繭の中の二人
さっさと点呼を取って馬車に戻って眠ってしまおう。
中に人がいる繭はぼんやりと暖かな光を放っている。照明の魔法の明かりだ。
以前ここに来たときにはレイデンと二人で繭の中で眠った。底が丸いので身体が自然にくっついてしまう。お互いに押し付けられて気持ちが高ぶってしまい、結局は声を殺して愛し合った。
それほど遠くもない思い出なのになんの感情も呼び起さない。大昔に見た映画の中のシーンのようにぼんやりとしか思い出せないのだ。
レイデンはどこにいるのかな? 彼が使うと言っていた繭には明かりは灯っていない。戻ってないのかな? それとももう寝ちゃったの?
とりあえず森の空き地に戻ると、カールが小さくなった火のそばで丸太に腰をかけて星を眺めていた。
「ねえ、レイデン見た?」
「ええ、クリスと気が合うみたいですね。今夜は飲み明かすんじゃないですか?」
「どこで見たの?」
「あの辺りの繭に入って行きましたが……」
「二人で?」
「はい」
もちろん彼は二人の間に何があったのかなんて知らない。私は彼に悟られないように心の動揺を隠した。
付き合うって言ったとたん、狭い繭で二人きり? エレスメイアじゃ誰もがやってる事だと言ってしまえばそれまでだけど、レイデンは好きな人がいるのに誰とでも寝るような人ではない。
弱みを握られてるって言ったよね。それで逃げられないのなら、私が助けに行くべきなんじゃ?
「クリスってどんな人?」
「さっき話すまでは挨拶しかしたことなかったんですよ。でも礼儀正しくて優しそうな人ですね」
優しそう? そんな風には全然見えないんだけどな。
「学校じゃどんな感じ?」
「呪文を唱えるのがとても上手いんです。エレスメイア語もかなり読めるって話ですよ」
へえ、それは凄いかも。ジャニスが言っていた通り、相当頭がいいんだな。
「あなたはまだ寝ないの?」
「ええ、エレスメイアの夜空を眺められるのも残り少しですから」
寂しそうな表情が彼の顔をよぎった。
「そっか。それじゃ、どの繭に泊まるのか教えてよ。防寒の魔法をかけておいてあげる」
「それなら僕にもかけられますから、自分でやりますよ」
「わかった。また明日ね」
「おやすみなさい」
私はカールに教えてもらった方角に向かった。すぐ近くにぼんやりと光る繭があるけど、あれがそうかな?
どうやってレイデンを助け出そう。まだ周囲に起きている人がいる間はクリスも彼には手を出さないだろう……とは思うんだけど。
近づくとぼそぼそと声が聞こえて来た。
「レイデン? そこにいるの?」
呼びかけたら、繭の端の円形の蓋が持ち上がり、レイデンが顔を出した。天井が低いので背の高い彼は窮屈そうに膝をついている。繭の外にはらりとこぼれおちた黒髪が艶めかしいのだけど、本人は自分がどう見えるのか気づいてもいないのだろう。ダメだ、彼をクリスと二人きりにさせるわけにはいかない。
「ああ、ハルカ、どこにいたんですか? あなたが見つからなかったもので先に引き上げてしまったんですよ」
「ごめんね。ニッキが酔ったから馬車に連れていったの。今夜は私も馬車で寝るよ」
「ジャニスと木下さんは戻ってますか?」
「うん、もう寝てるよ」
「それはよかったです。生徒さんたちの点呼は取りました。カール以外は繭に戻っているはずです。防寒の魔法もかけておきましたから、もう特にすることはないと思いますが……」
「あ、ありがとう」
私がニッキにかまけている間に、真面目な彼は職員としての務めをきちんと果たしてくれていたのだ。
「おや、ハルカさん」
レイデンの後ろからクリスが顔を出した。彼は私が盗み聞きしていたのに気づいていないはずだ。付き合うことになったのは知らないふりをしておこう。
「ええと、問題はないですか?」
「はい、ありません」
「今日は二人ともここで寝るの?」
「ええ、彼とは話したいことがたくさんあるんですよ」
クリスの眼鏡が冷たく星明りを映している。
「ハルカさんも一緒にお話ししますか?」
本気で言ってるのかな? それとも社交辞令? 彼の表情からは判断のつけようがない。
「いえ、もう遅いので私は寝なくっちゃ。その前に仕事の話があるんです。レイデン、来てもらってもいいかな?」
「ええ」
繭から這い出した彼を少し離れた木の陰へと連れて行った。ここならクリスに会話を聞かれる心配がない。
「もしかして、また私を助け出そうとしてるんですか?」
レイデンが尋ねた。
「うん、そうなの。いくら彼に弱みを握られてるからって……」
「ハルカ、私は大丈夫です。気持ちは嬉しいですが……」
彼は私の言葉をいきなり遮った。
「もう戻りますね。おやすみなさい」
「で、でも、レイデン……」
引き留めようとして手を伸ばし、彼が手袋をしていないのに気づいた。反射的に動きを止めた私の手を彼の目は見逃さなかった。友達だと言いながら私には彼の手に触れることさえできない。
「ねえ、ハルカ、私は子供ではないんですよ。自分の面倒は自分で見れます」
「だけど……」
「いいですか。確かに弱みを握られているとは言いましたが、彼と恋人として付き合うことに抵抗はないんです。だからもう私の心配はしないでください」
「そ、そうなんだ。じゃ、余計な事しちゃったね。ごめん……」
「分かってもらえたのならいいんです」
彼の声はクリスの瞳の色のように冷ややかに響いた。
「おやすみ、レイデン……」
目頭が熱くなって、それだけ言ってその場を離れた。彼は私に口を出すなと言っているのだ。歩きながら彼の言葉に自分が傷ついたのだと気が付いた。
もう彼に恋してはいないけれど、大切な存在なのは変わらない。彼がトラブルに巻き込まれてるんじゃないかと……辛い目に遭うんじゃないかと心配しているだけなのに。自分の無力さが情けなかった。
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ずっしりと重い気持ちで馬車に戻った。
「水使いの姉ちゃんは見つかったのかい?」
草の上に寝転がっていたジャンマーが私に気づいて頭を持ち上げた。
「うん、木下さんと仲良くやってるから置いてきた。みんな、人の気も知らないでさ」
「嬢ちゃんも大変だな」
ニッキは毛布の下で丸くなって眠っている。私はそのままの服装で、毛布の中に潜り込んだ。
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そして今に至る。
まばゆい星空を見上げたまま、私はまたため息をついた。
ジャニスと木下さんの取り合わせは絶対にまずい。エレスメイアに馴染み切っているジャニスは軽い気持ちで手を出したんだろうけど、男女の付き合いに疎い木下さんが遊びで女性と関係を持ちたがるとは思えない。さっきのジャニスを呼ぶ声は恋する人の声だった。彼女だって分かっているはずなのに、お酒が入って理性を抑えられなかったのかな。
温度差の違う二人が関係を持ってしまったのだ。この先どうなるのか、あまりいい予感はしない。せっかくエレスメイアで新生活を始めようというのに、最初から望みのない恋なんてして欲しくはない。
それよりもさらに望みがないのはニッキの恋だ。矢島さんが本命だったなんてまだ信じられない。あんなに冷たくあしらわれているのに、よく好きでいられたものだ。ニッキって本当はドMだったんだろうか?
その彼の恋敵になってしまったレイデンは、クリスと狭い繭の中で一夜を過ごしている。
彼は手袋をしていなかった。あの手でクリスに触れていたの? 彼にとって自分の姿を気にせずに触れ合える相手は何よりも貴重な存在なのかもしれない。私はお節介な邪魔者でしかなかったのかな?
ああ、もう心配事はたくさんだ。サリウスさんに会いたいな。ぎゅっと抱きしめて、何もかもうまく行くよと言ってくれればいいのに。
ーーサリウスさん、会いたいよ。
私には思念は飛ばせないけど、彼に心で呼びかけてみた。携帯電話があればいつでも話せるのにな。『魔法世界』にも不便なことはあるのだ。
「……くそ……キュウタ……」
ニッキが耳元で寝言を言った。