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ブリジットの恋人

 毎晩私は卵を抱きかかえて寝た。竜の卵は『魔素』を吸収しながら成熟するので、温めてやる必要はまったくないのだが、抱いていた方が卵が安心するんじゃないかと思ったのだ。


 卵の殻は頑丈らしいけど、ベッドの上から落っことすことのないように周りにクッションを並べた。昼間は寝室の日当たりの良い場所に置いてやる。


 卵は握りこぶしぐらいの大きさしかない。細かな渦巻きのような模様が一面に入っていて、精密な金細工にしか見えなかった。本当にこれが孵るのかな? 


 竜の子育てについて分かっていることは少ない。唯一人と交流を持つスーラに尋ねてみたけれど、卵を産んだことがないから知らないという。


 ひとりになると失恋の痛みが襲ってきて、寝付くまで卵を抱えて涙を流した。失恋の薬を貰うこともできたけど、思い切りがつかなかった。自分を騙した男に未練があるなんて認めたくなかったし、心のどこかでまだ『サリウスさん』の事を忘れたくなかったのかもしれない。


 気持ちは落ち込んでいても、身体に不調はなかったので、ポウさんの許可が出るとすぐに仕事に復帰した。レイデンは有能だけど、面談には不向きだった。シホちゃん曰く、あまりにイケメン過ぎて生徒さんが萎縮してしまうんだそうだ。


 『魔法院』通いも再開した。毎回卵も持って行ってエルビィの研究室で検診をしてもらった。検診と言っても竜の卵なんて誰も触ったことがないので、成長の記録をとるだけなんだけど。


 卵を初めて見た時のエルビィの喜びようは半端なかった。なぜドレイクの卵がここにあるのか、どうして私が面倒を見ているのか知りたがったけど、院長が機密だというとそれ以上追求しようとはしなかった。


 ドレイクは王都から完全に姿を消した。彼が以前住んでいたと言われるエレスメイアの北部の森でも目撃情報はないという。『魔法院』からの帰り道に舞い降りてくることはなかった。


 やっぱり私は用無しなんだ。孵っても戻ってこないつもりかな? 子孫さえ残せればそれで満足なんだろう。

 

 それならそれで構わない。あの嘘つきの馬鹿竜に父親面をされたって腹が立つだけだ。私の父も家族を捨てて出て行ったけど、寂しいと感じたことはない。父親なんていなくても子供はちゃんと育つってことは、私自身が一番よく知っているんだから。



        ***************************************** 



 今日はジェイダの面談の日だった。


「ハルカさん、お話したいことがあります」


 座ったとたん、彼女が小声で切り出した。いつもは雑談から入るのに、嫌な予感がするな。


「ブリジットなんですが……恋人ができたみたいなんです」


「ええ? 本人から聞いたの?」


「いいえ、でも見ちゃったんです。ホームステイ先の人とキスしてるの……」


 私は青くなった。これはかなりヤバい案件だ。あってはならないことが起きてしまった。


「リジル君、まだ十三歳だったよね」


「いえ、違います。お姉さんのほうです」


 え? そっち?


 子供に手を出していないと分かってほっとはしたものの、これはどうしたものだろう。ホストシスターのメイナクは面倒見がいいし、留学生の評判はよかった。村で一二を争う美女なので、無用のトラブルを避けるため、男性の受け入れをお願いしたことはなかったのだけど、まさかこんな結果になるとは。


 ホストファミリーにも留学生の規則は周知している。真面目なメイナクがそれを破るなんて、よほどブリジットを気に入ってしまったんだろう。


 妊娠する心配はないといっても、この先、悲しい別れしか待ってはいない。面談が終わると私は頭を抱えてため息をついた。苦しむのは私だけでたくさんなのに。



        *****************************************



 気は進まなかったけど、翌朝、ブリジットのステイ先を訪問した。連絡を入れておいたので、着くとすぐにメイナクが私を招き入れてくれた。ブリジットは学校に向かった後で他の家族も出かけていた。


「ハルカさん、ご、ご、ごめんなさ……」


 メイナクは涙目でぺこぺこと頭を下げた。いつもが底抜けに陽気なだけにギャップが痛々しい。


「ご両親は知っているの?」


「う、うん、さっき話したから……」


 震える声でまたぺこぺこと頷く。


 彼女の髪は淡い青緑色をしている。髪の色は魔法で変えられるので、エレスメイアの人たちは様々な髪色を楽しんでいるのだけど、彼女の髪は地の色だ。ニンフである彼女の母から引き継いだものなのだ。


 ニンフは『魔法世界』の一種族ではあるけれど、外界で伝えられているような水や木の精霊ではない。泳ぐのが好きで水辺でよく目撃されたのでそう思われたようだ。メイナクの母親とはよく話をするのだけれど、飛びぬけた美女であるという以外は人間と変わらない。


 彼女はいったん奥に引っ込んでお茶を持ってきてくれた。床に置かれた大きなクッションに腰を下ろしたら、少し気持ちが落ち着いたようだ。


「これからホストファミリーはできなくなるんじゃないかって母が心配してるんだ。うちのお母さん、生徒さんのお世話が趣味みたいなものだから……」


「場合によってはもう依頼できなくなるかもしれないね。でも、あなたが面白半分に留学生に手を出すような人じゃないって知ってるから、説明はしてみるよ」


 本社に報告すれば確実にホストファミリーのリストから外されてしまうだろう。希望を持たせるようなことを言うべきではないんだけど、彼女の顔を見ていると厳しいことは言えなかった。


「うん、ありがとう、ハルカさん」


 惨めな表情をしていても彼女は美しい。前回会った時よりも輝いて見えるのは、恋をしているからだろうか?


「でも、ブリジットは留学期間が終わったら帰らなくちゃならないんだよ。分かってるよね?」


「うん。で、でも、好きになっちゃったんで……仕方ないよ。後悔なんてしない」


 寂しげに笑う彼女の顔に胸が締め付けられる。


 ニュージーランドで働いていた時にもホストブラザーやシスターと恋仲になる留学生がいた。納得のいくまで付き合って別れる人もいれば、結婚までこぎつけて幸せに暮らしている人もいる。


 けれどもここでは滞在許可が下りない限り、待ち受けているのは永遠の別れだけなのだ。



       *****************************************



 それから三日後、もう事務所も閉めようという頃にちゅんちゅんと鳴きながらスズメが飛び込んできた。


「あれ、軍曹?」


「ちゅん、ハルカ殿、お久しぶりであります!」


 私の腕にちょこんととまり、小さな鳥は姿勢を正した。お久しぶりと言っても、出会ってからは週に一度は遊びに来てパンやケーキのくずを食べていくのだけど、いつもは朝一番に現れる。


「今日は遅いんだね。もう閉めるけど、揚げパンの残りでも食べる?」


「いえ、本日は任務で参ったのであります。ハルカ殿、至急、王宮に出頭してください」


「王宮?」


「はい」


「何があったんですか?」


 王宮と聞いて気になったのか、珍しくレイデンが口を挟んだ。


「留学生のブリジット殿の件であります、ちゅん」


「え? ブリジット?」


 変だな。留学生は『魔法院』の管轄なのに。


「どうして王宮なの?」


「ブリジット殿がメイナク殿と共に陛下に直訴をされたのであります」


「えっ、直訴!? 王様に?」


 すうっと血の気が引いた。


「王宮内の詰め所にお引き留めしておりますので、ハルカ殿に引き取りに来てほしいとのことです」


 つまり、捕まって近衛隊に身柄を拘束されてるってことだ。これは大変なことになってしまった。


「ケロ、馬車を呼んできてください」


 レイデンが猫に声をかけた。ケロは文句も言わずに表に飛び出していく。事の重大さがわかっているのだ。


「何を訴えたのか知ってる?」


「はい。エレスメイアでの外界人の滞在を許してほしいと訴えられたのです、ちゅん」


 やっぱりそうか。


 エレスメイアの国策に滞在中の外界人が口を出すことは許されていない。ブリジットは留学生が守るべき規則を破ってしまったのだ。


「でも、直訴なんてあの子が思いつくはずないよね。全部、メイナクが考えたことでしょ?」


「けれどもお二人で行われたことですから」


 それならやっぱりアウトか。


「困ったな。『ICCEE(アイシー)』に連絡されたら、規約違反でブリジットが訴えられちゃうかもしれない」


 彼女は国交を脅かすような真似をしたのだ。ただでは済まされない。せっかく手に入れた『魔法使い』の資格をはく奪されるかもしれないし、違約金を払わされる可能性だってある。


「ハルカ、落ち着いてください。 大きな騒ぎにはなりませんから」


 なだめるようにレイデンが話しかけた。


「そんなの、どうしてあなたに分るの?」


「あの、それは……『目』で見たんです」


「見た? じゃ、あの子たちが直訴するって知ってたの? 見えた時に教えてくれればいいのに。わかってたら止められたでしょう?」


「そ、それは、『目』で見たことは『天』の意志ですから、止めるわけにはいかなかったんです……」


「そうか。『サリウスさん』の時と同じってわけだね」


 嫌味ったらしく言ってやったら、彼は居心地悪そうに顔をそらした。『天』の意志だかなんだか知らないけれど、留学代理店の職員には生徒さんを守る義務がある。彼が『天』の意志を優先するというのなら、ここで働いてもらってはまずいんじゃ?

 

 今はレイデンの事は後回しだ。彼の言うことが本当であれば、エレスメイアから 『ICCEE(アイシー)』に苦情は入らないということだから、ひとまず安心してもよさそうだ。


「ねえ、軍曹。直訴のこと、知ってる人はいるの?」


「いえ、陛下と兵が数人だけです。ちゅん」


「でも、あなたが知ってるんだから、機密ってわけじゃないんでしょ?」


 機密になっているのなら、お使いのスズメにくわしい内容まで伝えたりはしないだろう。


「自分が知っているのは、その場にいたからであります。陛下はすぐに周りの者に口止めをされたので、広がる心配はないのであります、ちゅん」


「それならいいんだけど。ところでどうして軍曹が王様のそばにいたの? いつもは『ヘッドクォーター』にいるんでしょ?」


「いえ、居眠りが激しすぎるということで、先月より近衛隊に転属になったのであります」


 スズメは私の腕の上で胸を膨らませた。反省はしていないらしい。


 居眠りで転属になったのなら、つまりは左遷ってことだよね? 近衛隊ってエリートの集まりってわけじゃないんだな。おちゃらけ外界人のリチャードの入隊も許しちゃうし、アノウル隊長もゆるい感じだし。これで王様の警護が務まっているのも、エレスメイアが平和だからなんだろう。


 表から馬車が近づく音が聞こえて来たので、私はカバンと杖を持って外に出た。 『ICCEE(アイシー)』にさえ知られなければ最悪の事態は避けられる。


 私が陛下に叱られるだけで済めばよいのだけど。今回ばかりはレイデンの予知が正しいことを祈るしかなかった。


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