恋する青鬼
相変わらず週に一度はニッキが村までやってくる。けれども金曜には事務所には顔を出さず、私とはパブで待ち合わせ。矢島さんとレイデンが一緒にいるところを見たくないのだ。
とっくに諦めてるといいながらも未練たっぷり。失恋した時の自分を見ているみたいで胸が苦しくなる。
この晩もニッキと二人で飲んだ。金曜のパブは村人で混みあっていたが、早めに着いたニッキが壁際の奥まった席を確保していてくれた。
「ねえ、ジャニスは? 留学生もいないんだから一緒に来ればいいのに」
「今夜はデートだって言ってたぜ」
「そうなんだ。アミッドかな」
「たぶんな。でも、最近妙にイライラしてんだよな。あれじゃ相手の男も災難だ」
へえ、どうしたんだろ?
「お前は元気そうだな」
「うん。妊娠したけどね」
「なんだって!」
彼は跳ね上がるように立ち上がった。
「飲んでちゃいけねえだろ!」
「これ、アルコールは入ってないから……」
「そ、そうか。でも、妊婦は早く寝たほうがいいんじゃねえか?」
「まだ六時だよ。落ち着いてよ」
「落ち着いてられっかよ。子供ができたんだぞ」
腰を下ろしたものの、そわそわと本当に落ち着かない様子だ。
「もう、自分が父親みたいな反応だな」
「ば、馬鹿言うな。サリウスさんを差し置いて俺が産ましちゃおこがましいぜ」
おこがましいとか、そういう問題じゃないよな。
「でも、このままだと周りの人にはあなたの子供だと思われちゃうよね」
「やっぱ、別れたことにしねえとまずいか」
それはそれで誰の子かって噂になりそうだ。サリウスさんを村のみんなに紹介できれば一番いいんだけど、どこの誰かもわからない人を何と言って紹介すればいいのかもわからない。とりあえずニッキと別れるところから始めよう。
「しばらく会うのやめようか?」
「そりゃ無理だ。妊娠中に何かあったら困るからな。これからはますます目が離せねえよ」
「助産師さんがいるんだから大丈夫だよ」
「そうは行かねえよ。俺がついてなきゃババアにも叱られるしな」
「え、おばあちゃんに話しちゃうの?」
「主人の身に起こることは全部話せって言われてんだよ。こんな大事なことを黙ってちゃぶっ飛ばされちまう」
過激なおばあちゃんなんだな。
「じゃ、知らせるのはおばあちゃんだけにしておいてよ。父親の事を聞かれて、答えられないのもおかしいでしょ? だから、妊娠したことはサリウスさんの正体がわかるまで秘密にしておくつもりなの」
「え?」
「え、ってなに? 正体がわかってから話すと何か問題があるの?」
「いや、そういうわけでも……」
「そういうわけなんだね?」
やっぱり彼は王様の息子なのかな? 王子じゃないとしても、そんじょそこらの貴族だとは思えない。後からややこしいことになって慌てるよりも、今知っておきたかった。サリウスさんが話す気になるのを待ってたら、いつになるか分からないし、この際『主従の契約』を使ってニッキから聞き出すべきなのかもしれない。
「おい。お前、俺にしゃべらそうと思ってんだろ」
私の考えていることを敏感に察して、彼は慌てて立ちあがった。
「いいか、俺に命令すんじゃねえぞ」
「だって早めに知っておいた方がいいじゃない」
「いや、知らない方が絶対にいい」
はあ? それ、どういう意味?
「お、ハルカ、見ろ! キノシタがいるぜ。おい、キノシタ、こっちだ!」
彼は私の質問には答えず、店に入って来たばかりの青鬼に向かってぶんぶんと手を振った。
気づいた木下さんが村人の間を縫って近づいてくる。ニッキを睨んだけど、彼はすました顔で私を無視した。
「こんばんは」
木下さんは挨拶はしてくれたものの、研修会で昔の思い出を語った時のように表情が暗い。
「どうしたの? 何かあった?」
「いえ……」
青鬼はもじもじと下を向いた。
「何もねえって顔じゃねえな。悩んでるんだったらさっさと話しちまえよ。すっきりするぜ」
「はい……」
彼はそのまましばらく考え込んでいる様子だったが、やがて意を決したように顔を上げた。
「あの、ジャニスさんのことなんです。彼女、僕のことは遊びだったんでしょうか?」
「遊びってなんのことだ?」
怪訝な表情をニッキが浮かべる。自分の失恋で精一杯だった彼は、木下さんとジャニスがキャンプの夜を共に過ごしたことを知らないのだ。
「それ、キャンプの時の話だね?」
「ええ? あいつ生徒に手を出しやがったのか?」
ニッキにもわかるように声に出したら彼が大声を上げたので、木下さんは身を縮こまらせた。
「すみません」
「お前が謝る事じゃねえだろ? あの馬鹿女が悪い」
「で、でも、僕の責任でもありますから……」
ジャニスをかばいながらも、大きな鬼はますます身体を小さくした。
「まあまあ、木下さんは滞在が決まってたんだから、そこは大目にみてあげようよ」
「でもなあ、キノシタは外界人だから、お付き合いってのがしたいんだろ? どうしてあんな女と寝ちまうんだよ? あいつは面さえよけりゃ相手は選ばないんだぜ」
「……そうなんですか……」
木下さんの表情がさらに暗くなった。ニッキの馬鹿。もうちょっと言い方ってものがあるでしょ?
「ねえ、木下さんも研修会で聞いたでしょう? パートナーが見つかるまで、いろんな人とお付き合いするのはエレスメイアでは普通のことだからね。ジャニスも悪気はないと思うんだ」
一時の欲望に任せて、誰彼構わず肉体関係を持つって言った方が正しい気もするけど そう言ってしまうと身も蓋もないからな。
「わかってはいるんですけど、ジャニスさんが優しくしてくれたので期待してしまったんです」
「お前、免疫なさそうだからなあ。仕方ねえか」
「彼女はモテるんでしょうね。やっぱりこんなに青い男じゃ本気にはなってもらえないのでしょうか?」
「色は関係ないと思うよ」
まあ、別の意味で青いとは思うけれど。
「木下さん、格好いいんだから自信持ってよ」
「そうだぞ。あいつはやめた方がいい。一度っきりだし諦めはつくだろ?」
「一度きりじゃないんです。あれから週に一度会ってるんです」
「え? そんなに会ってたの? それなら付き合ってるって言わない?」
「それが……朝になったらつまらなさそうな顔して帰っちゃうんです」
「へえ、やることはやってんだな」
妙に感心したようにニッキが言ったので、木下さんはまたもじもじと下を向いた。
「それじゃダメなのか?」
「僕はハルカさんとニッキさんのような関係に憧れてるんです」
「え、俺たちか? お前が思ってるほどいいもんじゃないぜ」
別れたフリをする算段をしていたところだったので、ニッキは気まずそうだ。
「よし、じゃ、俺が新しいのを探してやる。ほれ、あの女はどうだ? さっきからお前が気になるみたいだぜ。話しかけて来いよ」
ニッキが立ち上がって、木下さんの腕を引っ張った。
「そんなの無理ですよ」
「声かけるぐらい簡単だろ? まずは誘ってみねえと相性もわかんねえしな」
「嫌ですってば。僕はジャニスさんが好きなんです」
「ああ? お前、あいつに惚れてんのか?」
ニッキが意外そうに目をぱちくりとさせた。
「だから、悩んでるんですけど……」
「なんだ、遊ばれて落ち込んでるだけかと思ったぜ。あんな奴のどこがいいんだよ?」
「だって、ジャニスさん、素敵じゃないですか」
「お前、趣味悪過ぎだぞ。悪いことは言わねえ。あいつは諦めて、あそこの女にしとけ……うわっ!」
いきなりニッキが大声を上げた。彼のグラスから発泡酒が吹き上がり、彼の顔を直撃したのだ。
「ちょっと、そこの馬鹿エルフ。タケに何を吹き込んでんのよ?」
聞き覚えのある声に私たちが振り向くと、そこには鬼よりも恐ろしい形相をしたジャニスが腰に手を当てて立っていた。




