クリスがやってくる
「ハルカちゃん、待たせたね」
仕出し屋のモジョリさんがにこやかな笑顔と共に入ってくると、弁当箱の入った籠を机の上に置いた。
「あれ、もうこんな時間なんですね。ありがとうございます」
「今週はお代はいらないから、ツノネズミの退治に来てくれないかな? 厨房に入り込んで困ってるんだ」
「あれ? ネズミ除けの呪文は?」
「今使ってるのは時代遅れらしくてね、耐性のある奴が増えてるんだ。かけ直すにも術師が忙しくて捕まらないんだよ」
「わかりました。今晩、見回りに行きます。でも、お昼代は払いますよ。どうせ会社持ちですから」
モジョリさんが出ていくとレイデンがため息をついた。
「どうしたの?」
いつもは憧れの眼差しで見送るだけなのに、今日はなんとなく落ちこんでるみたい。最近お腹周りにさらに肉がついたけど、それでもモジョリさんこそがレイデンが目標とする至高のイケメンなのだ。
「また自分と比べちゃってる? レイデンは格好いいんだから自信持っていいんだよ」
「見た目ではないんです。最近、自分の弱さが情けなく感じられて……。私も彼のように強くなれればいいんですが……」
「え? モジョリさんって強いんだ」
「ええ、鋼の信念の持ち主ですよ」
精神力の話か。あやうく筋トレを勧めるところだったよ。でも、別れて以来、打ち解けた話はしてくれなかったから、なんだか嬉しい。昨日も別れた時の話が出たし、私たちの間の見えない壁が少しずつ崩れ始めているのかな。
「お昼にしましょう。すぐにお茶を淹れますね」
彼は気を取り直したように、お湯を沸かし、お弁当をダイニングテーブルの上に並べた。
「ところでハルカ、来月、私が休暇を取る件ですが覚えてくれてますか?」
湯冷ましから急須にお湯を注ぎながらレイデンが尋ねた。日本人の私よりもおいしく淹れてしまうので、日本茶はいつも彼の担当なのだ。
「あれ、もう来月なんだね」
彼は毎年一月に一週間の休暇を取って実家に戻る。実家はエレスメイア北部にあるので一週間では慌ただしいと思うのだけど、真面目な彼はそれ以上は休みたがらない。婚約したときにはご両親に紹介してもらう話も出ていたのに、結局、彼の家族と会う機会はなくなってしまったな。
「それとですね。今日の放課後、クリスが来るんです」
「え、ここに来るの?」
「……はい」
少しためらったところを見ると、私が二人の関係を快く思っていないことは分かっているのだ。レイデンみたいな善良な人の弱みにつけ込んで無理やり付き合わせるなんて、どうしたって受け入れられない。
「もうすぐ帰国なので、その前に会いたいそうです」
「そうか。しばらく会えなくなるもんね」
滞在資格を貰っても、異世界に引っ越しとなると身辺の整理が大変だ。戻ってくるまでに一年以上かかる人だっている。
私は留学後、外界に戻る許可は貰えたものの、二週間の猶予しかなかったので、未だにニュージーランドの貸し倉庫に荷物を預けたままだ。お世話になった人達にも「突然にドイツに赴任することになりました」と後から手紙を出す羽目になった。
クリスはどのぐらいの期間、アメリカに滞在するんだろうか? ジャニスは彼は技師だと言っていた。当然、仕事は辞めてくるだろうし、引継ぎで時間がかかるかもしれない。彼はこの先もレイデンを利用しようとするだろう。正直なところ、戻って来て欲しくないんだけど。
「今から『魔法院』に行ってくるね」
湯呑のお茶を飲み干して私は立ち上がった。
「え? 明日じゃありませんでしたっけ?」
「院長に急ぎの用事があるのを思い出したんだ」
クリスが来るのなら、その前に彼の情報を院長から聞き出しておきたい。彼がどんな能力をレイデンに使ったのか、知っておかないと。そう思って飛行バイクで『魔法院』に赴いたのに、院長は不在だった。
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「この間はありがとう」
『魔法院』からの帰り道、舞い降りて来た竜に向かって礼を言った。
「なんの話だ?」
「私が心配でわざわざ様子を見に来てくれたんでしょ?」
「まあな」
それっきり、また何も言わない。そのくせ、ちらちらと私に目を落とす。元のドレイクに戻ってるんじゃないかと期待したのに、そううまくはいかなかったな。彼のおかしな振る舞いにも慣れてきたけど、やっぱり気分のいいものじゃない。
「黙ってないで何か話そうよ」
「お前が話すがいい。なにか悩みがあるのだろう」
「うん、でも、どうしていつもわかっちゃうの?」
「何がだ?」
「私が悩んでると、必ずどうしたのかって聞いてくれるでしょ?」
「そんな浮かない顔をしていれば嫌でもわかってしまうだろう」
「え? 顔に出てたの? なんだ、心を読まれてるのかと思ったよ」
「それは俺でも無理だ。ま、お前は分かりやすいから、心など読めなくても苦労はせんがな」
そんなに分かりやすかったのか。やっぱり恋人ができたこと、バレちゃってるのかな? 付き合い出した頃はきっと浮かれた顔してたから、バレていても不思議はないよね。
私はレイデンとクリスの間に起こったことをドレイクに話した。彼にならレイデンの事も相談しやすい。
「あの眼鏡の男か。確かに俺に触れた時にもなにかの魔法を使ったな」
「やっぱり。あなたは大丈夫だった?」
「竜にダメージを与えられるのは『ドラゴンスレイヤー』の魔法だけだ。問題はない」
「呪いも効かないの?」
「ああ、俺たちには効かぬ。だが、あやつの魔法は呪いでも悪い魔法でもないぞ」
「そうなんだ。じゃ、何の魔法?」
「あれだけではよくわからんな」
ドレイクでもわからないのか。
「レイデン、大丈夫なのかなあ?」
「目玉小僧なら自分の身ぐらい守れるだろう。その男について『魔法院』では教えてくれないのか?」
「今日は院長がいなかったんだ。ちょうど地方の視察の時期らしくて、留守にしてることが多いんだって」
「そうか。なにかわかったら教えてくれ」
久しぶりに会話らしい会話ができたと思ったのに、また彼は黙り込んでしまった。この空気、苦手だなあ。
「ねえ、ドレイクって、誰にでも触らせちゃうんだね」
「慕われるのは悪いものではない。どうせ、お前は気にもせぬのだろう?」
「そうでもないよ。ちょっと妬けたかな」
いつもなら、「気になんてならない」って突き放すところなんだけど、様子のおかしいドレイクに冷たい言葉は使えない。
「そうか」
それなのに竜は頭を高く持ち上げて黙り込んでしまった。以前ならちょっと甘い言葉をかけただけで大喜びしたんだけどな。湖では強引にキスしてきたくせに、なんなのさ。
そのままほとんど言葉も交わさないまま、いつもの場所で彼と別れた。
今日はいつもと違う日に『魔法院』に行ったのに、私を見つけて降りてきてくれた。思い返せばいつだってそうだ。私が通らないか、いつも空から見張っているの? そんなに私に会いたいのなら、どうしてつれない態度を取るんだろう?
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事務所に戻ってしばらくすると、表からおかしな音が聞こえて来た。規則正しい間隔でプシュン……プシュン……という音がだんだんと近づいてくる。子供たちが騒ぐ声も聞こえた。
何だろう?
ドアをあけて外を覗くと、村の人たちに囲まれて、灰色の馬が一頭こちらに歩いてくる。奇妙な音はその馬から聞こえてくるようだ。
目を凝らしてよく見たら、馬の背中に跨っているのはクリスだった。




