ハルカの怒り
サリウスと名乗る男はまだ私の手を握っていた。湧き上がる怒りに突き動かされて、彼の手を振り払い、指輪のはまった拳を彼の腹に叩き込んだ。
細い指輪がバチンと弾け飛ぶ。彼の体は勢いよく壁に叩きつけられた。
「何があったのですか!?」
物音を聞いた院長が慌てて駆け込んでくる。血の付いた患者用のガウン姿で身を起こし、拳を振り上げる私と、壁際に倒れている男の姿に彼は目を見張った。
「ハルカ? 攻撃魔法を使ったのですか? どうして?」
「院長、これを……」
ボウさんが手の中の金の卵を院長に差し出した。
「なんと……これは……」
彼がはっとして壁際に目を向けると同時に、男がむくりと上体を起こした。ぼろぼろに裂けた服を片手で払う。
「……ハルカ、そこまで怒ることはないだろう」
「はあ!? 怒るに決まってるでしょ? この、糞ドラゴン!」
「バレたのか?」
「あの卵見れば分かるだろ!」
私が杖をひっつかんで咆えたので、彼はひるんだ。
「だ、だが、糞ドラゴンと呼ぶのはやめろ。俺にはドレイクという名前がある」
「偽名を使ってたくせに、偉そうに言わないで。お上品な演技に騙されたよ。『私』とか言っちゃってなんなのよ?」
「お前が勝手に俺の言葉を翻訳していたのだろう? 俺のせいではないぞ。まあ、できる限り紳士的には振舞ったがな」
腹が立って腹が立って涙がぽろぽろこぼれる。
「ハルカ、落ち着きなさい。身体に障ります。話はあとで聞きましょう」
院長が両手を広げて私たちの間に割って入った。ラゴアルさんが私の腕をつかみ、それからのことは覚えていない。
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目が覚めると広い病室に寝かされていた。
部屋の隅に置かれた椅子にサリウスさんが座っている。彼の顔を見たとたん、すべての記憶が蘇った。
「こっちに来ないで!」
立ち上がろうとした彼に向って、私は大声で叫んだ。
この人はサリウスさんなんかじゃない。私の愛したサリウスさんはどこにも存在しなかったんだから。
「あなたのこと、好きだったんだからね」
再び腰を下ろしたドレイクに向かって、私は恨みがましく言った。
「それならなぜ怒る?」
「卵が欲しくて騙したくせに。わざわざ超イケメンのフリなんてしちゃってさ」
「ハルカが物理的に無理だと言うから、人に姿を変えたまでだ」
「それこそ物理的に無理なんじゃないの?」
「竜は『魔素』でできているのだ。形などあって無きようなもの。そうは言っても、人の姿しか取れぬのだがな」
どういう原理なの? そんないい加減なことになってるの?
「ちゃんと、目玉小僧の言うとおりに化けたのだぞ」
「え? レイデンの?」
「ああ、これはすべて小僧の考えたことだ。この姿も服もあやつの指示通りだ。俺は地味すぎると言ったんだが、どうしても譲らなくてな」
レイデンが黒幕? サリウスさんの正体を知っていて私を会いに行かせたって言うの? でも、どうして彼がそんなことを?
「地味にした甲斐があったというものだ。おかげで俺の卵が産まれたのだからな」
腹が立って杖を探したけど、取り上げられたのか見当たらない。代わりに私は枕元にあったコップと水差しを投げつけた。
彼は避けようともしなかったが、黙って立ち上がり部屋から出て行った。
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「……どうしてうまく行かないんでしょうか?」
院長が病室に見舞いに来てくれていた。彼に聞いてもらえれば心の痛みが和らぐような気がして、私は今までの経緯をすべて打ち明けた。レイデンに騙されていたことも含めてだ。
「ただ、好きな人と一緒にいたいだけなのに……」
「もう彼とは一緒にいたくないのですか?」
「だって、彼はドレイクですよ。卵欲しさに私を騙したんです」
じわりと涙がこみ上げてタオルで顔を押さえた。散々泣いて、もう出ないと思ってたのに涙は尽きる様子もない。いくら繁殖の本能が強いからって、騙すような真似をするとは思ってもいなかった。神聖な生き物だと言われていても、ケダモノは所詮ケダモノに過ぎないのだ。
竜に裏切られたのもサリウスさんが実在しなかったのもどちらも辛過ぎて、一度に二人の大切な人をなくしてしまったような気がする。
「ハルカ、卵はどうしますか? 辛いのなら、『魔法院』で預かることも出来ますよ」
「いえ、私が産んだんです。私が育てます」
「あなたならそう言うと思いました」
院長が微笑む。
「あの……生まれてくれてほっとしてるんです。流産じゃないかって心配してたから……思ってたのとは違うけど、生きててくれてよかったです」
子供が無事だったことには心から感謝した。たとえそれが卵の形をしていても、私の中に生まれた命が消えずに済んで嬉しい。
「私も孫が無事で嬉しいですよ。厳密に言えば、まだ生まれたわけではありませんけどね」
「お父さん、私、竜が人に化けるなんて知りませんでした」
「昔からそう言い伝えられてはいますが、私も初めて見ましたよ。まあ、昔と違って、人が竜と関わる機会などほとんどありませんからね」
「昔はもっとたくさん竜がいたんですね」
「ええ、エレスメイアだけでも数十頭の竜がいたといいますね」
「そんなに?」
「竜は『天』よりいくつもの役目を与えられており、人間を見守るのもその一つだと言われています。人間がこの世界にふさわしい存在であるのか見定めるため、『天』より人の姿をとる力を与えられたというのです。まあ、ただの言い伝えに過ぎませんし、人になる力を持つ生き物は珍しくありませんけどね」
確かに人に姿を変える生き物はたくさんいる。人狼のゼッダや人蛇のリリーダニラさん、魔犬のピャイだって、普段から人と動物の姿を行き来しているのだ。
でも、あんなに大きな生き物が人になっちゃえるだなんて普通は考えないでしょう? 『天』から与えられた力を女をひっかけるのに使うだなんて、特権乱用にもほどがある。
怒りがまた込み上げてきた。『天』が罰を与えないというのなら、私が代わりに『スレイヤー』の呪文でぶっ飛ばしてやろう。
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ラゴアルさんとポウさんもかわるがわる私の様子を見に来てくれた。卵なんて産んだのにポウさんは大して驚かなかったな。
「そりゃ、いろんな子が生まれてきますからね」
「え?」
「卵なんて珍しくないですよ」
「そうなんですか?」
「でもね、金色に輝いてそりゃあキレイだったものですから、うわあって感動しちゃいましたね」
あの時は目玉を真ん丸にしてたけど、あれは感動してたのか。百戦錬磨の助産師と呼ばれるだけあるな。
「ハルカさん、この様子だと明日には退院できそうですね」
「もう帰ってもいいんですか?」
「ええ、病院だと落ち着かないでしょう? 私が様子を見に行きますから、自宅でのんびり養生してくださいな」
私はベッド脇の台の上に安置された卵に目をやった。不安が顔に出ていたらしい。ポウさんが励ますように微笑んだ。
「あの、今はお辛いかもしれませんが、母親になるのはよいものですよ。孵るのが待ち遠しいですね」
「でも、どうやって育てればいいんでしょうか? ドレイクは戻ってこないかもしれませんよ」
あれから二日経つのに、彼は出て行ったままだ。多くの生き物がそうであるように竜の父親は子育てには関わらないのかもしれない。
「院長さんがおっしゃっていましたが、竜の卵は『魔素』があれば育つんだそうです」
「でも、生まれてからは? ちっちゃい竜が出てくるんですよね?」
「『魔法院』には竜の専門家だっているんです。皆さんが力を貸してくださいますよ」
専門家ってエルビィの事かな? 確かに竜には詳しいけれど、仔竜を見たことのある人なんてエレスメイアにはいないのだ。本当に頼りになるんだろうか?
「しばらくお仕事には戻らないでくださいね。アシスタントさんがいらっしゃるんでしょう? ハルカさんは全部任せてゆっくりしたらいいんです」
でも、その『アシスタントさん』とは顔を合わせたくないんだよな。レイデンはドレイク以上に許すわけにはいかない。私の妊娠は最初の最初っから彼が仕組んだことだった。私が卵を産むのを知っていて、それを現実にするために私を図書館に送り込んだのだ。生まれてくる子の性別が分からなくて当然だ。だって卵なんだから。
優しい顔で心配はいらないって言ってくれたのは、彼の計略の一つに過ぎない。彼にとって私よりも『天』からの指令が大切だって理解してたはずなのに、疑いもしなかった。
もう彼を信じるのはよそう。彼の事を案じるのも。別れてからの彼は、もう私の知っていたレイデンではないのだから。




