麒麟男と甘酒
麒麟って神獣だよね? 神獣がセクハラってどういうことよ?
トルナタジュは私の首筋に顔を深く埋めた。と、思ったら、すううっと鼻から息を吸い込んだ。『ふうう』と満足げに吐き出すと、再びそれを繰り返す。
も、もしかして、私、吸われてるの? 猫みたいに?
「これ、あんた! そこまでだよ」
いきなり現れた恰幅の良い女性が麒麟男の襟首を掴んで私から引き離し、私は彼の腕から解放された。
「うちの亭主が大変失礼致しました。匂いフェチなもんでね」
そう言いながら、私と彼の間に割り込むように腰をおろす。
「これ、そのような下品な言い方はおやめなさい」
彼女の言葉に、トルナタジュは憤慨した様子で鼻を鳴らした。
「ハルカ殿は極上の香りがしますのでな。どうしても誘惑に抗えなかったのですよ」
「それを世間様じゃ匂いフェチって言うんだよ。確かにハルカさんは良い匂いですけどね、あんたがこんなにくっついちゃ黄金竜の旦那が気を悪くしちまうよ。わざわざ外界まで迎えに行くほど、惚れてらっしゃるんですからね」
この人たち、ドレイクの旅の目的を知っているようだ。彼が話したのかな? 勝手に美談にされてしまっては、嫌々ながら付き合わされてる私としては面白くないんだけど。
それにしても、麒麟まで惑わしてしまうとは、私の匂いってよほど凄いんだな。魔犬のピャイが怯えたのは、私が竜の子を身籠っていたせいじゃないかと疑っている。きっと今はまた元の匂いに戻っているんだろう。
「ハルカさんに失礼がないようにとハツリウライからも言われていただろう? あんたがそんなのでどうするんだい?」
厳しい口調でたしなめられて麒麟男がしゅんと頭を垂れる。なるほど、村人が遠慮がちだったのは私がドレイクの伴侶だと思われていたからなのか。
「あなた方はご夫婦なんですね」
ドレイクの話はしたくなかったので、話題を変えようと質問すると、女性が顔を赤らめた。
「あら、自己紹介もせず失礼いたしました。あたしゃ、長の娘のソレイベと申します。この麒麟とは連れ添って20年になりますね」
人懐こい笑顔を浮かべて、彼女は夫の腹を小突いた。トルナタジュの頬に赤みが刺したところを見れば、夫婦仲は良いのだろう。この村の人たちの名前はエレスメイア人ほど長くない。覚えやすくて助かるな。
「そうだ。ハルカさん、うちの自慢の甘酒を飲んでないでしょう」
彼女がいきなり立ち上がり、近くのテーブルから素焼きの瓶を持ってくると、大きな器になみなみと注いだ、
「さ、どうぞ」
「あの、今日はお酒は……」
「いいじゃないですが。飲めないわけじゃないんでしょ? 今夜はもう眠るだけなんですからね」
「ハルカ殿、この酒は村の特産なのですよ。どうか試してみてください」
熱い口調で二人から勧められては断り切れるものではない。アルコールを飲みたい気分ではなかったが、器を受け取って少しだけ口に含んでみた。
「うわ、美味しい」
「でしょう?」
思わず声が出るほど美味しかった。日本の甘酒に似ているけど、南国の果物のような芳醇な香りが口一杯に広がる。喉越しも柔らかくて、いくらでも飲めてしまいそうだ。
「こんなに美味しいお酒、飲んだことありません」
私は正直な感想を述べてまた一口飲んだ。
「昔は方々から買い付けに来られていたそうなんですけどね。忌々しい『壁』のおかげで、ご近所の村にしか卸せなくなってしまったんですよ」
ソレイベさんが残念そうに言った。
「他にも村があるんですね」
「ええ、下の方にもいくつか集落がありますよ。山の上は冷えるのでね。野菜や穀物は下の村から仕入れてるんですよ」
「人はたくさんいるんですか?」
「数は多くありませんね。ここは『壁』ができた時に、帝のいらっしゃる帝都から切り離されてしまったのですよ。元々人が少なかった上に、多くの住人が向こう側に移り住んでしまいました」
エレスメイアでも『壁』が閉じる前にほとんどの人が王都に移動したと言ってたな。やっぱり地方に取り残されるのは不安だったんだろう。
「『壁』の向こうがどうなっているのかご存知なんですか?」
「いえ、ここの竜たちはまだ若く、ドレイク殿のように『壁』を越えることができないのです。『壁』が薄いうちは麒麟にも越えられたのですが、この厚さになってしまうとどうしようもありません」
トルナタジュが首を横に振る。竜にも力の差があるんだな。ドレイクって何年生きてるんだろう?
「いくつも『壁』を越えてしまうとは、さすがドレイク殿ですな。かの偉大なエレスメイアの黄金竜をこの目で見られる日が来るとは思ってもいませんでしたよ」
そう言って彼はドレイクの方へ頭を向けたが、その眼差しは羨望に満ちていた。
「それにしても、外界まで飛んで行ってしまうなんてねえ。ドレイク殿はよっぽどハルカさんが恋しかったのでしょうね」
ソレイベさんもうっとりと竜に目をやる。悪意のない言葉なのはわかっているのだけど、ラブロマンスのように語られると苛立ちを感じてしまう。私は一気に甘酒を飲み干した。
「だからって迎えに来られても困るんです。私は迷惑してるんですよ」
思わず出た本音に、その時やっと気づいた。
このお酒、ヤバい奴だ。
これだけ飲んでしまったらもう手遅れ。私は麒麟夫婦に向かってサリウスさんに出会ってから卵を産むまでの顛末を事細かに語り始めていた。
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「なるほどねえ。そりゃ、ハルカさんがお怒りになるのもごもっともですよ」
私の話を頷きながら聞いていたソレイベさんは、私の手をぎゅっと握った。
「美男に化けるだなんて、ズルいったらありゃしませんね。この人にもやられたんですよ。ま、あたしには効き目はなかったんですけどね」
そう言って彼女は豪快に笑う。
「え、トルナタジュさんも同じ手を?」
「この人、父と仲が良かったんでね、幼い頃から背中に乗せてもらっていたんですよ。で、成人したその日に人の姿でプロポーズしてきてね。でも、あたしはゴツいタイプが好きだったもんで、最初は嫌だって断ったんです」
私はトルナタジュのご尊顔に目をやった。これに耐性があるなんてソレイベさんも只者ではないようだ。
「それなのに、ほんとしつっこくてさ。結局、卵を産む羽目になっちまったよ」
「え、ソレイベさんも卵を産んだの?」
「あたしの場合は『婚姻の契約』を結んでからだったから、別に驚きゃしなかったけどね。ほら、あそこを見てくださいな、あれがうちの次男と三男でさ」
指差した先を見れば、利発そうな顔をした少年が二人、村人に混じってドレイクを眺めている。
「お子さんは人の姿なんですね」
「ええ、でも麒麟にもなれるんですよ」
トルナタジュが誇らしげに言った。
「ほれ、これが最新版さ」
言いながらソレイベさんが前掛けのポケットから取り出したのは緑色の卵だった。竜の卵によく似ているな。それにしても麒麟って卵生だったのか。
「もう一つ欲しいですねえ」
甘えるようにトルナタジュが彼女に頭を寄せる。
「この子もまだ孵ってないっていうのに、いい加減にしておくれ。四人もいれば十分だろう?」
彼女は呆れた表情で、また麒麟男の脇腹を小突いた。
「あたしゃ、そろそろ片付けをしてくるよ。あんたは子供達を見張っててちょうだいね。もうハルカさんを嗅ぐんじゃありませんよ」
彼女はトルナタジュの頬にキスをすると立ち上がった。
「ハルカさん、うちはあの大きな家です。寝床は用意してあるからいつでもお休みになってね」
「ありがとうございます。そうさせてもらいます」
「ああ、それから、ドレイク殿のことですけどね。卵が産まれたんでしたら大丈夫ですよ」
「え?」
彼女はにっこり笑うと、そそくさと立ち去った。それがどう言う意味なのかわからないまま、私は彼女の背中を見送った。
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話し込んでいる間にあたりは薄暗くなっていた。黙って寝に行くのも気が引けるので、私はドレイクに声をかけに行った。竜は首と尾を身体に巻き付けるようにして、じっとしている。『魔素』のない外界に行ったせいで体力を消耗したのだろう。
「もう寝るよ。長老のお宅に泊めてもらうの。また明日ね」
「おやすみのキスはしてくれないのか?」
ドレイクが頭を持ち上げた。
「そういうのやめてくれる? 私が付き合ってたのは『サリウスさん』なの。金ぴかの嘘つき竜なんかじゃなくてさ」
「まだ怒っているのだな」
「あんなことされて簡単に許せるはずないでしょう? 卵のために利用されたって信じてたんだよ。どれだけ惨めだったかあなたにわかる?」
甘酒の効果が残っているのか、恨みつらみが次々と溢れ出す。
「ああ、酷いことをしてしまったのはわかっている」
「せっかく実家でのんびりしてたのに、外界にまで来られて迷惑してるの。あなたとこれからどうしたいのかもわからない。この先の事はエレスメイアに戻ってから考えるよ」
「この先の事? それはどういう意味だ?」
「さあね。自分の頭で考えてみたら?」
さっさと家の中に入って扉を閉めた。あんな仕打ちをしておきながら、恋人のようにふるまおうとするドレイクにカチンと来た。正直なところ、迎えに来られて悪い気はしなかった。でも、卵を産んでからの二か月間を思い出すと、怒りしか湧いてこない。
ああ、むしゃくしゃする。さっさと眠って忘れてしまおう。




