見舞いの人たち
出産から三日後に退院を許された。病院から家までは馬車で送ってもらった。
ここ数百年、竜の数は減り続け、いまや絶滅危惧種の扱いだ。当然、私の卵はとても貴重なものだけど、母親のそばが一番だからと院長が持って帰らせた。
どこに飛んで行ってしまったのかドレイクはあれっきり姿を現さない。彼への怒りは収まらないけれど、いなければ怒りのぶつけようもない。
馬車から降りると、事務所のドアが開いてレイデンが出て来た。彼が口を開く前に、私は彼の頬を平手でひっぱたいた。
「……すみませんでした」
ぶたれた頬を押さえようともせずに、彼は深く頭を下げた。
それだけなの? これだけの事をしておいて?
「私を失恋させるのがそんなに楽しいの? もう私を苦しめないで!」
そのまま二階の部屋に駆け上がり、ベッドに突っ伏して泣いた。
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目を覚ますともう外は薄暗かった。いつの間に眠っていたんだろう? 卵はまだ布に包まれたまま、ベッドの上に転がっている。包みをほどいて卵を両手で持ち上げた。じわりと熱が伝わってくる。竜って卵の頃から暖かいんだな。
ドレイクの事を思い出してムカついてきたので、私は卵を枕元に置いた。不の感情が悪い影響を与えてしまうんじゃないかと心配になったのだ。この子には何の罪もないのだから、父親への恨みつらみなんて感じ取って欲しくない。
ぼんやりと窓から木々の梢を眺めているとドアがノックされた。
「……レイデン?」
「はい」
ドアの反対側から小さな返事が戻ってきた。
「まだ帰ってなかったの? 」
「……あなたに謝りたくって……」
「さっきもう謝ったでしょ? それに謝ったからってなにも変わらないよ」
「分かっています」
「もう遅いから帰ったら? また明日ね」
「はい……」
強い口調で突き放したのに、立ち去る気配がない。
「……まだ何かあるの?」
「あの……卵を見せてもらってはいけませんか?」
どうして見たいんだろう? 自分の計画通り、本当に産んだって確認したいのかな。
「……あなたは私が卵を産むってずっと知ってたんだよね?」
「ええ、見えましたから」
「だから、『サリウスさん』と私を会わせたんだよね? 『目』が見た未来を現実にするために」
「はい、そうです」
彼は私には理解のできない高次の何かに従って行動している。私がどんなに怒ろうとわめこうと、『天』より命じられたことを行うだけなのだ。
一人で腹を立てているのも馬鹿馬鹿しくなってきたな。
「入っていいよ」
「ありがとうございます」
そっとドアを開けて入ってきたレイデンは、ベッドの上の卵に目を向けた。
「きれいですね」
卵には触れようとはしなかったが、その声には畏怖が込められている。
ーーあなたの目にきれいに見えるのなら、さぞかしいい子なんでしょうね。
私は皮肉っぽく思った。
「今週いっぱいは安静にしろって言われてるから、ずっと部屋にいるよ。用があったら呼んでね。予定より早くなっちゃったけど、シホちゃんにも来てもらって。私の体調が悪いって言ってもらえればいいから」
「はい、わかりました」
留学期間はあと一ヶ月と少しあるけど、レイデンに任せておけば大丈夫だろう。業務内容は私よりもよく理解してるぐらいだから。
今は仕事の事なんて考えている余裕はない。ますます大きくなる喪失感に押しつぶされずにいるだけで精一杯だった。
私はこの世に存在しない相手に恋していたのだ。ドレイクとレイデンが私を罠にはめるために作り出した、美しく聡明で優しい理想の男性に。
目的を果たして彼は消えた。私の元に卵だけを残して。
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それから二日経った。私はほとんど二階の寝室に閉じこもっていた。食事の時には下に降りたけど、レイデンと顔を合わせても仕事の話しかしない。
ポウさんは予告通り毎日覗きに来てくれる。身体の回復は順調で、もう動き回っても構わないと言われたけれど、そんな気分にはなれなかった。
ケロも一日に何度も顔を出してくれた。彼の忠告を無視して騙された私を責めることもない。卵の事は気に入ったようで、暖かな卵にぴったりくっついて何時間も昼寝をしていった。
その日の午後遅く、誰かが階段を上がってきた。
「おい、ハルカ」
ニッキの声だ。足音が聞こえるたびに、サリウスさんの姿を期待してしまう自分が腹立たしい。『サリウスさん』なんて人物はどこにもいないっていうのに。
ドアがどんどんと叩かれ、「入ってもいいか」と声がする。私が返事をする前に、彼はずけずけと部屋に入ってきていた。
「ねえ、ノックの意味って知ってる?」
嫌味を言っても、もちろん聞いちゃいない。
「お前、仕事休んでるんだって? うわ、すげえ!」
彼はベッドの上の卵に気づいて駆け寄った。
「もう生まれたのか? なんですぐに連絡くれねえんだよ?」
「すげえじゃないでしょ? サリウスさんの正体、知ってて黙ってたくせに」
「でも、ちゃんと話してもらったんだろ?」
「卵を産んでからね」
「へえ。そりゃあ、びっくりだな」
「びっくりどころじゃないよ。何で教えてくれなかったの?」
「教えるなって言われたからな。竜に頼まれたら、断れねえだろ?」
そうか、『東の森の民』は竜を崇拝しているんだ。いくら貴族が相手でも、このニッキがあそこまでへりくだるはずがないと気づくべきだったのだ。たとえ気づいたところで、私がサリウスさんの正体にたどり着けたとは思えないけど。
「無理にでも聞き出せばよかったよ。すごく怒ってるんだからね」
「すまねえ。でも、俺は竜は裏切れねえんだ」
「私が主人なんでしょ? 主人を裏切ってもいいわけ?」
「竜がお前に酷い事するはずねえからな。信じても大丈夫だ」
「本当にそう思う?」
「どういう意味だよ」
「ドレイク、いなくなっちゃったんだよ」
「え?」
「五日も経つのに戻ってこないの。卵さえ産ませれば私なんて用無しなんでしょ」
その時、また誰かが階段を上ってくる音がした。
「ハルカ、入るぞ」
今度は矢島さんの声だ。そうか、今日は金曜日だったんだ。
「ちょっと待ってください」
私はパジャマの上に上着を羽織り、卵を見えないところに隠してから、ドアを開けた。私とドレイクのことは矢島さんには話さないようにレイデンにも約束させてある。いくら仲良くしていても矢島さんは 『ICCEE』の職員なのだ。
「調子が悪いんだって? 大丈夫なのか?」
「はい、だいぶ良くなりました」
「医者には診てもらってるんだな」
「ええ、しばらく安静にしていれば治るそうです」
「そうか。それならいいんだが……」
ほんとに心配そうな顔をしているな。嘘をつくのは心苦しいけど、体調が万全でないのは事実だから、許してもらおう。
「食べたいものとかないか? ドイツで手に入る物なら持ってきてやるぞ」
「ありがとうございます。でも、もうそろそろ起きられそうです」
「仕事はレイデンに任せてゆっくりしろよ
「はい」
そのレイデンに騙されて竜の卵を産んだなんて知ったら、矢島さんはどうするんだろうな。ジョナサンは矢島さんを信じるなと言ったけど、レイデンだってもう信じられない。
「なんだ、キュウタ。今日は妙に優しいな」
不審そうにニッキが言う。
「俺はハルカには優しいんだよ。お前、こいつの面倒、ちゃんとみてやってるんだろうな? お前と付き合える奴なんて、そうそういないんだからな。大切にしてやれよ」
「わかってるよ」
「ならいいんだ」
ニッキとは先月別れたことになっていたのだけど、矢島さんは信じてくれないし、そんな筋書きはもうどうでもよくなってしまっていた。
「あいつ、お前にだけ甘いよな」
矢島さんが出ていくと、ぶすっとした顔でニッキがドアを閉めた。
「そうかなあ。いっつも偉そうだけどな。……え、まさか妬いてるんじゃないでしょうね?」
「ちげえよ。あのバカのことはもう忘れたから、気にすんな」
強がっても、目が切ないんだけど。
「よし、今日は泊ってく」
「え?」
「お前、辛そうだからな。月曜の朝までここにいることにした」
彼は卵に手を伸ばしてそっと手を添えた。
「なあ、ドレイクが戻って来なかったら、俺が一緒に育ててやるよ」
「ニッキは竜が大事なだけなんでしょ?」
「ちげえよ。なんだか責任感じるしな」
その晩は卵を間に挟んで二人で寝た。ニッキが卵に子守唄を歌っている。レイデンにフラれた時も彼の隣で寝たっけな。
このままだと本当にニッキと暮らすことになってしまうかも。彼の片想いが叶う希望もなく、私もシングルマザーになるのなら、それもいいかもしれないな。
柔らかな歌声を聞きながら、その日は少しだけ穏やかな気分で眠りについた。




