クリスの能力
「おや、心配事ですね?」
分厚い院長室のドアを開けたとたんに声をかけられた。院長は嬉しそうに立ち上がって招き入れてくれたけど、視察の旅から戻ってきたばかりで声には疲れが滲んでいた。
「あの、出直しましょうか?」
「いえいえ、娘の顔を見たら癒されましたよ。さ、どうぞ、何があったのか話してください」
彼がさっさと腰を下ろして聞く姿勢に入ってしまったので、私も机のこちら側の椅子に座った。
「お父さん、クリスの事を教えてもらえませんか?」
「彼はあなたの担当ではなかったと思いますが……」
「最近、知り合う機会があったんです。あの……彼に滞在許可が出たのは『カラクリ』工房に弟子入りしたからじゃないんでしょ?」
「それも理由の一つですよ。クリス君には『カラクリ』を改良する技術力がありますから」
「エレスメイアは外界の技術は取り入れない方針じゃないんですか?」
「そんな事はありません。何もかも取り入れるわけではない、というだけの話です」
「でも、それとは別に能力があるんでしょ? 熱を起こす力の事は知ってますよね?」
「はい。それについては機密になっているのですが、ハルカは誰から聞いたのですか?」
「クリス本人です」
「ほう、そうですか」
院長は面白そうな表情を浮かべた。
「あれは攻撃魔法なんですよね?」
「はい。『サムラサヌイヌの熱弾』と呼ばれ、古来より最も恐ろしい攻撃魔法の一つだとされています」
「その事はクリスには知らせてないのでしょう?」
「いいえ、彼は知っていますよ。サフィラさんにも呼び出されて、実験に付き合わされています」
「え!? 『魔法院』に出入りしてるんですか?」
「今のところは彼女の研究室だけですけどね」
「機密なのにどうして彼に口止めしなかったんですか?」
「もちろんしましたよ。私の目の前でちゃんと誓ってもらいました」
でも、彼は私とニッキの前で能力を披露して見せたのだ。どういう事?
「じゃ、彼は誓いを破ったんでしょうか?」
「いいえ、心より信頼する人にだけは打ち明けてもよい、という条件がついていました。それがハルカだとは思いませんでしたが」
「信頼する人? 信頼してるフリだとどうなりますか?」
「誓いを破ることになりますから、話をすること自体不可能です」
どういうこと? 弱みを握っているレイデンはともかく、彼が私やニッキを『心より信頼』しているはずがない。
つまり彼は誓いを破る方法を知っているのだ。レイデンに危害を加えないと誓わせたけど、あの誓いも破られてしまうかもしれない。
「どうかしましたか?」
急に黙り込んだ私に院長が尋ねた。
「いえ、あの……これはクリスから聞いたわけではないんですが、彼にはもう一つ変わった能力があるようなんです。それもご存じですか?」
「どのような能力でしょうか?」
「触わると発動するみたいなんですけど、どんな能力なのかがわからないんです」
「その力なら知っていますよ。学校が始まってすぐにクリスが講師に相談しに来たのです」
「そうなんですか?」
じゃあ、隠してたわけじゃないんだ。それどころか真面目すぎるほどに規則を守っている。かえって不気味な感じがするな。
「どんな能力なのか教えてもらっても構いませんか?」
「ええ、いいですよ。クリス君には物の本質を見抜くことができるのです」
「本質? 『ミョニルンの目』みたいに?」
「少し違いますね。彼は触れることによって、触れた物の組成や仕組みを感じ取ることができるようなのです」
「意味がよくわかりませんが……」
「例えばこの指輪ですが……」
院長は指にはめられた大きな銀色の指輪を私の方に向けた。
「これが銀と銅でできているのが、彼には触れただけで分かるわけです」
「凄いですね」
「ですが、彼の能力に関してはよくわからない事が多いので、彼を引き留めてくわしく調べたいのですよ。ラゴアルさんが診察に使う力にも似ているのですが、彼の高い知能が能力を別の次元にまで高めているように見受けられます」
「じゃあ、触れられても悪影響はないんですね?」
「ええ、感覚が強化されるタイプの魔法ですから、他人に危害を加えることはできません。この能力も機密扱いになっているのですが、ハルカはどうやって気づいたのですか?」
「クリスがレイデンに触ったときに、おかしな感じがして……。ニッキは深いところで魔法が使われたって言ってました」
「レイデン君に触れたのですか? それでどうなりました?」
「クリスは、こんなに美しい人には会ったことがない、みたいなことを言ってました」
「彼の能力で何かを感じたのでしょうね」
「だから、自分と付き合ってほしいって」
「おや、そうなんですか?」
さすがの院長も驚いたらしく目を少し見開いた。
「それでレイデン君は?」
「付き合うことにしたみたいなんです」
「ふむ。クリス君は魅力的な人物のようですね」
「そういうわけではないんです。何なのかはわからないのですが、触られたときに弱みを握られたらしいんです」
「……レイデン君は困っているのですか?」
「それもよくわからなくて……あの……実はおかしな事があったんです」
私はあの晩の出来事を彼に話した。窓から部屋の中を覗いたことも、クリスがナイフを握っていた事もすべて正直に打ち明けた。一人で解決しようとしても手に負えなくなるだけだと思ったのだ。
「彼は『ミョニルンの目』が関係していると言ったのですね?」
「はい」
「では、私たちにできることは何もありません」
「でも……」
「レイデン君に考えがあるのでしょう」
「あの、『ミョニルンの目』の持ち主は『目』が見せた未来を現実にする使命があるというのは、本当なんですか?」
「……それはレイデン君に聞いたのですか?」
「はい」
「ふむ。確かに本当の事ですが、その事は『目』を継ぐ者の間の秘密とされています。『魔法院』でも知っているのは私を含めても数人でしょう。それを話してしまったということは、よほどあなたに介入されたくないのでしょうね」
「黙って見守るしかないって言うんですか?」
「クリス君はレイデン君に危害を加えないと誓ったのでしょう?」
「でも、彼は誓いを破ることができるのかも……」
「いいえ、それはありえません。『マチャイキュルスの呪文』を自力で破るのは不可能です」
院長の口調は確信に満ちている。でも自力で破るのは無理だって事は……。
「……他人の協力があれば破れるということですか?」
「はい。誓わせた者になら誓いを無効にすることができます」
「つまり私のことですね?」
「ええ。でもハルカは誓いを破棄するつもりなどはないのでしょう?」
「当然です」
「それなら心配はありませんよ」
「でも、もしも彼に脅されて、取り消せって言われたら?」
彼は頭がいい。私だってレイデンみたいに弱みを握られてしまうかもしれないのだ。
「心の底より願わなくては、誓いが取り消されることはありません。クリス君も知っているはずですから、ハルカを脅すような無駄な真似はしないでしょう」
院長が言うのだったら確かなのだろう。でも、クリスに関してはわからない事ばかりだ。気を許したら何を仕掛けてくるかわからない。
「顔色がよくないですね。レイデン君が心配なのはわかりますが、詳細が分からないうちは案じても仕方のない事ですよ」
「違うんです。昨日の晩、残り物を食べてからどうも調子が悪くって……」
「食中毒でしょうか? 酷くならないうちに病院で診てもらってはいかがですか? 竜の血の入った食当たりの薬がよく効くそうですよ」
最近はなんにでもドレイクの血が配合されてるようだ。
「お父さんも付き添ってくれませんか? 今の時間だったらラゴアルさん、いますよね?」
「え?」
ラゴアルさんの名前に彼の頬に赤みが差した。
「あ、でもお疲れですよね。一人で行けるから大丈夫です」
「いえいえ、一緒に行きますよ」
やっぱり彼の想い人はラゴアルさんみたいだな。私は院長に付き添われて、『魔法院附属病院』へと向かった。




