レイデンの警告
翌日も一人で近所をぶらぶらと散歩した。エレスメイアに持って帰ろうと、駅前のスーパーで食材を買い込み、気になっていた本を本屋で探す。今回は友達には連絡していない。なんとなく、誰にも会いたくない気がしたのだ。
遥々と実家に戻ってきたのに、気持ちはまだ重いままだった。院長に勧められるままに来てしまったけど、代わりにドレイクを探し行くべきだったかな。思いっきりぶっ飛ばしてやれば、少しは気持ちも晴れたかもしれない。
とはいえ、ムジナのノッコが現われてからは、他に考えることができたので、すこしは気がまぎれた。目下の課題はどうやって彼女をエレスメイアまで連れて帰るかという事だ。
院長に相談できればいいのだけど、 『ICCEE』の検閲があるから連絡の取りようがない。鬼の木下さんを受け入れてくれたのだから、連れて帰りさえすればこの子も受け入れてくれるはずだ。問題は 『ICCEE本部』の奥深く、厳重に監視されているエレスメイアへの『門』だった。
ムジナの能力で人間は騙せても 『ICCEE本部』には至る所にセンサーやセキュリティカメラが仕掛けてある。探知されずに『門』に近づくのは難しいだろう。
とりあえずドイツまで連れて帰るべきだろうか? でも、そこで足止めを食えば、彼女が『魔素』を使い果たしてしまう。一旦、彼女には家に戻ってもらい、院長と相談して、密入国の算段を付けた方がいいのかもしれない。
小さな児童公園のベンチに座って思案に暮れていると、『本部』直通の携帯電話が鳴った。
出ると今回も矢島さんからだった。
「『魔素』探査なら受けませんよ」
「依頼じゃないよ。リェイドィンエナーニュリィアルシュが本部まで来てるんだが……」
「……誰です?」
「お前のアシスタントだ」
「ああ、レイデンですね」
「いい加減に本名も覚えてやれ。失礼だろう?」
「矢島さん、いつもフルネームで呼んでるんですか?」
「急ぎじゃない時はな」
エレスメイアじゃ矢島さんとも翻訳魔法を介して会話してたから、全部『レイデン』って聞こえてたな。
「ウリャィエル! ハルカ!」
後ろでレイデンの声がする。『魔素』がないからお互いに何を言っているのかわからない。
「矢島さん、恋しいのは分かりますが、仕事のある日に呼び出さないでくれますか? 彼には事務所にいて貰わないと困るんです」
「俺が呼んだんじゃない。ハルカに伝えることがあるって、『門』を通って来たんだよ」
わざわざ『門』を抜けて来たの? 仕事に関する連絡なら留学代理店の本社を通すことになっている。もしかして卵に何かあったのかな? 私のいない間に孵っちゃったとか?
「何があったんですか?」
「ドレイクが消えたそうだ」
「ドレイクならずっと消えてましたよ」
「それがな、お前が出てすぐに『魔法院』に戻って来たらしいんだ。で、外界に戻ったと聞いたら、また飛んでっちまったそうだ」
「それでどうして私に知らせに?」
「こいつがさ、ドレイクがお前を探しに行ったって言うんだよ。早く知らせないとまずいことになるって言うんでな、急いで連絡したんだ」
ということは彼の『目玉』が未来を見たんだ。
「レイデンに何が見えたのか聞いてもらえますか? それがいつ起きるのかも」
「見えた? いつって……何の話だ?」
訝し気な彼の声に我に返った。しまった。レイデンの未来予知の能力を 『ICCEE』側に知られちゃまずいんだった。
「え、ええと……あの……」
矢島さんがくすりと笑った。
「すまん、ハルカ、あいつの能力のことなら俺も知ってるんだ」
「え、知ってるんですか?」
「未来を予知する力だろ? これでも婚約者だからな。隠し事はなしだ」
「もう、からかわないでくださいよ。この電話で話しちゃって大丈夫なんですか?」
「ああ、この回線は大丈夫だ。『本部』の奴らはレイデンが俺に会いに来たと思ってるから、立ち聞きされることもないしな」
「わかりました。じゃ、何を見たのか聞いてください」
「よし、ちょっと待ってろ」
電話の向こうで彼がエレスメイア語で話すのが聞こえた。魔犬のピャイによれば、矢島さんのエレスメイア語のレベルでは複雑な会話は難しいそうだ。通訳なしでレイデンから正しい情報が得られるのだろうか?
「ドレイクが『空の木』の周りを飛ぶのが見えたそうだ」
「『空の木』って? 場所はどこかわかりますか?」
再び彼がレイデンと言葉を交わす。今度は私にもわかった。レイデンがはっきりと「トウキョウ」と言ったのだ。
「そうか、わかりました。スカイツリーを直訳しちゃったんですよ」
スカイツリーなら東京観光に行ったときにレイデンも見ている。
「なんてことだ。つまり東京までドレイクが飛んでくってことだな?」
矢島さんは息を飲んだ。
「そういうことですね」
「それはまずいだろう。こりゃ、上に伝えなきゃならんな」
「どう伝えるつもりですか? レイデンが未来を見たなんて話したら、彼の能力がバレちゃいますよ。矢島さんがまだ報告してなきゃの話ですが」
「こいつに秘密にしてくれって頼まれたんでな。報告はしていないんだ。こりゃ、参ったな」
レイデンがまた何か言った。矢島さんがたどたどしく通訳をする。
「『魔法院』に手紙……を出してきた……だそうだ。エレスメイアから 『ICCEE』に……外界に……いく……竜が……と……連絡がくる、だってさ。ハルカはすぐに東京にいけ、と言ってる。よし、よくやったな。レイデン」
電話の向こうでがさごそと音がする。見えてないからっていちゃつかないで欲しいな。
「レイデンにありがとうと言ってください。じゃ、すぐに東京に向かいますね」
「こちらも呼び出しがかかった。エレスメイアからの警告が届いたんだろう。また連絡を入れるから、便所に行くときも携帯を持って行けよ」
これは大変なことになった。電話を切ってから、事のあまりの重大さに私は頭を抱えた。
竜が『外界』に現れたという話は世界各地に残ってはいるものの、どれも伝説や昔話の域を出ない。そんな未曽有の出来事が、今まさに起ころうとしているのだ。それも私が軽い気持ちで休暇を取ってしまったのが原因で。
いつ来るのか聞くのを忘れてたな。でも、東京に現れるのはわかってるんだから、早めに行って現地で待機していよう。私を探すのが目的ならば、私に会うまでは戻ろうとはしないだろう。さっさと見つけて連れて帰らないと。
「おかあさん、ごめん。急に帰らないといけなくなっちゃった」
パートから戻った母は、いきなりの報告に驚いた顔をした。
「あら、早いのね」
「また来るよ」
「なにかあったの?」
「私をフった男が反省して迎えに来るみたい」
「そう、仲直りしたら、その人、紹介しなさいよ」
母にはそう言ったものの、どうしてドレイクが私を探しに来るのか、本当の理由はわからない。私が恋しくなって迎えに来るぐらいなら、そもそも最初から二か月も行方知れずになったりしないだろう。もしかしたら、母親は卵のそばから離れてはいけなかったのかもしれない。子育てを放棄するなと説教するつもりなのかも。
自分勝手でクソ迷惑な竜に腹は立ったが、一つだけ素晴らしいアイデアを思い付いた。ドレイクにノッコを連れて帰らせればいいのだ。さすがの 『ICCEE』も竜を捕まえて入国審査を受けさせるわけにはいかないのだから、ノーマークで密入国できるはずだ。
「今からエレスメイアに戻るけど、姿を隠してついて来れる?」
ノッコに訊ねると、彼女は嬉しそうにうなずいた。
「うん、大丈夫や」
何が起こっているのか説明すると長くなる。まずは準備を済ませて詳しいことは新幹線の中で話そう。
人目につく場所でドレイクと対面することになれば、正体がバレる可能性もあった。頭からすっぽり被れるパーカをクローゼットから引っ張り出し、サングラスとマスクをポケットに入れた。足りなければ買い足せばいいかと、数日分の着替えだけバックに詰める。スーツケースと買い込んだ食材は『ICCEE本部』まで郵送してもらうしかないな。
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玄関を出たら、門柱の陰に薄汚れた長い木の棒が立てかけてあるのに気づいた。魔法使いの杖のように見える。でも、どうしてこんなところに?
かなり古いもののようだ。浅黒い色はパピャイラっぽいけど、汚れているのでよくわからない。持ち上げてみたらずっしりと重い。『魔素』がないので杖を握っても何も感じないけど、石があるべき場所にはぽっかりと穴が開いている。やっぱり魔法使いの杖っぽいな。
誰が持ってきたんだろう? 私がここにいると知ってる人が、置いて行ったということだよね。
これは私に宛てたものと考えるべきだ。持って行くしかないだろう。私の杖よりもかなり長い。釣り竿ケースがないので、一旦部屋に戻り、古いシーツにくるんで両端をひもで縛った。
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矢島さんから次に連絡があったのは、家を出てからニ十分ほど経ってからだった。『本部』の中はざわついていてドイツ語や英語のやり取りが聞こえてくる。
「レイデンが予告した通り、『魔法院』から連絡があった。『本部』は大騒ぎだよ。ドレイクが向かったのが日本らしいって言うんで、なにもかも俺に押し付けられた。まあ、その方がやりやすいがな」
私もその方がありがたい。いざとなったら 『ICCEE』を介さずにレイデンと話すこともできるだろう。
「上は『魔法院』に『ドラゴンスレイヤー』の出動を要請するつもりだ。外界に渡るというのなら、ここの『門』を抜けようとするはずだから、騒ぎになる前にここで撃退してもらえってさ。確かにそれが一番いい方法かもしれんな」
「え? でも、そんなにすぐには戻れませんよ。成田に行くだけで二時間はかかります」
「お前以外にも二人いるんだろう?」
「ええ、でも、私にしかドレイクは止められないんです」
「なんだって?」
「それに、レイデンが見たというのなら、未来は変えられません。彼は必ず東京に現れます。私が説得して連れて帰ります」
「できるんだな?」
「任せてもらって大丈夫です」
「外界側に警告は出した方がいいか?」
「はい。竜は観光に来ているだけだから危険はない、と伝えてください。竜を落とせるのは『スレイヤー』だけです。攻撃の意思を見せないようにと念を押しておいてください。さもなければ大惨事になりますよ」
自衛隊に迎撃されたら困るので、しっかり脅かしておこう。
「ところでだな、なんでドレイクがお前を探しに行くんだよ?」
やっぱり、そこが気になるよね。
「色々と事情があるんですよ」
さすがにレイデンも私が彼の卵を産んだことまでは話していないようだ。
「お前もすっかりエレスメイア人になっちまったな」
矢島さんが呆れたように笑った。
「どういう意味ですか?」
「ミステリアスってことだよ。まあいい、全てお前に任せたからな。必ず連れ戻して来いよ」




