鬼ごっこの真相
どうしてジャニスがここにいるんだろ?
「おい、魔法で攻撃は違法だって何度言えばわかるんだ」
ぽたぽたと金色の髪から水滴をしたたらせて、ニッキがギロリとジャニスを睨んだ。
「水をかけただけでしょう? 攻撃したけりゃ鼻の穴から肺の中に注ぎ込んでるわよ。なんならやって見せようか?」
鼻息荒く彼女も睨み返す。
「なんでこんなとこにいるんだよ? 今夜はデートだろ?」
「そうよ。タケとここで待ち合わせなの」
当たり前の事を聞くなと言わんばかりのジャニスに、ニッキが当惑の表情を浮かべた。
「つまり、デートの相手はキノシタなのか?」
「そうよ。タケとは毎週金曜日に会ってるの。だからほかの女を薦められちゃ迷惑よ」
「だって、こいつが遊ばれてるのは嫌だって言うからださ」
「……どういう意味?」
「木下さん、真剣な交際が出来る人がいいんだって」
私がニッキの言葉を意訳すると、彼女の眉が吊り上がった。
「はあ? あたしとは真剣な交際をしてないっていうの?」
「お前、やることやってさっさと帰っちまうんだろ? こいつはそれが嫌なんだよ」
「だって、タケが困ったみたいな顔するんですもの。付き合うって言ったくせに、いつまでも他人行儀だし、遠慮して別れたいって言い出せないんじゃないかってこっちだって気を遣ってるのよ」
「あの、僕は付き合うなんて言ってないんですが……」
木下さんは狐につままれたような顔をしている。
「言ったわよ。覚えてないの?」
「いいえ。いつの事でしょうか?」
「湖でさ、あたしを捕まえたら付き合ってあげるって賭けをしたら、ずいぶん張り切ってたじゃないの」
「それで鬼ごっこしてたの?」
「そうよ。ねえ、タケ」
「……すみません。全く覚えがありません」
青鬼は当惑しきった様子で頭を搔いている。
「じゃ、あれはなかったってこと?」
「はい……あの……誤解させてしまってすみませんでした」
「ご……誤解ですって?」
ジャニスはキッと彼を睨むとくるりと背を向けて勢いよく出口に向かって歩き出した。木下さんは呆然と彼女の背中を見つめている。
「おい、好きなんだろ? そのまま付き合ってることにしとけばよかったじゃねえか」
「いえ……」
ジャニスが後ろ手に閉めたドアに目をやったまま、青鬼は肩を落とした。
「ジャニスさんは僕が捕まえたから……賭けに負けたから、付き合ってくれてただけなんです。そんなのフェアじゃないでしょう?」
「お前が勝ったんだから十分にフェアだろ?」
「彼女は僕の正体を知ってるんですよ。普通なら付き合いたいなんて思うはずないんです」
「お前の正体? 鬼……だよな?」
「いいえ、外界にいた時の情けない男が僕の正体なんです。中身は変わってないんですよ。ジャニスさんだって研修会に来てたんですからよく分かってるはずです」
「おい!」
ニッキはグラスの底に残ったワインを木下さんの顔にぶちまけた。ジャニスとやることは変わらない。
「頭冷やしてよく考えろ。あの女が水ん中でお前なんかに捕まるわけねえだろ?」
「え?」
「あいつはな、水がありゃ無敵なんだよ。わざと捕まったに決まってる」
確かにそうだ。いくら鬼に体力があると言っても、硬い地面を走るのとはわけが違う。ジャニスに追いつけたはずがない。
「で、でも、どうしてそんな事を? 同情ですか?」
「馬鹿言うなよ。お前が気に入ったからに決まってんだろ。お前はちっとも情けなくねえし、あいつも頭は悪いがそれはよく分かってる」
「私もそう思うよ。さもなきゃ、あんなに怒って出て行かないでしょ?」
「ほれ、さっさと捕まえて来いよ」
「は、はい! 失礼します」
木下さんは大きくうなずいて、ドアに向かった。
「今度の鬼ごっこはすぐに捕まえちゃいそうだね」
「だろうな。お前にしろ、キノシタにしろ、今日はめでたいことばかりだな」
ニッキは羨ましそうに木下さんを見送っている。こんな顔されちゃサリウスさんの事を聞き出しにくくなっちゃったな。
「さ、飲み直そうよ。こぼれちゃったから何か買ってきてあげる」
彼は何も言わないで、私の顔をじっと見つめた。
「どうかしたの?」
「……なあ、ハルカ……」
「何?」
「……お前の飲んだ薬、俺ももらおうかな」
「失恋の薬のこと?」
「ああ、よく効くみてえだからな」
「うん、それは保証する。『付属病院』のラゴアルさんに会えば処方してくれるよ」
「ラゴアル? 治療師長じゃねえか。簡単には会えねえだろ?」
「そうなのかな?」
私は贔屓されてたようだし、もしかして優先して会ってくれていたのかも。
「じゃ、今度会ったら頼んでおくよ」
「ありがとうな」
私が薬のことを知った時にもずいぶんと気が軽くなったけど、今の彼も踏ん切りがついたような顔をしている。彼が矢島さんへの想いから解放されたら、すぐに相手を見つけてしまいそうだ。
「きっと、私の僕でいるのが煩わしくなっちゃうね」
「ああ?」
「だって、恋人ができたら私となんて会ってる暇ないでしょ?」
「ちゃんと掛け持ちしてやるから、心配すんな」
「お互い相手がいるのにしょっちゅう会うのも変だよ」
「それでも俺はお前にくっついてなきゃなんねえんだよ。『主従の契約』は破れねえ」
「仕方ないなあ」
この契約、思ってたよりも厄介だな。ニッキをいつまでも縛っているのも気の毒だ。解消する方法はないのか、院長に相談してみてもいいかもしれない。
「子供の事、もうサリウスさんには話したのか?」
ニッキが話題を変えた。
「うん、話したけど……ええと……」
あの日、別れ際に彼が見せた奇妙な態度を思い出して私は口ごもった。
「どうしたんだよ?」
「……そのことでね、 聞いてほしいことがあるんだ」
「よし、話してみろ」
私の声にただならぬものを感じたのか、ニッキがすっと真顔になった。
「サリウスさん、子供ができたこと、あまり嬉しくないのかもしれない」
「まさかそんなわけねえだろ? 何を根拠に言ってんだよ?」
「別れ際に不機嫌そうな顔してたんだ」
あれからずっと、あの時の光景が心に引っかかっていた。気にしないでおこうと思っても、どうしても思い出してしまう。
「うーん、子供を育てるのってやっぱ大変だからな。親になった責任をずしりと感じちまったんじゃないのか? でも、話した時には喜んでたんだろ?」
「うん」
「嘘ついてるように見えたか?」
「そうは見えなかったけど……」
「だろ? あの人はそんな人じゃねえ。ハルカを泣かせるような真似はしねえよ」
「ほんとにそう思う?」
「おう、お前は大船に乗った気でいればいいんだ」
ニッキはまるで自分の事のように胸を張っている。彼の確信に満ちた様子を見ていると、だんだんとたいした事じゃなかったんだと思えてきた。
「ありがとね。一人で抱え込んでいるのはしんどかったから、聞いてくれて助かったよ」
「おう。それはお互い様だかんな」
「でも、サリウスさん、どうして正体を教えてくれないのかな?」
ニッキの顔をじいっと見つめたら、彼は気まずそうに目をそらせた。
「……なあ、俺から聞き出すのは諦めてくれねえかな。俺はあの人を裏切りたくねえんだ。時が来たら話すって本人も言ってただろ?」
「今がその時だと思わない? 子供ができたんだよ。普通なら打ち明けると思うんだけど」
「もうちょっとだけ待ってみろよ」
「ほんとに話してくれるかな?」
「あの人が話すって言ったんだ。嘘はつかねえよ」
ニッキの彼に対する信頼は絶大だ。恋人の私以上に信頼してるなんて、負けた気がしないでもない。
「うん、じゃあ、もうちょっとだけ待ってみる」
それ以上追求されないとわかって、ニッキは目に見えて安心したようだ。
「ようし、俺が酒を買ってきてやる。おっと、お前は飲めなかったな。なにか食うか?」
「魚のフライがいいな」
「そんな油っこい物食えんのか? つわりもあんだろ?」
「ううん、三日でおさまっちゃた。もう全然平気だよ」
実際、妊娠する前よりも気分がいいぐらいだ。食べ物の匂いで気持ち悪くなることもないし、それどころか、お腹が空いて仕方ない。
つわりだと告げられた時にはどうなることかと思ったけれど、この調子だと思ってたよりも楽に妊娠期間を乗り越えられるかもしれない。




