
部屋に戻ってソレイべさんからもらった飛行服に着替えた。せめてものお礼にと外界から持ってきたキャンディや煎餅をベッドの上に残していく。一泊しただけなのに、この村に愛着が湧いてしまったな。いつの日かまた戻ってくることはあるんだろうか? ドレイクに頼めば連れてきてくれそうだけど、あの疲れ具合を見れば、気安くお願いするわけにもいかない。
荷物を持って広場に戻ると、村の人たちがドレイクの鞍に食料や水の袋をくくりつけてくれていた。毛布や日用品の入った袋も運ばれてくる。
いつの間にか飛行バイクやそりに乗った村人たちも集まってきて、ドレイクから少し離れたところで待機していた。ハツリウライも上空をクネクネと舞っている。みんなで『壁』まで見送りに来てくれるのだと言う。至れり尽くせりのおもてなしにお礼を言って回り、ついでに記念写真も撮った。
最後にお礼を言いたかったのに、一番お世話になったソレイベさんとトルナタジュの姿が見当たらない。どこに行っちゃったんだろう?
「名残は惜しいが、先はまだ長い。そろそろ行くぞ」
ドレイクに声をかけられて、私たちは彼の元へと集まった。
「ハルカさん、うちの制服、バックに入れてくれるか?」
ノッコは再びムジナに戻り、私は彼女の服を地面から拾い上げた。何にでも感動する袴田さんは彼女の変身を目の当たりにして感銘を受けたようで、ムジナを抱き上げて眺め回した。
「化けられるなんていいですよね。ノッコさんはどちらが本当の姿なんですか?」
「うちもよう分からんのや。こっちの格好やと服を着んでええから楽やけどな」
「え、服ですか? ああ、失礼しました」
ノッコが裸だと気づいた袴田さんは慌てて彼女をドレイクの首の上に下ろした。そんなの気にしてたら『魔法世界』ではやっていけないんだけどな。それを言っちゃうとドレイクや麒麟たちだって裸だし。
袴田さんに助けられて、私もドレイクの背中によじ登った。鞍にまたがり、腰に巻いたベルトにハーネスをつけてもらう。私と袴田さんの間にはノッコのために小さな籠が取り付けらていた。中には柔らかい布が敷かれていて快適そうだ。いいなあ、私もムジナになって、籠の中に入りたい。
出立の支度が整うと居残り組の村人たちが最後の挨拶にやってきた。長老の斜め後ろには村の重鎮らしきお年寄り衆に交じってシンラが控えている。次期村長としての彼の定位置なのかな。
「ドレイク殿、お急ぎのところ、我が村に立ち寄っていただき大変に感謝しております」
長老は微笑みを浮かべたまま、竜に向かって頭を下げた。
「いや、礼を言うのは俺の方だ。引き留めてもらって感謝している。俺の連れが大変に世話になったな」
「閉ざされた世界に暮らす私たちにとって、客人を迎えるのは何よりの喜びでございます。年々『壁』が厚くなり、世界は狭くなるばかり、平穏な日々もいつまでも続かぬだろうと危惧しておりましたが、また竜が人と飛ぶ日が来るとは、何かが変わるのかも知れませぬな。再び会える日を楽しみにしておりますよ」
彼の笑顔を見ていると、すぐにまた会えそうな気がしてくるな。本当に戻って来られればいいんだけど。
「長よ。私も見送りに出ても構いませんか?」
シンラの問いに長老は明るい笑顔を浮かべ、彼の肩をポンと叩いだ。
「ああ、もちろんだとも。ゆっくりしていらっしゃい」
「では、ドレイク殿、私もお供させていただきます」
言い終わらないうちに、そこにはトルナタジュとたいして変わらぬ大きさの麒麟が立っていた。けれども身体の色は真っ白い。頭の先から尻尾の先まで純白の白麒麟だ。
「うわ、きれい!」
思わず声をあげると、シンラは礼儀正しく頭を下げて礼を言った。
「ありがとうございます。とても珍しい毛色なのだそうです」
「本当に美しいですね。昨夜は星明かりでしか見えませんでしたが、こんなに真っ白だったんですね」
袴田さんの賞賛に麒麟は戸惑ったようにもじもじとしたが、黙ったまま頭を下げると、ドレイクの邪魔にならない位置へと下がった。
「よし、では行くか」
ドレイクがいきなり身を起こしたので、私は慌てて鞍の前に取り付けてある木製の手すりを握りしめた。地面が遠くなっただけで胃がきゅっとする。竜は広場の端の斜面へと歩いていって翼を広げた。
「ハルカ、飛ぶぞ。大丈夫だな?」
「大丈夫じゃないけど、飛ばないと帰れないんでしょ?」
「その通りだ」
竜は笑い声をあげると翼を打ちおろし、峰の間を吹き抜ける風に乗って舞い上がった。はらわたが捩れるような不快感を堪え、目を閉じて手すりをしっかりと握りしめる。
「ハルカさん、見て! みんなが手を振ってるで」
ノッコの声に薄目を開くと、村の上空を旋回しているところだった。広場から見送りの飛行ソリが次々と離陸していく。居残り組の人たちがこちらを見上げて手を振っていた。長老の姿も見える。手すりから手を離すのは怖いので、手を振り返すのは袴田さんに任せておこう。
ドレイクは村の上を二周すると太陽に背を向けた。旋回が終わると揺れも落ち着いたので、景色を楽しむ余裕ができた。幸いドレイクの首は太いので真下は見えない。ブラブラする鎧ではなく、しっかりとした広い足台に足を乗せられるのはありがたかった。手すりといい足台といい、私が怖がらないようにと職人さんが取り付けてくれたらしい。
村人たちのソリも次々と追いついてきた。こんなにたくさんのソリが一度に飛んでいるのはエレスメイアでは見たことがない。ここでは険しい山地に暮らす人々の生活の足になっているのだ。
昨夜の若者たちのソリと並んで、シンラもドレイクのすぐ隣を並走している。真っ白いたてがみをなびかせて走る麒麟はうっとりするほとに優雅で美しく、何枚も写真を撮ってしまった。
しばらくするとどこからか「ハルカさーん!」と呼ぶ声が聞こえてきた。声の出どころを探して振り返れば、三頭の麒麟が私たちを追ってくる。トルナタジュとその息子たちだ。トルナタジュの背中にはソレイベさんがまたがっていた。二頭の小柄な麒麟は昨日見た次男と三男だろう。二頭とも父親とよく似た配色だが微妙に色合いが違う。
トルナタジュはみるみるうちに距離を詰め、ドレイクの頭に並んだ。背に乗ったソレイベさんがドレイクに声をかける。
「ドレイクの旦那、ハルカさんにお渡ししたいものがあるんですよ」
「そうか。ではあそこの尾根に降りよう」
「いえ、それには及びませんよ。あたしが上に降りちゃっても構いませんかね?」
「それは構わぬが……」
麒麟がついとドレイクの首に近づき、次の瞬間、私は悲鳴をあげそうになった。ソレイベさんが麒麟の背からドレイクの首へと飛び移ったのだ。
彼女は首の上を軽業師のように移動してくると、私の前にかがみ込んで、ショルダーバッグの中から布の包みを取り出した。
「ほら、これを使ってくださいな。今受け取って来たんですよ」
受け取って開いてみれば飛行乗りが使うようなゴーグルが二つ入っている。
「うわ、格好いいですね」
私の肩越しに袴田さんとノッコが覗き込んでいる。
「これがないと目が渇いちゃうでしょ? レンズには呪文をかけてありますから、うっかり太陽を見ても眩しくありませんよ」
そう言う彼女の首からもゴーグルがぶら下がっている。彼女のはずいぶんと年季が入っているようだ。
「これ、貴重なものではないんですか?」
鋲や金具には精細な竜の模様が彫り込んである。こんな高価そうなものを気安く貰ってしまう訳にはいかない。
「あたしたちからのプレゼントですからね。貰ってもらわなきゃ困ります。下の村の職人に徹夜で作ってもらったんですよ。鞍にも風よけの魔法はかけておきましたが、全部は防げませんからね」
「ええ、わざわざ頼んでくれたんですか? こんな素敵なものをありがとうございます」
「皆さんは『壁』の外からの初めてのお客様ですからね、我々にもできるだけのことをさせていただきたいのです」
手を伸ばせば届きそうな距離まで近づいて来たトルナタジュが、真面目な口調でそう言ったけど、鼻をヒクヒクさせている。無意識に私の匂いを嗅ごうとしてるのかな。私は自分のバッグからストールを引っ張り出して、ソレイベさんに差し出した。飛行機の中で使おうと持ってきていたのを思い出したのだ。
「大したお礼はできないんですけど、よかったらこれを貰ってください」
「おや、気を遣って貰わなくても良いんですよ。旅の途中にお引き止めしたのはこちらなんですからね。それから、これは父からです。後で開けてくださいね」
長老から? なんだろう? 手渡された小さな巾着袋を胸のポケットにしまいこんで、私はもう一度お礼を言った。
「それじゃあ、ハルカさん、ドレイク殿とお幸せにね」
そう言うなりソレイベさんがドレイクの首から飛び降りたので、私は今度こそ本当に悲鳴を上げた。
恐る恐る下を覗けば、ソレイベさんは子麒麟の背にまたがっていた。この家族は普段からこんな曲芸めいたことをしてるんだろうか?
シンラが近づいてくると、恥ずかしそうに謝った。
「母が驚かせてすみませんでした。母上、お客人の前ですよ、悪ふざけはおやめください」
「おやまあ、お前は真面目過ぎて心配になるね。たまには羽目を外さないとそのうちに後悔するよ」
子麒麟の背に乗って舞い戻ってくると、彼女は再びトルナタジュの背中に飛び移った。最近太り気味だというソレイベさんは子麒麟には少し荷が過ぎのだろう。小さな麒麟はせいせいしたと言うように空中でぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「ほれ、あんた。ハルカさんがこれをくださいましたよ。よかったですね」
ソレイベさんがトルナタジュの首に私のストールをぐるぐると巻きつけると、麒麟は嬉しそうに鼻を鳴らした。
「ハルカ殿、ありがとうございます。西方の人参果を彷彿とさせる芳しき香りですな」
「ああ、父上、人前で嗅ぐのはやめてください」
白い麒麟のいたたまれない様子に袴田さんがくすくすと笑った。
「素敵なご両親じゃないですか。僕の両親は仲が悪かったので羨ましいですよ」
そのまま、大声で彼らと会話を続けながら、私たちは一直線に西に向かった。カラフルな麒麟たちと白く輝くシンラは宙を駆ける姿も美しく、私はまたスマホで写真を撮った。魔法で充電できるので、バッテリー切れの心配がないのはありがたい。
1時間ほど飛ぶと前方に灰色のゼリーのような『壁』が現れた。
「私共がご一緒できるのはここまでですな。またいつかお会いいたしましょう」
名残惜しそうにそう言うとトルナタジュは速度を落とした。ぐんぐんと離れていく村の人たちに向かい、私たちは口々に礼を言って手を振った。
けれどもシンラだけはそのまま私たちの隣を走り続けている。
「袴田殿……」
彼は真っ白い頭を袴田さんに向けたが、そのまま黙り込んでしまった。
「シンラ、どうしたんですか?」
袴田さんが戸惑ったように彼に問いかける。
「いえ……次にお会いするで日まで、どうかお元気でいてくださいね」
「ええ、いつか『壁』がなくなる日が来たら一緒に旅をして回りたいですね」
そう無邪気に答える袴田さんの鈍感さに少々苛立ちを感じてしまう。シンラの気持ちに気づかれては困るのだから、矛盾した感情なんだけど。
「そのような日が来ればどれほど素晴らしいでしょうか。それでは、皆様、旅のご無事をお祈りいたしております」
麒麟は寂しそうにひん、と一声鳴くと、スピードを緩め、私たちから遠ざかって行った。
「よし。では行くぞ」
ドレイクは翼を大きく羽ばたかせると、目の前に迫った『壁』に勢いよく突入した。




