魔法学校へ
翌日は魔法学校の初日。目が覚めたらレイデンはすでに支度を始めていた。
「おはようございます。まだ早いですよ。もう少し寝ててください」
「もう起きるよ。レイデンは眠れたの?」
「ええ、よく眠れました。ハルカの隣だと気持ちよく眠れるんですよ」
彼はすぐに照れるくせに、こういう恥ずかしいセリフは平気で口にする。でももう落ち込んではいないようだ。
初日には私とレイデンが、生徒さん達に付き添って学校まで送っていく。翌日からはステイ先から各自で登校してもらう。王都までは乗合馬車が出ているし、通勤する村人の馬車に乗せてもらう事もできるので、交通手段には困らない。
馬車が正門から学校の敷地に乗り入れると、生徒さん達は歓声を上げた。校舎は外界のネオゴシック様式で建てられており、外界人の私たちが思い浮かべる魔法学校のイメージにはぴったりだ。
だが『エレスメイア王立魔術及び魔法にかかわる周辺知識を学ぶ学校』は由緒正しい歴史ある学校などではない。外界からの留学生受け入れのために、ほんの七年前に創立したばかりなのだ。この校舎も元々は個人の邸宅だったのを、国が買い上げたものだ。
ジョナサンが言った通り、この学校の目的は留学生の能力を調査することだ。もちろん生徒さん達は知らないけれど、私は正直に話す必要はないと思っている。私が通った時も楽しかったし、外界に戻ってもどうせ魔法は使えない。素敵な思い出を作ってもらえればそれでいい。
「やあ、みなさん、いらっしゃい」
出迎えた講師に生徒さん達を紹介した。私も留学中にお世話になった『魔法院』研究員のジェドだ。ハンサムで物腰も柔らかなので生徒さんにも人気がある。彼も生徒さん達との交流を楽しんでいるようで、毎年講師役を志願してくれる。講師によって使える魔法が違うので、ほかにも三人の常勤講師がいる。
他の代理店からの生徒さんも次々と登校してきた。『本部』の研修で一緒に過ごしたのでみんな顔見知りだ。
「うち、今回、嫌なおやじが混ざっててさあ」
前置きもなくジャニスが話しかけてきた。彼女は北アメリカ地区担当の代理店に四年前から駐在している。大量の水を自由自在に操るというスーパーヒーローのような能力があり、滞在許可の持ち主だ。
「大魔法使いにでもなったつもりらしくて、浮かれちゃってさ。鬱陶しいのよね。ここには『魔法使い』しかいないっていうのにさ。それにしてもあなたの所はいつも楽でいいわね。うちは毎回多いからさあ、忙しいったらありゃしない」
愚痴の後はいつも嫌味が続く。
アメリカ合衆国、ロシア、中国の三国出身の留学生は特に多い。国が受験者に助成金を出すので、審査を受ける人数が圧倒的に多いのだ。自国に一人でも多くの『魔法使い』を確保しようという魂胆が丸見えなのだけどね。
ジャニスのところも十人中七人がアメリカ人だ。メキシコ人とカナダ人がおまけのように混ざっている。
確かに従業員二人で十人の面倒を見るのは大変だとは思うけど、彼女の嫌味の本当の原因はレイデンだと分かってるので、同情したフリをして聞き流す。害獣退治の能力しか持たない私が非の付け所のないイケメンを捕まえたのが、羨ましくて仕方ないらしい。
全員が揃うと留学生達はホールに集められ、入学式が行われた。講師代表のジェドが歓迎の言葉を述べるだけの短いものだ。その後、二つのクラスにわけられた生徒さん達は、校内のツアーを終えてホームルームの教室に入った。
代理店の職員が手分けして、三十センチ程の長さの杖を一人一人に手渡す。『ワンド』と呼ばれるタイプのものだが、ここで配られるのは、こちらの子供が練習に使うのと同じで飾りも何もついていない。
杖などの魔法の施行に使われるアイテムは『魔具』と呼ばれ、魔力を集中させるのになくてはならないものだ。
最初の数週間はたいした呪文は使わないので小さな杖で間に合うが、ある程度、呪文にも慣れてくると、『スタッフ』とも呼ばれる長い杖が渡される。こちらは魔力の強い者が使うものとされているが、見栄を張りたくて持ってる人もいるので一概にはいえない。
小さな魔法には指輪も使える。わざわざポケットから杖を出すのは面倒なので、大人には指輪の方が人気があるが、初心者だと指を怪我することもあるので、生徒さんには杖を使ってもらうのだ。
「むやみに振らないでくださいね。危ないですから」
『魔素』に満たされたこちらの世界では、生徒さん全員が『魔法使い』なのだ。自分の能力を把握していない状態で杖を振れば何が起こるかわからない。
次に教科書を配布した。母国語ごとに中身が違うので、名前を確認しながら配っていく。教科書といっても、呪文とそれについての簡単な説明が何百ページにも渡って延々と続いているだけだ。エレスメイアの文字で綴られた呪文の上に、それぞれの生徒さんの母国語で読み方が書かれている。発音の難しさはハンパではなく、校正が大変だったと聞いた。
「ホームステイ先では呪文を唱えないように。今までにも何件か事故がありました。その場合、即、強制送還になりますからね」
事故を起こしたのは王宮の門番をしていたリチャードだ。強制送還どころか、その事件のお陰で滞在許可が下り、近衛隊での就職が決まったのだけど、そんなことを生徒さんに話すつもりはない。
生徒さん達が落ち着いたところで、早速授業が始まった。留学期間は短いのだから一刻も無駄にはできない。まずは基本中の基本、光を『呼び出す』魔法を習う。私たちが部屋の照明に使う魔法だ。これは翻訳魔法のようにほとんどの『魔法使い』が使える魔法で、呪文を唱える必要すらない。
みんな順番に立ち上がり、講師に言われたとおりに杖を振る。部屋の中がぼんやりと明るくなるたびに、歓声が上がった。
ここでつまずく生徒さんは今まで見たことがない。後ろの席に座って報告書を書いていたら、突然、強い光で視界が真っ白になった。刺すようなまぶしさに思わず目をつぶり、身体を折り曲げる。部屋中から悲鳴が上がった。
「はい、抑えて、抑えてください」
ジェドの冷静な声が聞こえ、やがて閉じた瞼越しに光が収束していくのが感じられた。
恐る恐る目を開くと、部屋の中が薄暗く思えた。ゆっくりと顔をあげて、部屋の中を見渡す。杖を右手に握ったまま、呆然と突っ立っているのは山田さんだった。
ドアが開いてレイデンが駆けこんできた。部屋の中を見渡し、私の姿を認めてほっとした表情になる。
「何があったんですか?」
「ああ、レイデン、大丈夫ですよ。彼は光に好かれているようですね」
ジェドは、山田さんに微笑みかけた。
「もう一度やってみましょうか。窓をほんの少しだけ開くようなイメージで光量を調節するんです」
「はい」
え、またやらせるの?
ジェドの言葉に、山田さんはもう一度杖を持ち上げた。不思議なほどに落ち着いた表情をしている。生徒さん達も私も慌てて目を覆ったが、今度は柔らかい光がふんわりと部屋を明るくしただけだった。
「はい、いい感じですよ」
「ありがとうございます。いやあ、面白いものですねえ」
山田さんは満足そうに腰を下ろした。
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魔法と呼ばれるものには様々な種類がある。私たち外界人にとって比較的理解しやすいのが、外界における電気のように、動力やエネルギー源として使われる魔法だ。物を動かしたり、火をおこしたり、空を飛んだり、エレスメイアでは生活の基盤を支えている。
外界側では、『魔素』について理解が進めば、この辺りの仕組みは解明できると考えている節がある。とは言え、現在の科学力では『魔素』を検知することさえできない。『魔素』の存在を感じる事ができるのは、魔力を持つ者だけなのだ。
そして、この目で見ても信じられないのが、物の本質を変えてしまう魔法。卑金属を黄金に変えるどころか、生き物を別の生き物に変化させることすらできる。外界の法則など完全に無視した、まさに魔法としか呼びようのない技だ。
私がそれよりも凄いと感じるのは、人と人との絆を結んだり、運命を動かしたりする魔法。幸運を祈ったり、呪ったり、ごく弱いものなら誰にでも使えるが、強力な呪文を行使するには高い能力が求められる。
もちろんこれは魔法のうわべしか見えない外界人の私の勝手な分類で、『魔法院』の見解とは異なるものだ。魔法には階層があって、底の方で色々『繋がって』たりするそうなんだけど、私には意味がわからない。
まあ、理解できない私にだって使えちゃう魔法はいっぱいあるんだけどね。
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帰りの馬車の中、生徒さん達の士気は高かった。自分に魔力がある事を、初めて実感したのだから無理もない。学校初日の感想を尋ねた後、ステイ先で問題がないか確認する。
「とても居心地がいいです。みんな親切だし、ごはんもおいしいし。幼虫みたいなのは残しちゃったけど」
真っ先にシスカが答えた。
「無理に食べなくても構わないですが、慣れるとおいしいんですよ。ニュージーランドでもよく似たのを食べるんです」
「夜になると大きなトカゲみたいなのがお腹に乗ってくるのでなかなか眠れないんです。頼んだら足元で寝てくれましたけど」
次にエドウィンが報告してくれた。今日も寝不足気味に見えたのはそのせいか。
「あそこ、よくトカゲが出るんですよ。ファミリーに注意してもらいますね」
「あれ? あの家の使い魔じゃないんですか?」
「いえ、野良トカゲが入ってくるんです。暖かいところが好きなんですよ。窓にかけたトカゲ除けの呪文が切れちゃってるんでしょう」
色々戸惑うこともあるようだけど、六人全員がそれなりに満足しているようだ。今回のホームステイ先はベテランの家庭ばかりなので、安心して任せられる。
三年前に私がステイした家庭は留学生を受け入れるのは初めてだった。私の方もろくに研修も受けずに放り込まれたため、こちらの常識なんてわからない。結果、トラブルどころではない事態が起きてしまったのだ。