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痛み

 けれども、その機会は訪れなかった。翌日の朝、私は激しい腹痛に襲われたのだ。


「いててて……」


 お腹を押さえる私を見て、レイデンが不安そうに立ち上がった。


「どうしたんですか?」


「さっきからお腹が痛いの」


「顔色も悪いです。病院で診てもらったほうがいいですね。ケロ、馬車を雇ってきてください」


「うん、わかった」


 猫は勢いよく駆け出して行った。


「冷やしちゃったのかな」


 病院に行くのは大袈裟な気もしたけど、この時期は特に気をつけろって言われてるし用心に越したことはない。


「持っていくものはありますか?」


「いつものバッグだけでいいよ」


「杖を握っていてください。ハルカの強い魔力が宿っていますから、役に立ちます」


 彼は私に杖を握らせた。杖にそんな効用があったとは知らなかったけど、確かに握っていると気持ちが落ち着いた。


「ハルカ、今日は図書館の日だよね? サリウスを呼んでくるよ」


「え、いいよ」


 馬車屋から戻ってきたケロがまた飛び出そうとしたので、私は慌てて引き止めた。


「心細そうな顔して何言ってるんだよ。父親がこういう時にいなくてどうするんだ」


「待ってください。図書館にいるのなら、鳥に頼んだほうが早いです。あの……ニッキは呼ばなくてもいいのですか?」


「彼とはとっくに別れたって言ったでしょ? たいしたことないかもしれないし、サリウスさんが来てくれるんだったらいいよ」


 矢島さんにもレイデンにもニッキとは別れたと告げておいたのだが、彼が頻繁に私の様子を見に現れるものだから、信じてもらえていないようだ。もしかしたら、レイデン、父親はニッキだと思ってるのかもしれないな。


 馬車はすぐにやってきた。レイデンが付き添うと言ったけど、痛みは収まって来ていたので、彼には事務所をお願いして代わりにケロに来てもらった。


 正面入り口に着くと治療師長のラゴアルさんと、助産婦のポウさんが待受けていた。ぬかりのないレイデンが病院にも鳥を送っておいてくれたのだ。


 私は浮遊する椅子に乗せられ治療室へと運ばれた。その頃にはまた痛みがぶり返し、寝台に寝かされたときには耐えがたいものになっていた。


「これはおかしいな」


 ラゴアルさんがお腹に手を当てて、怪訝な表情で呪文を唱える。


「あの、赤ちゃんは大丈夫ですか?」


 流産しかかっているの? でも、怖くて言葉に出せない。


「まだわからないな」


「私が動きすぎちゃったからでしょうか?」


「いいや、ハルカのせいではない」


「お願い。助けてください。魔法でなんとかなるんでしょう?」


「出来るだけのことはする。落ち着くのだ」


 レイデンは私の未来は大丈夫だって保証してくれた。でも……子供の性別を尋ねた時の彼の反応は明らかに変だった。もしかして彼の『目』は子供の姿を見ていないのかも。この子が無事に生まれたかどうか、彼は知らなかったんじゃ……?


 膨れ上がる不安に気管を塞がれたように感じる。呼吸が苦しい。


「ハルカ! 来たよ!」


 その時、ケロの声が響いた。頭を上げると、部屋にサリウスさんが入ってくるところだった。


「あなたは?」


「父親だ」


 ラゴアルさんの問いに答える彼の声は威厳と誇りに満ちている。よかった。こんなに早く駆け付けて来てくれたんだ。


 彼はまっすぐに私に歩み寄り、しっかりと手を握ってくれた。彼の顔を見たら、涙が抑えきれなくなった。


「ハルカ、遅くなってすまなかった。苦しいのか?」


「朝からずっとおなかが痛いんです」


「泣かずともよい。少しの我慢だ。すぐに楽になる」


「え?」


 状況をすべてを理解しているかのような彼の言葉に覚えた違和感は、再び襲ってきた痛みの波に押し流されてしまった。


「痛むのだな。彼女に呪文をかけてやってはくれないか?」


 彼はポウさんに声をかけると、私の手を離して身を起こした。


「サリウスさん、ここにいてください」


「心配するでない。すぐに戻る。治療師長、こちらに来てくれ。話がしたい」


 彼はラゴアルさんを部屋の隅に連れて行き、彼女に何かをささやいた。


「なんですと!」


 ラゴアルさんが声を上げたが、すぐにまた小声で会話が始まった。やがて戻って来た彼女の顔は蒼白だった。


「何を話してたんですか?」


「いや、ハルカは気にしなくてよい」


 気にするなって、そんな顔して言われたら余計に気になっちゃうよ。


 ラゴアルさんは私のお腹に手のひらを押し当てた。


「これは流産ではない。この妊娠には強い魔法が関係しているのだ。このまま出産させる」


「そんな、三か月で産めるわけないでしょう?」


 早産なんてもんじゃない。赤ちゃんに危険はないの?


「ハルカ、彼らに任せるんだ」


 サリウスさんが力づけるように微笑み、私の右手を両手で強く握りしめる。強い魔法って彼の魔法のこと? サリウスさん、私に何をしたの?


 ポウさんがゆったりとしたガウンに着替えさせてくれた。隣ではラゴアルさんがガチャガチャと器具を並べている。突然の展開に怖くて震えが止まらない。サリウスさんの手のぬくもりだけが心の支えだった。


 ラゴアルさんは私のお腹に片手を当てたまま、真剣な面持ちで目をつぶっている。彼女もクリスのように手で触れることによって患者の状態がわかるのだ。彼女には何が見えているんだろう? 赤ちゃんは大丈夫なのかな?


 痛みはいったん収まってはさらに強くなって戻ってきた。これは陣痛なの? まだまだ先だと思っていたから、心の準備なんてできていない。呪文を唱えてもらうとしばらくは楽になるけど、繰り返し新たな波が押し寄せてくる。不安で心が押しつぶされそうだったけど、今はラゴアルさんとサリウスさんの言葉を信じるしかない。


「いいぞ、ハルカ。かなり下がってきている。もうすぐだ」


 ラゴアルさんがしきりに励ましてくれるけど、私には何が起きているのかわからない。激しい痛みに翻弄されながら、ひたすら子供が無事に生まれることを祈るだけだった。


 身体から大きなものが出ていこうとしているのが感じられる。早く出してしまいたい。いきみたくて仕方なくなってきた。


「ラゴアルさん……」


「まだだ、ハルカ、もう少しだけこらえてくれ」


 彼女の額に汗が光る。もう少しってどれくらいなの? 私はサリウスさんの手を握りしめて、歯を食いしばった。


「よし! ハルカ、いいぞ!」


 ラゴアルさんの言葉に合わせて、力を振り絞る。何かが身体から押し出されるのが感じられ、その直後、すべての痛みから解放された。


 ボウさんが息呑むのが聞こえた。


「ラゴアルさん、これは……」


 これって何? なにが起こったの? 身体は鉛のように重かったけど、私は頭を持ち上げてポウさんの方に向けた。


 彼女の両手に包まれているのは、握りこぶしほどの大きさの金色に輝く卵だった。




第二部 ー完ー

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