表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/154

埠頭の竜

 車が止まったとたん、群衆が動き出した。携帯電話を頭上にかざし、警官の警告も効き目がない。車の周囲の人は避けようとしてくれているのだが、様子を見ようと後ろの人たちが押してくるので動こうにも動けないのだ。後続の護衛の車両からも自衛官が顔を出しているが、何もしようとはしない。竜を刺激してはまずいので、上の指示を待っているのだという。


 この人の壁を掻き分けてドレイクの元まで歩いて行くのは骨が折れそうだな。覚悟を決めてドアを開けようとした時、人々が空を指さして叫びだした。窓から上を見上げれば空を人が飛んでいる。車に向かって舞い降りてきたのは小さなおじさんだった。


「山田さん!?」


 私は車のドアを押し開けて隙間から外に出た。


「お久しぶりです。家が近所なものでね。お手伝いできることはないかと思って……」


 山田さんは三メートルほど上空から私に話しかけた。


「私がいるってわかったんですか?」


「ええ、ぴぴっと感じましたよ。あなたがここにいるってね。『魔素』のおかげだと思うんですが……」


「凄いですね」


 山田さんの事だからそういう能力があったって不思議はないな。


「ドレイクのところに行きたいのでしょう? これじゃ、動けませんからね。私が運びますよ」


「そうしてくれれば助かります」


 空を飛びたくはなかったが、背に腹は代えられない。群集のぎりぎり上を飛ぶぐらいなら耐えられるだろう。


 とにかく人でぎゅうぎゅうなので、私は車のボンネットによじ登った。山田さんがふわりと隣に着地する。


「では、ちょいと失礼しますよ」


 山田さんは私を抱え上げると、まっすぐに舞い上がった


「うわ、降りてください! 高いところは苦手なんです」


 私は彼の首にしがみついた。


「おや、そうでしたか。じゃ、降りましょう。その小さいの、落っことさないでくださいよ」


「え、うちが見えるんか?」


 パーカから顔を突き出していたノッコが驚いた声をあげた。


「見えますよ。かわいらしいですね」


 やっぱり、山田さんは凄いな。


「山田さん、スーパーヒーローみたいですね」


「私、娘に馬鹿にされてましてね。魔法を使えるなんて嘘なんだろうって言うんです。ちょっと格好つけさせてくださいよ」


 彼の能力はエレスメイアでの滞在を許されるほどのものだ。家族がいるからと彼は戻ることを選んだ。せっかくの才能を生かせないのは辛いだろうと心配したんだけど、時々送られてくる山田さんの手紙からは日本での生活を目一杯楽しんでいる様子しか伺えなかった。この人はきっとどこにいようと幸せを見つけちゃうんだろうな。


「ドレイクの前に下ろせばいいですか?」


「はい、お願いします」


 金色の竜がぐんぐんと近づいてくる。何層にも積み上げられたコンテナや巨大な重機に囲まれていても竜は存在感を放っていた。ドレイクってこんなに大きかったんだ。


 私たちが近づくのを認めて、ドレイクが四つ足で立ち上がった。山田さんは恐れる様子もなく、竜の足元に軽やかに着地した。


 私はドレイクの頭に向かって大声で怒鳴った。


「ドレイク! 何の用なの?」


 私の呼びかけに答えるように、竜が勢いよく首を伸ばしたので、ムジナはおびえた声を上げてパーカに潜り込んだ。


「お前を迎えにきたに決まっているだろう。勝手にいなくなるので驚いたではないか。早く戻って来い」


「はあ? いなくなったのはあなたの方でしょ?」


 ドレイクは馴れ馴れしく頭をさらに近づけて来る。まるで自分の持ち物を回収しに来たかのようだ。


 何が早く戻って来いだ。いい加減にしろ!


 突如、沸点に達した怒りに任せ、竜の鼻面を殴りつけた。指輪が青い火花を放つ。竜は頭を仰け反らせたかと思うと、そのままべったりと地面に頽れてしまった。ざまあみろだ。


「ハルカさん?」


 山田さんの声に我に返った。痛みを感じて自分の手に目を落とせば、指輪がなくなっている。細身の指輪が壊れてからは、昔から使っていた太めの指輪をはめていたのに、魔法の出力に耐え切れず弾け飛んでしまったのだ。


 観客たちは呆然として、倒れた竜を眺めている。悲鳴を上げる人や拍手をしている人もいたが、大半の人々は状況が飲み込めず、立ち尽くしているだけだ。


「いたたた……」


 頭を地面に転がしたまま竜がうめいた。指輪に込められる魔法なんて知れている。大したダメージは受けていないはずなのに、竜は動こうとしない。動けばまた殴られると思っているのだ。


「何もしないから動いてもいいよ」


「本当だな」


「周りの人を怖がらせないようにゆっくりとね」


 竜は言われた通り、そろそろと頭を持ち上げた。


「まだ怒っているのか?」


「当たり前じゃないの。今までどこに行ってたのよ?」


「ほんの二ヶ月ではないか」


「二ヶ月ってねえ」


 そう言ったとたん、予期せず涙が溢れて来た。


「ハルカ、なぜ泣く?」


「どうして一人でトカゲの卵を育てなきゃならないのかと思ったら、情けなくもなるでしょ?」


「何を言っているのだ? 俺がいるだろう?」


「いなかったじゃないの」


「お前がイライラしていたから、しばらく離れた方がいいと思ったのだ。あまり刺激して卵を喰われては困る」


「それがいなくなった理由?」


「そうだが」


「卵なんか食べるわけないでしょ?」


「だが、ずいぶんと荒れていたではないか」


「騙されて妊娠したら怒るに決まってるじゃないの」


「ええ? なんですって? それは酷い」


 山田さんが口をはさんだ。『魔素』のおかげで私達の会話が分かるのだ。


「娘を持つ身としては許せませんね」


 彼に指を突きつけられてドレイクはひるんだ。


「そ、それは悪いと思っている。だが、俺はどうしてもハルカが欲しかったのだ。他に手段はなかった」


「欲しかったのは卵でしょ?」


「違う。俺はただお前に愛されたかっただけなのだ」


 ドレイクは鼻先を私の頬にぐいと押し付けた。


「俺と戻ってこい」


 竜の皮膚は温かい。数日ぶりに『魔素』に包まれて、私の感覚は鋭敏になっている。彼の想いが触れている箇所から伝わってくる。彼の言ったことは真実だ。この竜は本当に私を求めているのだ。


 山田さんが手を伸ばしてドレイクの鼻を押しのけ、私と竜との間に割って入った。


「あなた、調子のいいこと言っちゃって、ちゃんと責任持てるんでしょうね? ハルカさんを泣かせるようなことがあれば、わたしゃ、黙っちゃいませんよ」


「ああ、約束する。だが、ハルカが戻ってきてくれないことには責任の持ちようもない」


「ハルカさん、こう言ってますが、どうしますか?」


「そうですね。腹は立ちますけれど、ここにドレイクを置いておくわけには行きません。とりあえず、エレスメイアに戻ります」


「そうしてくれ。外界に長居しては痩せてしまうからな」


 そうだった。急がなきゃ。


 観客たちは私たちのやり取りを固唾を呑んで見守っている。食べられるんじゃないかと心配してるのか期待してるのかわからないけど。


「ええと、それじゃ、ドレイクは先に戻っててくれるかな? 私も飛行機ですぐに帰るから」


「ああ? ここまでわざわざ飛んできたのだぞ。お前が一緒でなければ俺は帰らない」


 やっぱり。


「私さ、高いところは苦手だって言ったよね」


「さっき飛んでいたではないか」


「全然高くなかったでしょ? あれでも怖かったんだからね」


「怖がらせないように飛ぶから大丈夫だ」


 それ、絶対に無理な気がする。


 けれども、そう言ってる間にもドレイクからは『魔素』が溶け出し続けているのだ。


 私は覚悟を決めた。


「わかった。一緒に帰るよ。絶対に落っことさないって誓ってよ」


「案ずるでない。俺がハルカを落としたりするものか」


 竜は鼻から熱い息を吹き出した。安請け合いに不安は感じたが、こうなってしまったからには彼を信じるしかなさそうだ。


 私は袴田さんに電話を入れた。


「ドレイク、一人じゃ帰らないって言うんで、私も一緒に戻ることになりました」


「そうなんですか? じゃ、荷物を持っていくんで待っててください」


 この際、郵送してもらおうかとも思ったけど バッグの中にはノッコの私物も入ってるし、あの謎の杖も残してきた。『本部』経由で送れば中身を調べらてしまう。途中で着替えだって必要になるかもしれないし、おやつの袋も入ってる。持って行くしかないな。


「お願いします。杖も忘れないでくださいね」


 通話を切ったら、すかさず携帯が鳴り出した。母からだ。


「テレビに映ってるの、あんたでしょ? びっくりしたわ。それは噛まないのね」


「うん、よく馴れてるから大丈夫」


「隣のおじさんが別れた彼氏なのかい?」


「ええと、違ったみたい。でも、竜を連れて帰らないといけなくなったから、このままエレスメイアに戻るね。私だっていうの、内緒にしててよ」


「わかってるよ」


 もう一つの携帯が鳴りだしたので、母との通話を切った。今度は矢島さんだ。


「さっきから誰と話してるんだ? どうして俺に先に連絡を入れない?」


 彼もTVの報道やSNSで私たちの様子を見守っていたらしい。相変らず『本部』内は大騒ぎのようだ。外界に突如現れた竜に関して、各方面から問い合わせがあるのだろう。


「すみません。袴田さんに業務連絡してたんですよ」


「そっちはどうなってるんだ? うまく竜を説得できたのか?」


「はい、今から連れて帰ります。ええと、ドレイクがどのルートで戻るのかわからないので、私の入管の手続きは……」


「そっちは任せておけ。竜がついていれば心配はいらんと思うが、気を付けて戻れよ。道中、ちゃんと報告を入れるんだぞ。わかったな」


 通話を切ると、私は山田さんに礼を言った。


「山田さん、ありがとう。すごく格好よかったです」


「お役に立てて何よりですよ。ハルカさん、またお会いしましょうね」


 彼はいつものにこやかな笑顔を浮かべた。これで娘さんに馬鹿にされることはないね。


 その時、観衆の方角から明るい光が差し込んだ。袴田さんが群衆を掻き分けてこちらに向かって来る。光は彼の掲げた杖から発せられていた。


「通してください!」


 『魔法使い』の存在に気づいた人々は慌てて道を開ける。ロープを乗り越え、息を切らせて彼が走ってきた。右手には自分の杖を握り、私のバッグと杖を左腕に抱えている。


 礼を言って荷物を受け取ろうとしたら、彼の手がぶるぶると震えている。どうしたのかな? もしかして竜が怖かったの?


「袴田さん、大丈夫ですか?」


「ハルカさん、あ、あの……」


「どうされたんですか?」


「……僕も、僕も連れて行ってはもらえませんか?」


「え?」


「もう嫌なんです。こんなこと続けてはいられません」


「ハルカ、誰だ、この男は?」


 上から私たちの様子を見ていたドレイクが袴田さんに頭を近づけた。


「 『ICCEE(アイシー)』日本支部の袴田さん。広告担当なんだけど、やりたくない事ばかりやらされて辛いんだって」


 ドレイクは彼の顔をじっと見つめていたが、やがて鼻からふっと息を吐いた。


「ふむ、わかった。お前も来るがよい」


「あ、ありがとうございます!」


 袴田さんが嬉しそうに頭を下げる。


「でも、滞在許可がないから追い返されちゃうかもしれないよ」


「案ずるな。俺が連れて来たとなれは何人も拒絶はできぬ」


 そういや、竜は国王や『魔法院』よりも偉いんだった。守護竜自らに招待されたとなると、エレスメイア側も受け入れない訳にはいかないだろう。


「では行くぞ」


 ドレイクは上体を持ち上げて、右の前足で袴田さんを掴み上げた。群衆から悲鳴が上がる。


「だいじょうぶでーす!」


 袴田さんが杖を振って、よく通る声で無事をアピールした。


「今から竜をエレスメイアまで送ってきますね」


 人気『魔法使い』の袴田さんだと気付いた群衆から拍手と歓声が沸き起こる。


「みなさん、竜が飛びますよ。危ないから離れててくださいね。後ろの方の人たちにもゆっくりと下がるように伝えてください」


 彼の指示に従って群衆はじわじわと後退し始めた。


「慌てちゃダメですよ。事故があっちゃいけませんからね。報道の皆さんもご協力をお願いします」


 悪名高いドレイクに握られているのに、笑顔を振り撒いているその姿は伝説の大魔法使いのようだ。 この人が広告塔に選ばれたのには、見た目以外にも理由もあったんじゃないのかな。


 感心して彼を見上げていると、いきなり金色のウロコに覆われたごつごつした指が私の身体に巻き付いた。


「ちょっと、握りつぶさないでよ」


「案ずるな。だが痛かったらすぐに言えよ」


「ええ? ドレイク……」


 そのとたんにドレイクは翼を広げ、一気に空へと駆け上がった。悲鳴がこみ上げるのを必死で押し殺す。


「や、やだ、怖いってば。嘘つき!」


「落ち着け。落としやしない」


 はらわたがひっくり返る。ぐんぐん離れていく地面を見ると気が遠くなりそうなので、上を見上げれば目の前に報道のヘリが飛んでいた。ドレイクはまっすぐにヘリに向かって突っ込んでいく。 


「ドレイク、避けて!」


 その瞬間、ヘリの姿が掻き消えた。慌てて見回せば港の景色もなく、私たちは穏やかな海の上空にいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ