サリウスさんとドレイクと
研修で一週間近くサリウスさんに会えなかったので、前回と同じく『魔法院』の日に彼に会いに行った。ドレイクには悪いけど翌日には会えるのだし、どうせそっけない態度しかとらないんだから気をつかうことなんてない。
馬車を降りて角を一つ曲がると、図書館の入り口が見える。正面の石段の上に黒のローブを纏ったサリウスさんが立っていた。普段より早めに出て来たんだけど、いつから待ってたのかな? 彼も私の姿を認めて、こちらに向かって歩き出した。
ぐんぐんと大股で歩いてくるものだから、私が大して進まないうちに彼はもう目の前にいた。腕を広げて私を強く抱き寄せる。
「ああ、すまない」
散々抱きしめてから私が妊婦だったのを思い出したらしく、彼は慌てて腕を緩めた。
「平気ですよ。まだお腹も出てないし」
「気分はよくなったのかな?」
「はい、つわりが終わってからはすごく調子がいいんです。研修会中もいつもより体調がいいぐらいでした」
「そうか。だが、君は働き過ぎではないか? 外界には『魔素』もない。無理はしないで欲しいのだが」
「重いもの持ったりしないし大丈夫ですよ。『魔素』部屋も用意してもらいましたし……」ニッキも手伝ってくれた、と言いかけて口をつぐんだ。久しぶりに会ったのに妬かれてはたまらない。
「ところで、留学生が来たので、これからはまた仕事の後にしか会えなくなっちゃうんですが……」
「いいや、それはダメだ」
「え?」
厳しい口調でびしりと言われて、私は思わず彼の顔を見返した。
「暗い夜道で転びでもしたらどうするのだ」
「で、でも、それじゃ会えなくなっちゃいますよ?」
「心配はいらぬ。私がハルカのところに行こう」
「来てくれるんですか?」
「君の仕事が終わる頃に行けばよいのだろう? かまわなけば、翌朝まで滞在させてほしい」
「え、泊ってくの?」
私はかなり驚いた顔をしていたらしく、彼の眉が困惑したように下がった。
「子が生まれるまではつつしむつもりだが……」
「いえ、それはわかってますけど……」
「ほかに問題があるのかな? ……そうか、確かに私が泊まるとなると君が落ち着かぬかもしれぬな。すまぬ、妊婦だというのに私の配慮が足りな……」
「い、いえ……泊ってってください。あなたがいてくれた方が安心できます」
彼がまた自省モードに入りかけたので、私は彼の手をぎゅっと握った。
「あの、来てくれるなんてすごく嬉しいです」
「そうか。それならよいのだ。君の手間にならぬよう、夕食は私が作ろう」
「作れるんですか? 貴族なのに?」
「……それはどういう意味だろうか? 貴族が料理をしてはおかしいのかな?」
「全部、料理人がしてくれるんだと思ってました」
「料理人を雇う者もおるが、私は自分で料理をするのが好きなのだ」
そう言えば、彼の家には使用人の気配はなかったな。掃除や洗濯も自分でしてるんだろうか? レイデンみたいにそっち系の魔法が使えればたいして手間はかからないとは思うけど。
だけど、あの家は彼が王都にいる間の住まいに過ぎず、領地に戻れば一族が住む館があるはずなのだ。ラウラおばさんから聞いた話が頭から離れない。子供ができたんだから、私は彼の配偶者になるんだよね? ってことは彼の領地に連れて行かれちゃうんだろうか?
「……ハルカ、そんなに私の料理が不安なのか?」
「いえ、サリウスさんの手料理だなんて、とても楽しみです」
「よし、それでは市場で滋養のある食材を仕入れてこなくてはな」
「……楽しそうですね」
「君とお腹の子のために食事を作るのだぞ。楽しいに決まっておるではないか」
そう言いながら、彼は私の額に柔らかく口づけた。
ニッキの言った通りだったな。彼は私との間に子供ができたことを喜んでくれている、心配することなんてなにもなかったのに、彼の気持ちを疑ってしまった自分を恥ずかしく感じた。
おばさんの話が心に引っかかってはいたけど、今心配したって仕方がないことだ。もう少しすればサリウスさんも秘密を全部打ち明けてくれるだろうし、二人の将来の事だって腹を割って話し合えるようになるだろう。
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翌日は予定通りに『魔法院』に行った。行きはレイデンが勝手に馬車を手配してしまったのだけど、帰りは歩くことにした。馬車に乗っていてはドレイクと話もできない。様子のおかしいドレイクに腹は立つけれど、できるものなら理由を聞き出してしまいたかったのだ。
いつもの場所に差し掛かると、やはり竜は舞い降りて来た。
「体の具合はどうだ?」
顔を合わせるなり彼は尋ねた。先日の私の不調が気になっていたらしい。けれども、彼はその原因がつわりだったとは知らない。お腹が大きくなってくればバレることなのだけど、ただでさえ様子のおかしい竜がますますおかしくなってしまうんじゃないかと思うと今は話せなかった。
「うん、もう大丈夫。すっかりよくなったよ」
彼は私の返事を聞くと、何も言わずに歩き出した。なぜ昨日来なかったのかと質問さえしない。
「ねえ、最近落ち込んでるよね?」
「落ち込んでなどおらん」
「じゃなに? 心配事でもあるみたいだよ。教えてよ。私とあなたの仲でしょ?」
「お前と俺との仲? それはどういう仲なのだ?」
「友達っていうこと」
「ああ、そうだな。だが何でもない」
そのまま竜は同じペースで歩き続ける。頭も高く持ち上げたまま、遠くて声も届きにくい。なんでもないのならこんな態度を取るはずないじゃない。
それからは会話もないまま歩き続けたが、道中半ばの緩やかな上り坂の途中、ドレイクはぴたりと足を止めた。
「どうしたの?」
「ここで一休みしていかないか?」
「疲れたの?」
「ああ、疲れた」
竜って疲れるのかな? どうもおかしいな。
私が地面に腰を下ろすと、竜は片方の翼を広げて日陰を作ってくれた。薄い飛膜を通り抜ける春の日差しが、地面にゆらゆらと翼の文様を映し出す。
周囲には高い木は生えておらず、王都の広がりと『エレスメイアの木』が何にも邪魔されずに一望できた。
「きれいだね」
「ああ、よい景色だ」
彼は首を大きく曲げて、私の身体に頬を押し付けた。
「しばらくこうしていてくれないか」
「うん、いいよ」
甘えてくるのは久しぶりだな。私に腹を立てているわけではないのかな?
竜はそのまままったく動かなくなった。大きな目は分厚いまぶたの下に隠れている。寝ちゃったの? 触れている彼の頬からは心音も何も感じられない。
「ドレイク?」
彼の目がわずかに開いた。
「……なんだ?」
「生きてるのか心配になったの」
「お前に殺されでもしない限り、そう簡単には死なないが……」
「だよね」
竜はまた目をつぶる。ぽかぽかとあったかいな。そのまま、暖かな竜の頭にもたれて景色を眺めているうちに、私のまぶたも重たくなってきた。
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「ハルカ、起きろ」
ドレイクの声に私は目を開いた。目の前の人影に驚いて顔を上げると、それはレイデンだった。
「どうしたの?」
「なかなか戻ってこないから探しに来たんですよ」
日はもう低い。目の前に広がる王都の景色は赤く染まっていた。
「すまない。俺がうっかりしていたのだ」
ドレイクが素直に謝った。
「ごめんね。すっかり眠り込んじゃった」
「いいんですよ。気温が下がって来たんで心配になったんです」
確かに竜から離れると急に風が冷たく感じられる。レイデンは自分の上着を脱いで私にかけてくれた。
「あなたは寒くないの?」
「ハルカに使ってもらおうと思って着て来たんです。妊婦さんはお腹を冷やしてはいけないのでしょう?」
「そうだね。ありがとう」
言ってからはっとしてドレイクを見上げた。今の会話、聞こえてたよね?
「そうだ。お前はもっと身体を労わった方がいい。自分で思っているよりも疲れが溜まっているのだぞ」
ドレイクは私の額をそっと鼻の先で小突いた。
「え?」
「小僧。あとは任せた」
そう言い残すと、彼は身体の向きを変えて翼を広げ、丘の斜面を吹き上げる風に乗って舞い上がっていった。
「……妊娠したこと、知ってたのかな?」
それであそこで昼寝をさせたの? 私が疲れていると思って?
「彼に話していなかったのですか?」
レイデンは不思議そうな顔をしている。
「うん、サリウスさんの事も話してないし……。でもどうして分かったんだろう?」
「竜に隠し事はできないといいますからね」
「え? そうなの?」
それじゃ今まで黙っていたのも全部バレてたってこと? やっぱりそれで落ちこんでたの?
「本当かどうかは知りません。でも、昔からそう言うんです」
話さないでいたのよりもずっと悪いじゃないか。今度会ったら謝らないと。
けれども、翌週の『魔法院』からの帰り道、ドレイクは姿を現さなかった。




