旅の支度
気がついたら目を開けて薄暗い天井を見つめていた。布団に入った時は広間からの物音が聞こえていたのに、今はしんと静まりかえっている。まだ朝じゃないと思うんだけど、時差ぼけで早く目が覚めたのかな?
あれれ、この部屋の天井ってこんなだったっけ? 木片がパズルのように組み合わされた天井を眠りにつくまで眺めていた記憶があるのに、今見ている天井は漆喰で白く塗られているように見える。寝てる間に違うところに移動したの? ここはどこ?
頭を持ち上げてみると、見覚えのあるクローゼットが目に入った。ここはサリウスさんの家の二階の寝室だ。どうして私、ここにいるの? 指の先に温もりを感じてそちらに寝返りを打てば、そこにはサリウスさんの寝顔があった。
私の視線を感じたかのように彼の目がゆっくりと開く。
「……どうした、ハルカ。眠れないのか?」
彼は腕を伸ばして私の頬にそっと触れた。
「サ、サリウスさん?」
「……どうかしたのか?」
「え、ええと……あなたとは長い間会ってなかった気がして……」
「おかしなことを言うのだな。ハルカとは毎週欠かさず会っているではないか」
「そう……ですよね。変な夢を見たからそのせいだと思います」
「どのような夢を見たのかな?」
「い、いえ、気にしないでください」
「そう言われるとますます気になるな」
「恥ずかしいから話せません。それに絶対にありえない夢だったんですよ」
「夢というものはそんなものではないのかな。気になって私の方が眠れなくなってしまうではないか」
彼は上体を起こして緑の瞳で私の顔をじっと覗き込んだ。聞き出すまでは諦めないつもりだな。
「じゃ、笑わないで聞いてくださいよ。夢の中のサリウスさんはドレイクだったんです」
「それはどういう意味なのだ? ドレイクが私に化けていたとでもいうのかな?」
「そうなんです。ね、ありえない話でしょ?」
「私の正体が守護竜であったと言うのか。それは賛辞ととっても良いのだろうか?」
「え? ええと……」
王侯貴族よりも位は上だとはいえ、私にとってドレイクは友達だ。賛辞にはならない気がするんだけど、サリウスさんは嬉しそうだし、それは黙っておこう。
「仮にそれが真実であったとしたら、ハルカはどうする? 私はフラれてしまうのかな?」
「さあ、どうでしょうね? 夢の中ではすっごく怒ってたんですけどね……」
あれれ? どうしてそんなに怒ったんだったっけ? 凄く酷いことをされた気がするんだけど、細かいところまでは覚えてないや。夢なんてすぐに忘れちゃうものだよね。
私の戸惑った様子にサリウスさんが笑った。
「疲れた顔をしているな。さあ、もう眠らなくてはダメだ」
有無を言わさぬ態度で、彼は私の首まで毛布を引っ張り上げた。
「あの、眠るまでくっついててもいいですか?」
「眠ってからもくっついてくれていいのだが……」
甘えられたのが嬉しかったらしい。彼は笑顔で私を抱き寄せて、額にキスをしてくれた。
「おやすみなさい。サリウスさん」
「ああ、ハルカ、次は良い夢を見るのだぞ」
サリウスさんは暖かいな。彼の温もりに包まれていると、この世で一番安全な場所にいるような気持ちになれる。彼の胸に頭を押し付けて、私は眠りに落ちた。
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次に目を開くと天井は元の寄木細工に戻っていた。おかしな夢を見ちゃったな。妙にリアルで細部まではっきりと覚えている。
それにしても、サリウスさん、格好良かったなあ。何もかもリセットしてあの頃に戻れたらいいのに。で、サリウスさんとドレイクが別人であってくれたら何の問題もなかったのに。
表がやけに騒がしいな。目が覚めたのはこのせいか。窓を開けてみたけど、騒ぎは広場から聞こえてくるようで、この部屋からは何も見えない。急いで着替えて表の広場に出てみれば、首を伸ばして地面に横たわるドレイクの周りに大勢の人々が群がっていた。
何が起きたの?
「ドレイク!」
「おう、ハルカ」
私が駆け寄ると、何事もなかったかのようにドレイクが頭を持ち上げた。
「おい、旦那、動いちゃ困りますぜ」
「おお、すまんな」
背中の上の男性に叱られて、彼は慌てて地面の上に首を横たえた。
「ハルカ殿、おはようございます」
竜のすぐそばに立っていた長老が笑顔で振り返る。
「あの、何をしてるんですか?」
「ドレイク殿に鞍を取り付けているのですよ。時間があればきちんと作らせるのだが、馬の鞍を流用したのでな。座りごこちはあまりよくないかもしれませんな」
見上げれば茶色い皮の鞍が二つ、ドレイクの首の付け根のでっぱりの間にうまくはめ込んであった。あの鞍にまたがるの? 怖いんだけど。
「ずっと俺に握られているのも嫌だろう?」
私の気持ちを読んだように、ドレイクが笑う。
「それはそうだけど、滑り落ちたりしないかな」
「大丈夫だ。ほら、ハーネスをつけてもらってる」
「姉ちゃん、切れねえようにしっかり呪文もかけとくからな。安心して乗ってもらっていいぜ」
背中の上の職人らしき男性が威勢よく太鼓判を押してくれた。竜は不可侵の生き物のはずなのに、最近のドレイクは人間に触られまくってるな。
「お茶の効き目はいかがでしたか? 良い夢を見られましたかな?」
長老が私に尋ねた。
「え、あのお茶、本当に夢を見せてくれるんですか?」
「ええ、自らの望む物を夢に見ると言われておりますな。他にも冷え性に効くなどの効用もありますよ」
「そ、そうなんですか」
じゃ、私の望んでたのはサリウスさんの添い寝だったってこと? 頬が熱くなるのを感じて慌ててドレイクの方に顔を向けたらそこにはノッコが立っていた。
「ハルカさん、おはよう。顔が赤いで。風邪でもひいたんか?」
「え? ううん、大丈夫」
「ふふ、良い夢を見られたようですな」
何もかもお見通しだと言った顔で長老が笑った。もう、恥ずかしいなあ。
長老はドレイクの上の職人と話をしに行ってしまったので、私はノッコに話しかけた。
「昨日はどうだったの? 星はきれいだった?」
「うん、凄かったわ。あんなにたくさん星を見たんは初めてや。ハルカさんも来たらよかったのに」
「ソリは苦手なんだ。っていうか飛ぶのは全般苦手なの」
「そういえば、空飛ぶおっちゃんにもそう言うとったなあ。うちはみんなと一緒にソリで戻ってきたんやけどな、袴田さんとシンラはもっと先に行ってしもうてん」
「え、そうなの?」
「シンラと袴田さん、めちゃ話が合うみたいやな。ずっと二人でしゃべってんねんもん」
参るなあ。遠くに連れ出されて、星空の下で迫られたりしたのかな? 人のいい袴田さん、ちゃんと断れたんだろうか?
「ハルカさん、おはようございます」
明るい声に振り返ると今度はソレイベさんが立っていた。
「これをお渡ししようと思ってたんですよ」
笑いながら差し出したのは美しい刺繍の入ったキルティングの服と帽子だった。
「北の遊牧の鷹乗り達が着る服なんですよ。これなら高い空の寒さもへっちゃらです」
「こんなきれいなの、貰ってしまってもいいんですか?」
彼女はおかしそうにふふふと笑った。
「あたしが麒麟に乗って空を飛ぶ時に使ってたんですけどね、最近太っちまったもんで、これはもう着れないんですよ。ハルカさんが使ってくれれば服も喜ぶってもんです。おや、袴田殿もお目覚めですね」
彼女の視線を追って振り返ると長老の家から袴田さんが出てくることろだった。もうすでに私が貰ったのと同じような飛行服に着替えている。彼に付き従うようにすぐ後からシンラも出てきた。
イケメンが並んで歩いてくるのは素敵な眺めなんだけど、この二人、一夜を共にしちゃたんだろうかとそっちの方が気になってしまう。
「皆さん、おはようございます。僕だけ寝坊しちゃったみたいですね」
袴田さんが朗らかに挨拶をしてくれた。いや、この感じだと昨夜は何もなかったな。
「袴田殿、よく眠れましたか? うちのシンラに質問責めにされてるんじゃないかと心配してたんですよ」
ソレイベさんがにこやかに声をかけた。彼が自分の息子の想い人だと気づいているんだろうか?
「いえ、僕も聞きたいことはたくさんありましたからね。彼とは遅くまで話し込んでしまったんですよ」
「はい、袴田殿に外界やエレスメイアのお話を聞かせてもらっていたのです」
シンラが相槌を打つ。
「僕たちは今日でお別れですからね。話せるだけ話そうと思ったんですが、眠ってしまいましたね」
袴田さんが申し訳なさそうな表情を見せた。
「良いのですよ。袴田殿はこれから旅をなされるのですから、しっかり休んでいただかなくては。寝不足ではドレイク殿からおっこちてしまいます」
そう言って微笑んだシンラは少し寂しげに見えた。長老の言った通り、自分の気持ちを伝えるつもりはないのだ。出会った瞬間から失恋が決まっているのは気の毒だけど、こんなに素敵な人なのだから、これからいくらでも出会いはあるだろう。
今朝も村人たちが食べ物を持ち寄ってくれた。食べ切れない分は道中に食べろと包んでくれる。それとは別に大きな食料の袋も用意されていた。こんなに貰ってもエレスメイアに着くまでに食べ切れるとは思えないのだけど、旅の途中に何が起こるかわからない。ありがたくいただいておこう。
食事が終わるとドレイクの様子を見に行った。鞍を取り付ける作業は終わっていたが、竜は地面にゴロリと寝転んだままだ。昨夜、告白めいた事を言ってしまった上に、添い寝される夢まで見ちゃったので、すごく気恥ずかしい。
「ねえ、あなたは私の食べる物のこととか考えてくれてた? ずっと握っていくつもりだったの?」
「そうだな。なんとかなるだろうと思って深くは考えなかったな。水さえあればしばらくは死なんだろう?」
やっぱり。ここで引き止めてもらってなかったら、危ういところだった。
「ハルカも産後はダイエットをしたいと言っていたではないか」
「そこまでして痩せたくないよ」
私は背伸びをしてドレイクの頭をコツンと叩いた。誰よりも博識なくせにどこかズレてたサリウスさんは、やっぱりまだこいつの中にいるらしい。




