恋の病
スズメの軍曹を肩にのせて王宮の門をくぐり、近衛隊の詰め所に向かった。詰め所は城壁の内側に埋め込まれるようにして建てられている。
入り口に近づくと中から山高帽をかぶった大きなイタチが出てくるところだった。街のチンピラのモッヘルだ。王都の治安維持も近衛隊の仕事だ。何かやらかしてお叱りを受けていたのかな。
「おや、代理店の姐さんじゃないですか。お嬢ちゃんたちのお迎えですな。ご苦労なこって」
私の姿を認めたモッヘルは、凶暴そうな口元にわざとらしい笑いを浮かべて話しかけてきた。
「うん、そうなの。あなたは?」
無視するわけにもいかず質問を返す。
「近衛隊はなかなかの上客なんでね。ちょくちょく寄らしてもらってるんでさあ。じゃ、また」
大イタチは大袈裟に会釈をすると、胸を張ってすたすたと立ち去った。
「ということは、情報屋として呼ばれたんだね。近衛隊ってあんな人と取引するんだ」
彼が城門から出て行ったのを見届けて、私は軍曹に話しかけた。
「昔から蛇の道は蛇というのであります。ちゅん」
スズメはすました声で答える。確かに裏の世界の事を知りたければ、顔の効くモッヘルから情報を得るのが手っ取り早いんだろう。
開けっ放しの扉から詰め所に入ると、兵の一人が奥の部屋へと案内してくれた。休憩室らしき部屋にはいくつかのテーブルが置かれ、兵達が談笑している。一番奥の席にブリジットとメイナクが座っているのが見えた。彼女たちに怯えた様子は見られない。それどころかお茶菓子を出されて、丁重に扱われているようだ。
ほっとして駆け寄ろうとした時、彼女たちの斜め前に座っている銀髪の初老の男性に気が付いた。私に気づいて立ち上がったその人は、国王陛下ご本人だった。
「へ、陛下?」
「ハルカ殿、お呼び立てしてすみませんでしたな」
陛下は私に向かって微笑みかけた。直訴されてから、ずっと彼女たちと一緒にいたんだろうか?
「私の生徒がご迷惑をかけたそうで申し訳ありませんでした」
「いえいえ、構いませんよ。ブリジット殿に外界のお話を伺っていたところです」
そう言いながら今度はその笑顔を彼女たちに向ける。気を悪くしている様子はないようだけど……。
「あの……彼女たちはどうなるんですか?」
「どうなるとはどういう意味でしょうか?」
「陛下に直訴をしたと聞きましたが、お咎めはないのですか?」
「ありませんよ。国民の要望に耳を傾けるのが王の役目ですからね」
陛下は不思議そうな表情を浮かべている。あれれ、じゃ、なんで私が呼ばれたの?
「ああ、ブリジット殿が思いつめた様子でしたので、ハルカ殿に迎えに来てもらった方がよいと思ったのですよ」
私の疑問を察して、彼が説明してくれた。
「ですが、今はまだ外界人の滞在を許すわけにはいかぬのです。私の一存で国の決め事に例外を設けることはできません」
陛下は自分に非があるかのように、申し訳なさそうに言った。
その後、陛下は職務が残っているからと宮殿に戻られた。私もさっさと帰りたかったのだけど、せっかく来たのだからと近衛兵たちに夕食を勧められ、帰路についたのは日がとっぷりと暮れてからだった。
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帰りの馬車の中、ブリジットが私に頭を下げた。
「ハルカさん、すみませんでした。王都に助けてくれる人がいるって言うからついてきたら、こんなことに……まさか王様に会いに行くだなんて思ってなかったんです」
「わかってるよ。でもこの事は誰にも話さないで。他の留学生やホストファミリーにも話しちゃダメだよ。 『ICCEE』に知られたら、責任を問われてしまうかもしれないからね」
そう言って口止めしておいたものの、私が隠ぺいしたことがバレたら面倒な事になりそうだ。モッヘルだって彼女たちが詰所にいたのを知っていた。エレスメイアに出入りしている 『ICCEE』の職員に情報を売られたら? もしかしたら一番まずい奴に知られてしまったかもしれない。
不安になって、結局、院長に相談した。
「外界側には伝わらぬよう、陛下には私から釘を刺しておきますよ。けれども、レイデン君が騒ぎにならないと言ったのでしたら心配はないでしょう」
自分の娘を騙したレイデンの事を彼がどう思っているのかは分からなかったが、彼の予知能力には絶対の信頼を置いているようだ。
「ハルカも決して報告してはなりませんよ。『魔法院』の院長として要請します」
「わかりました。お父さん、ありがとうございます」
「おや、今のは父ではなく院長からのお願いだったんですけどね」
丸い顔をほころばせて彼は笑った。
これでブリジットの件を報告しなくても、私の責任ではなくなったわけだ。 たとえモッヘルが垂れ込んだとしても、『魔法院』の命令で黙っていたのだと言い訳すれば、私が責められることはない。
「ねえ、お父さん、私の生徒さん、問題ばっかり起こしてるんですけど、なんでなのかな?」
「問題ですか?」
「こっちの人と恋に落ちちゃうんです」
ほかの代理店に比べて、恋愛トラブルの発生件数が高い気がするのだ。案外、よその事務所も 『ICCEE』からのお叱りを恐れて、黙っているだけなのかもしれないけど。
「それはあなたのせいではありませんよ」
「でも、二度と会えなくなるなんて、かわいそうで……」
「けれども、シホとゼッダのように『繋がる』こともあるでしょう?」
「それはそうですけど……うまく行くことは滅多にないですよね」
「例え同じ世界に暮らしていても、うまく行くとは限りませんよ。どれほど想いが強くても繋がらないときは繋がらないのです」
こっぴどく失恋した私みたいに? いや、私の場合、想いが強かったのは私だけだったようだ。二回とも一方的に捨てられたんだから。
「ねえ、お父さん。どうしても別れたくなければ、メイナクが外界に行くという手もありますよね。外界側はエレスメイア人の滞在を歓迎してくれますから」
「滞在の許可は出るでしょう。けれども彼女が外界に留まるのは難しいでしょうね」
院長は表情を曇らせた。
今までにも留学生の後を追って外界へ渡ったエレスメイア人もいたにはいたのだ。けれども生まれた時から魔法を使い慣れている者にとって、『魔素』のない環境で暮らすのは手足を奪われたにも等しい。翻訳魔法が使えなければ恋人との会話さえままならないのだ。
諦めて戻ってくる者がほとんどだと聞いている。メイナクが行ったところで、別れの苦しみを長引かせるだけなのかもしれない。
そこで私はあることに気が付いた。
「あれ? お父さんの息子さん、まだ外界から戻って来てないんですよね?」
私がこちらに来た時には彼はもう外界の留学先に渡航していた。それほどまでに過酷な環境で、何年も暮らしているのはどういうことだろう? 半端ない精神力の持ち主なんだろうか?
「たまには戻って来いと言ってるんですけどね、あちらが楽しいみたいなんですよ」
「魔法が使えなくても?」
「ええ、普通はいくら頑張っても数か月が限界なんです。なかなかの魔力の持ち主なんで、魔法が使えないのは堪えると思ったんですけどねえ」
彼はいかにも不思議だと言うように肩をすくめて見せた。
「きっと何かが彼を繋ぎとめているのでしょうね。もう大人ですから、私が心配することもないでしょう」
彼は息子さんを信頼しているようだ。この人に育てられたのなら、素敵な人なんだろうな。
「いつか私も会えるでしょうか?」
「ええ、手紙では新しい姉に会うのを楽しみにしてるって言ってましたよ」
「あれ、じゃ、私より若いんですね。年上だとばかり思ってました」
自分のいない間に、私が養女になった事は知らされていたらしい。相談もなく突然に姉が出来て、それも外界人だなんて気にはならないのかな?
彼が長期滞在してるんだから、もしかしたらメイナクにだって耐えられるかもしれない。諦めずに試してみる価値はあるのかも。
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ブリジットは留学期間が終わるまでメイナクのお宅に滞在することになった。いずれは離れ離れになるのだから、残りの時間を一緒に過ごしたいという彼女の希望だった。
メイナクに外界行きの話をしたら、彼女は顔を曇らせて首を振った。
「ハルカさん、私は外界には行けないんだ。行くと気分が悪くなっちゃうんだって」
「そうか、あなたは半分ニンフだもんね」
つまり、鬼の木下さんと同じなんだ。
「ううん、母親がニンフだったら女の子はニンフになっちゃうの」
「そうなの? お父さんは人間なのに?」
「ニンフには女しかいないんだ。だから他の種族との間に子供を作るんだけど、女が生まれると必ずニンフの特徴を受け継いじゃうの」
なるほど。ゴブリンの逆パターンなのか。多種族との婚姻を代々繰り返しても純ニンフの血が失われることはないのだ。
ニンフは『魔法生物』だ。『魔法生物』が外界に足を踏み入れた途端に身体から『魔素』が溶け出しはじめる。虚弱体質だとはいえ、人間として暮らすことができた木下さんとは根本的に違う。院長が難しいと言ったのは、この事だったのだと気が付いた。
「ハルカさん、そんな顔しないでよね。後悔しないっていったでしょ」
メイナクがぷっと頬を膨らませてみせる。
ーー好きになったから仕方ない、か……。
私だってつい先日まではそう思ってた。
身元も経歴も分からないし、怪しいことだらけだったのに、闇雲にサリウスさんを信用してしまった。好きだから、それでもいいと思ってた。
そして……今はそのことを後悔している。
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「大丈夫なの?」
数日後、学校帰りのブリジットに声をかけた。大丈夫じゃないのは分かってるけど、そう尋ねずにはいられないほどに、ひどく疲れて見えたのだ。
「ハルカさん、……メイナクの具合が悪いんです。すごくしんどそうで、どんどんやせていくんです……」
「治療師には診てもらったの?」
「ええ、でも悪くなるばかりで……」
ブリジットの目に涙が浮かぶ。事務所で引き留めて話を聞こうとも思ったけど、すぐにでもメイナクの元に戻りたいだろうと思い、お見舞いの言葉だけ伝えて別れた。
メイナク、どうしちゃったんだろう? 病は気からって言うけど、別れがつらくて病気になっちゃったのかな?
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翌日、メイナクが入院したと聞いた。それも『魔法院』の附属病院に。ブリジットもついて行ってしまったのだけど、彼女の登校日数は足りていたので学校に連絡だけしておいた。
見舞いに行こうと、午後の仕事はレイデンに任せて『魔法院』に向かう。門をくぐったところで、黒っぽい鳥が私の肩に舞い降りて来た。院長宅のムクドリのダングルだ。
「ハルカ、院長が呼んでるよ」
「急ぎなの?」
「うん、そろそろハルカがお見舞いに来る頃だから呼んできてくれって」
なんだろう?
「ブリジットに滞在許可を出すことになりました」
部屋に入るなり、院長が私に告げた。
「え? どんな魔法でですか?」
「いえ、彼女には私たちの求める能力は認められませんでした。今回は特例なのです」
「メイナクと付き合ってるからですか? でも、今までは好きな人がいるからって許可が出たことなんてなかったじゃないですか」
「ええ、でも今回は違うのです。メイナクの身に危険が及ばないようにするためです」
「どういうことですか?」
まったく意味が分からない。
「彼女がニンフであるのはご存じですね?」
「ええ」
「ニンフというのは惚れっぽいものなのですが、彼女たちが本当の恋をするのは一生に一度きりです。運命の相手を見つけると、それが最後の恋になります」
「そうなんですか? でも、どうやって運命の相手だってわかるんですか?」
「詳しいことは知りませんが、本能的に感じ取るようですね」
「つまり、ブリジットが彼女の運命の相手だったんですね?」
「一時の恋ではないのかと様子を見ていましたが、メイナクの症状を見る限り、間違いないようです。運命の相手ですから、失えば二度と恋はできません。そんな相手から無理に引き離すとニンフは力を失います」
「魔力を失くしちゃうの?」
「いえ、活力を失くして、動かなくなります。干からびて死んでしまうこともありますね」
「ええ! 死んじゃうって、大変じゃないですか!」
「だから許可を出したのですよ。私たちは自国の民を守らなくてはなりませんからね」
なるほど、命にかかわるとなると、選択の余地はなかったのだろう。
留学生が原因でエレスメイア側にルールを曲げさせることになってしまった。これはまずいのではないだろうか?
「この事件のせいで留学生の受け入れに影響が出ることはありますか?」
「問題はないでしょうね。ブリジットとメイナクは最初から繋がっていたというだけの話ですから」
「そう……なんですか? よかった……」
「ええ、よかったですね」
院長が笑いながら、鼻紙を差し出した。嬉しくって気付かないうちに涙が出ていたらしい。
「あ、でもブリジットが規則違反をしたって『ICCEE』にばれちゃいますね」
「いえ、彼女が特殊な魔法の持ち主であったと伝えれば済むことです」
「記録を捏造するんですか?」
「いえいえ、捏造というわけではありませんよ。物を浮かせる魔法の才能があったということにしておきましたから」
確かに重力を操る魔法はブリジットの得意とするところだ。ただ、珍しい魔法ではないので、普通ならこれで滞在許可が降りることはない。
共犯者の笑みを浮かべて、彼は私に代理店への通達書の入った紫色の封書を手渡した。それとは別に小さな封書も渡される。
「こちらはメイナクへの手紙です。ブリジットも付属病院にいるのでしょう。ハルカが二人に届けてやってくださいね」
私はすぐに病院へ向かった。知らせを受け取ったメイナクはみるみるうちに元気を取り戻し、一時間もしないうちに退院を許された。
帰りの馬車の中で二人はくすくすと笑い合っている。『魔法院』からの帰り道はついドレイクの事を思い出して、やり場のない怒りに苛まれてしまうのだけど、今日ばかりは穏やかな気分で家路についた。




