ドレイク出現
ノッコの姿は私以外には見えない。新幹線も無賃乗車だ。乗り込むと彼女はすぐに車両の間のデッキに『魔素』封じの呪文をかけた。小さな空間に籠った方が『魔素』の消費が少なくて済むのだ。
デッキの床に座り込んでスマホを取り出した彼女を残して、私は客室に入った。席に座ったとたんに矢島さんから電話がかかってきた。
「おい、ハルカ。もうドレイクが着いちまったぞ」
「え、東京に? いくらなんでも早すぎやしませんか?」
ジェット機でもないのに、こんなに早くドイツから飛んで来れるものなの?
携帯を耳に当てたまま再びデッキに出た。 日本政府と『ICCEE』の日本支部が連携して対策に当たるという。私には『ヘリで拾うから、自宅の近所の小学校の校庭へ出向け』との指示が出たらしい。
「今、新幹線に乗ったところなんです。たまたま東京に遊びに行く途中だったって言って断ってもらえますか?」
危うくヘリに乗せられるところだったよ。さっさと家を出て正解だったな。
「ドレイクはどこをどう飛んできたんですか? エレスメイアの『門』は通過してないんでしょう?」
「それがさっぱりわからないんだ。突然に目黒区の上空に出現したらしい」
どういうこと? 自分で『門』を開いたの?
「とりあえず、迎えをよこすから品川で降りろ。どの車両に乗ってる?」
私が詳細を伝えると、彼は室内の誰かに向かってドイツ語で話しかけた。『本部』内はさっきよりも騒がしくなっている。レイデンがまだいるのか気になったけど、私たちの会話が聞かれていてはまずいので尋ねなかった。
「ところで、私が日本にいるのを知ってる人ってどのぐらいいますか?」
「俺より上の奴らは知ってるからな。かなりの人数になると思うが、どうかしたのか?」
「いえ、矢島さんって案外下っ端なんですね」
「ああ?」
実家の前で見つけた杖が気になったので聞いてみたのだが、これでは誰が置いたのか特定するのは難しそうだ。これも帰ってから院長に相談するしかないな。
通話を切ると、ノッコが私の顔にスマホの画面を押し付けて来た。
「ねえねえ、これ見て。東京にドラゴンが出て大騒ぎやって。エレスメイアから来たんやろ?」
SNSのサイトが金色の竜の映像に埋め尽くされていた。久しぶりに見るドレイクの姿だけど、背景に東京の街並みが映っていると合成画像にしか見えないな。
「あのね、今からあの竜のところにいって、エレスメイアに連れて帰らなきゃならないの」
彼女には何も話していなかったことを思い出し、簡単に事情を説明した。
「え? ハルカさんあれを連れて帰るんか?」
「うん。それでね、ドレイクと一緒ならあなたもこっそりエレスメイアに入国できると思うんだ」
「なるほど、竜と一緒に帰るんか。それは面白そうやなあ」
怖がるかと思いきや、ノッコは嬉しそうだ。京都に送り返さずに済みそうだとほっとしたところで、いきなり携帯からアラート音が鳴り響いた。画面に緊急速報のメッセージが浮かび上がる。
東京にエレスメイアの竜が出現したが、観光に来ただけだからパニックを起こさず通常通りの生活を続けましょう、という内容だ。
観光だってさ。矢島さん、私の言ったこと、そのまま流しちゃったんだ。
竜の名前は公表されていないにもかかわらず、誰もがドレイクの名を書き込んでいる。そりゃ、外界で名前が知られている金色の竜といえばドレイクしかいないよね。凶悪竜と呼ばれているだけあって、不安を口にする人も多い。
ドレイクが暴れることはないだろうけど、あれだけの巨体なのだから、うっかり建物を壊してしまわないとも限らないし、そんなことになれば、嫌でもパニックが起きる。一刻も早く連れて戻らないとまずいな。
自分の席に戻り、じりじりとした気持ちでスマホを眺めた。動画サイトには次々と最新の情報がアップされている。リアルタイムで竜の動向がわかるのはありがたい。ドレイクは渋谷の上空を横切り、新宿のビル群をかすめるように飛んだ後、レイデンの予言通りにスカイツリーの周りを一周した。わざわざ目立つところを飛ばなくても十分に目立っているのだけど、これは私に見つけて欲しいというアピールなのだろう。
母からも電話がかかってきた。
「いやねえ、あんな大きなトカゲ」
母は爬虫類系が大の苦手なのだ。あれが孫の父親だとは話せそうにない。
「あなたは成田に向かってるんでしょ? 東京は大騒ぎだけど、大丈夫なの? 悪い竜だってテレビで言われてるけど……」
「そんなことないよ。あの竜はエレスメイアの守護竜なんだ。おとなしいから危険はないよ」
母を心配させたくなくてそう言ったけど、本当はテレビの情報が正しい。あいつは私を騙して裏切った極悪竜だ。どの面下げて私を探しに来たのやら。
もうすぐ品川だとアナウンスが流れた。ドレイクはしばらく方々を飛び回ったあげく、どこかの埠頭に降りたようだ。そのまま動かないでいてよ。
私は荷物を持ってノッコのいるデッキに出た。彼女は目をキラキラさせてドレイクの情報を追っている。
「 『ICCEE』の人が車で出迎えてくれるんだって。あなたも気付かずに車に乗れるかな?」
「昼間やし誤魔化しにくいかもしれんなあ。しゃあない、ハルカさん、うちの服とバッグ、持ってもらえるか?」
そう言うなり彼女の制服がばさりと床に落ち、中から猫よりも一回り小さな生き物がもぞもぞと這い出してきた。ノッコがムジナに姿を変えたのだ。
「純血やないけど、ムジナにはなれるんや」
初めて見たムジナはタヌキと猫を混ぜ合わせたような丸い顔の生き物だった。全身柔らかそうな毛で覆われていて、お腹と尻尾はもふもふしている。
「うわ、ムジナってこんなにかわいいんだ」
「やろ?」
得意そうにノッコが耳をぱたぱたさせる。こりゃ、ケロに会わせたら焼きもちを焼かれちゃうだろうな。
「このサイズやったら、ハルカさんでも運べるやろ? 姿を消すから車の中では膝にのっけといてくれるか?」
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品川駅のホームで私の到着を待ち構えていたのは袴田さんだった。同じく 『ICCEE』の職員らしきスーツの男たちが少し離れたところに立っている。ホームに降り立った乗客たちは『ICCEE』専属魔法使いの姿に好奇の目を向けた。顔を見られないよう、フードを目深にかぶり、私は小さな声で袴田さんに挨拶をした。駅は混雑していたけど電車はダイヤ通りに動いているようだ。
彼と並んで駅から出ると駅前の道路に警察の車両と 『ICCEE』の専用車、そして三台の自衛隊の軍用車両が物々しく並んでいて、人々が遠巻きに眺めていた。
「袴田さん、何かあったんですか?」
「何かって……ハルカさんを迎えに来たんですけど……」
意外なことを聞くものだと言った表情で袴田さんは答えた。『ICCEE』専属の『クールな魔法使い』を演じなくてはならない袴田さんは、真面目な態度を崩さない。でも、その目は笑っているようにも見える。
そのまま警察の車両に乗せられた。逮捕されたみたいで恰好悪いな。ノッコはパーカーのお腹の部分に隠れている。ムジナの力は人の感覚に作用するものなので、写真に撮られれば写ってしまう。顔を出すなと言ってあるのだけど、好奇心は抑えられないようで、時々、パーカの襟から頭がにゅっと出てくる。
私の乗った車は二台の白バイに先導されて、サイレンを鳴らしながらドレイクのいる埠頭に向かった。後ろをぞろぞろとほかの車両がついてくる。袴田さんは後部座席に私と座った。膝の上にちんまりと座っているノッコには気づかない。
「私なんかに凄い護衛を付けるんですね」
袴田さんに話しかけると、彼はおかしそうに笑った。
「だって、ハルカさん、『スレイヤー』なんでしょ? 竜と交渉できるたった一人の人物に何かあっては困りますからね」
「え、聞いちゃったんですか?」
「ええ、矢島さんが教えてくれました。僕が迎えに来たのも彼の指示です。ハルカの面倒はお前がみてやれ、って言ってましたよ」
「そうなんですか。袴田さんが来てくれてよかったです」
「ところで、ハルカさん……」
いきなり真顔に戻って彼が私の顔を見つめた。
「……失礼な質問かもしれませんが、ドレイクは本当にあなたの言う事を聞くんですね?」
「はい、ちょっとした友達なんですよ。エレスメイアではよく会って話をしてました」
「そうだったんですか。凄いんですね」
彼は安堵したように笑顔に戻った。この様子だと、私の護衛だけでなく、竜を送り返すところまで面倒を見ろと言いつけられていたのだろう。
ちょっとした友達か。今となっては友達とすら呼びたくない相手なんだけどね。私の帰省の邪魔までしてくるなんて、ぶっ飛ばして東京湾に沈めてやればさぞかしすっきりするんだろうけどな。
「ハルカさん、『ドラゴンスレイヤー』やったんか?」
下からの声に視線を落としたら、まん丸い目をますます丸くしてノッコが私を見つめていた。秘密だからと、人差し指を口に当てて見せたら、こくこくとうなずいた。彼女の声も私以外には聞こえない。視覚も聴覚も誤魔化すことができるなんて、使い道の多そうな能力だな。
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現場が近づくにつれ、車道を歩く人が増えた。ドレイクを一目見ようという人達だ。荷物を抱えて反対方向に歩いているのは自主避難している人たちだろう。
やがて埠頭の上に、お利口な犬のように座り込んだ金色の竜の姿が見えた。
埠頭に続く道路には交通規制が敷かれ、人も車も通行止めにしてあるのだが、すでに入り込んでしまった人たちが大勢いるようだ。フェンズを乗り越えたり、海からレジャーボートで近づいてくる強者もいる。竜を自分の目で見たいという誘惑に耐えられないのだろう。
車はのろのろと人混みを割って進む。ドレイクはまだ数百メートル先なのに『魔素』がぐんと濃くなるのを感じる。この濃さなら魔力の強い人であれば魔法を使えそうだ。
竜は『魔素』の塊なのだという。この世界では真水の入ったコップに角砂糖を落としたようなものだ。じわりじわりと彼は溶け出している。早く『『魔素』に満ちた『魔法世界』に連れ戻さないとまずいのだ。
袴田さんによれば竜の周囲、数百メートルには立ち入り禁止のテープが張られていて、突破しようとするものは問答無用で逮捕されているらしい。
「ハルカさん、サイレンを止めたほうがいいですか? 竜を刺激してはまずいですよね」
「いえ、ドレイクは気にしないと思います。危険はありませんから、近づけるところまで進んでください」
『魔素』がどんどんと濃くなっていく。サングラスとマスクの上にさらにパーカのフードをかぶり、念のため、院長直伝の目くらましの魔法もかけておいた。今の時代、気を付けないと身元なんて一瞬でバレてしまう。
ネット上には、マニアが調べだした『魔法使い』のリストすら存在している。『ICCEE』側も偽情報を流して攪乱しているので、信憑性の低い陰謀論サイトのような扱いになってはいるけど、いったん名前が出てしまえば消し去るのは難しい。
竜に近づくにつれ、群集の密度も増していく。サイレンを鳴らしているのに、車を避けるどころか何が起こっているのかと集まって来るのだ。運転している警官がスピーカーで道を開けるように呼び掛けたが、たいして効き目はないようだ。
「ここからは歩いたほうが早いかもしれませんね」
袴田さんが諦めの表情で私を見た。
「そうですね。この先は私一人で大丈夫です。袴田さん、ありがとうございました」
「ハルカさん、竜と一緒に飛んで帰るんですね。格好いいな」
「え? いや、一人で戻るように言い聞かせるつもりなんですが……」
「そうだったんですか? てっきりハルカさんが付き添って連れて帰るのだと思ってました」
袴田さんの言葉を聞いた途端、嫌な予感に襲われた。
もしもドレイクが私を連れ帰るつもりで遥々飛んで来たのだとすれば、私が同行しない限り、エレスメイアには戻りたがらないかもしれない。一人で戻れとドレイクを説得できるんだろうか? こんな大勢が見ている前で、一緒じゃないと帰らないって駄々をこねたらどうしよう?




