袴田さんの本音
「お腹が空いたんじゃないですか? せっかくですからここで食事をしていきましょう。駅前にいい店があるみたいですよ」
スマホを見ながら袴田さんが言った。
「それなら、暖かいものが食べたいです」
私は慌ててリクエストした。もう初夏だというのに山奥だからか肌寒い。
袴田さんは洒落た洋食の店を通り越して、すすけた感じのラーメン屋へと私を導いた。夕食の時間はとっくに過ぎていたけど、店内には数組の客が食事を楽しんでいる。餃子の焼ける香ばしい匂いに、お腹がぺこぺこだったのに気がついた。
それにしても、ずいぶんと庶民的な店を選んだな。長旅でよれよれの服を着ている私としてはありがたいけれど。
「こんな店、僕のイメージじゃないって思ってるでしょう?」
一番奥の席に腰を下ろすなり、袴田さんが言った。
「え、いえ、そんな……」
疲れていた上に図星過ぎて、とっさに否定の言葉がでてこない。
「ハルカさん、僕の事、誤解されてますよね?」
「誤解……ですか?」
「ええ、実力もないのに『魔法使い』になりきって悦に入ってる情けない奴だって思ってませんか?」
「ま、まさか。そんな事、思ってないですよ」
格好はつけてるけど、情けないとは思わない。突然、どうしちゃったのかな?
「理解してもらえないかもしれませんが、この僕は……僕がこうありたいと思う僕ではないんです」
「……よく意味がわかりませんが……」
「僕はね、自信に溢れた『魔法使い』を演じろと『ICCEE』から命じられてるんですよ。いつどこで見られてるかわかりませんから、外では気を抜けないんです」
そう言いながらも、誰にも聞かれていないことを確認するように、彼はカウンター席に目をやった。
「そうなんですか?」
「このキャラに慣れてくると、本来の自分がわからなくなっちゃいました。本当はもう辞めたいんです。でも、『魔法世界』との縁が切れるのが嫌で……」
つまり、エレスメイアとの接点を失いたくないがために 『ICCEE』に就職したわけか。ジョナサンみたいに。
「演じていようがなかろうが、僕は情けない奴ですね。いつかまたエレスメイアに戻るチャンスがあるんじゃないかと思うと、仕事を辞める勇気もないんです」
なんと返していいのかわからず、黙っていると、彼が微笑みを浮かべた。
「ねえ、お世話になった人たちにプレゼントを渡してもらえませんか? 送るのは禁じられてるんですが、ハルカさんが持ち込むのなら構わないでしょう? 僕からだって伝えなくてもいいですから」
その言葉に気取ったところは微塵も感じられなかった。彼は本当にメルベリ村を恋しがっていたのだ。ネタ集めだと思い込んで適当な返事で誤魔化した自分が恥ずかしくなった。
「わかりました。持ち込みできるものならお預かりしますよ」
「じゃ、帰りに空港でお渡ししますね。みんなに会えたら何を渡そうか、ずっと考えてたんですよ」
彼の表情が目に見えて明るくなった。
留学経験者がエレスメイアに手紙以外のものを送ることは許されていない。それは 『ICCEE』の職員でも同じなのだけど、滞在許可があれば私物の持ち込みができる。ジョナサンが送ってくれるお菓子やワインは、すべて矢島さん経由で私の元に届くのだ。
「ところでレイデンさんは同行されなかったんですね。ハルカさんの彼氏なんでしょ?」
「ええ、でももう別れちゃったんです」
「そうだったんですか。すみません……」
「いえ、気にしないでください。今も向こうの事務所で働いてるんで、毎日会ってるんですよ」
「選考会でお話できなかったのが残念で……。話しかけたかったんですけど、あんまりの格好よさに気後れしちゃいましたよ」
「そうなんですか?」
「久しぶりに見たエレスメイアの人なので、挨拶しようと思ったんですが、結局緊張して話せずじまいでした。まあ、どうせ言葉は通じなかったでしょうが……」
おかしな顔でレイデンを見てたのはそれが理由? 女子社員の視線を奪われて、妬んでたわけじゃなかったんだ。
「袴田さんでも緊張するんですね」
「え?」
「TV番組に出ていらっしゃるぐらいだから、凄い度胸の持ち主だと思ってました」
「本当はああいうの、すごく苦手なんです」
「そうなんですか? 空港では楽しそうにファンの人たちとお話しされてましたよね」
「人と話すのは大好きなんですよ。でも、テレビ番組で言われた通りに話すのは違いますからね。注目を浴びるのも嫌いなんです。物凄く緊張します」
彼は少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべた。
「ハルカさん、よかったら文通してください」
「いいですよ。検閲されますけどね」
「それはわかってます。これでも 『ICCEE』の職員ですからね。手紙で愚痴をこぼしたりはしませんよ」
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帰りもまた奥深い山道を通った。ヘッドライトの届かない木々の奥の暗闇に何かが潜んでいそうで気味が悪い。
「山の中って不気味ですね。ほら、怪談でタクシーの後ろに霊が乗ってきちゃったりするでしょ」
そう言ってから気味が悪くなって、ちらりと後部座席を振り返った。エレスメイアの暗い森でキャンプをしても平気なのに、何が違うんだろう?
「ハルカさん、ずいぶんと怖がりなんですね」
袴田さんがおかしそうに笑う。さきほどの会話のお陰か、言動に気取ったところがなくなったようだ。自然体の袴田さんは好感度が五割増しで、エレスメイアでイケメン慣れしていなければ、ドキドキしちゃったかもしれない。
「あの住宅地、すごく不気味でしたよね。目撃されたのは『魔法生物』じゃなくて幽霊かもしれませんよ」
「妖怪や幽霊と呼ばれているのは、外界に迷い出た『魔法生物』の事なんですよ。この世に幽霊なんて存在しません。ハルカさんは害獣退治の専門家なんでしょう?」
私が滞在許可を貰った理由は彼も知っているようだ。
「でも、『魔素』がなくちゃ退治もできないし……」
「それもそうですね」
その時、後部座席で衣擦れのような音がした。慌てて振り返ったけど、そこには私のバッグが置いてあるだけだった。
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指定のホテルに着くと、すぐに部屋に荷物を運び込んだ。一人で使うのはもったいないような、豪華で広い部屋だ。費用は 『ICCEE』持ちだから、遠慮なく使わせてもらおう。
お風呂に入って旅の汚れを落とし、部屋の電気を消してベッドに潜り込んだ。柔らかな布団に包まれて、待ち望んできた眠りの中に落ちていく。
ガタン
……あれ?
気付けば私は目を開いて暗闇を見つめていた。今、部屋の中で音がした……?
ガタン
何かが部屋の中にいる。カサカサと音を立てている。
とっさに明かりを呼ぶ魔法を使った。まばゆい光に照らされて数メートル先の暗闇に浮かび上がったのは、若い女性の顔だった。
悲鳴を押し殺して、部屋を飛び出し、袴田さんの部屋のドアをどんどんと叩く。ドアを開けた袴田さんは私の顔を見るなり、廊下に出て周りを見回した。
「何があったんですか?」
「出たんです」
「え?」
「あそこから連れてきちゃったんだと思います」
「連れて来たって……『魔法生物』ですか?」
「いえ、たぶん幽霊です」
魔法生物なら、身体から漏れ出す『魔素』を感じるはずだ。つまり、さっきのあれは『魔法生物』ではないということになる。
「気配がしたので明かりを呼んだら、女の人がいたんです」
袴田さんが怪訝な顔で聞き返した。
「……明かりを呼んだって、魔法の明かりのことですか?」
「はい」
「……でも、外界じゃ魔法は使えないでしょう?」
あれ?
「……確かに……そうですね」
『魔素』もないのに光を呼べるはずがない。魔法が使える濃度の『魔素』があれば、間違いなく感じられるはずだ。念のために指輪を突き出して明かりをつけようとしてみたけれど、何も起こらなかった。
「僕が見てきましょう」
彼は私を廊下に残して部屋に入った。聞こえてくる音から察すると、トイレやクローゼットのドアを一つ一つ開けて確認してくれているようだ。時計を見るともう夜中を回っている。彼も疲れているだろうに申し訳ない事をしてしまったな。
結局、袴田さんに勧められて、彼の部屋の空いているベッドルームに泊まらせてもらった。気持ちが悪いのでベッド脇のライトはつけっぱなしにする。
「ハルカさん、何かあったら壁を叩いてください。すぐに駆け付けますので」
彼は幽霊は信じていないようだけど、怯える私を馬鹿にする様子はなかった。私は布団に潜り込み、何にも邪魔されずに朝まで泥のように眠った。




