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ジャニスの策略

 あれ、もしかして私を口説いてるの? ニッキに迫られるのは初めてではないけれど、今回の彼の表情には鬼気迫るものがあった。私の肩に置かれた両手が痛いほどに食い込んでくる。


 彼の方こそ私には惹かれないって言ってたくせに、突然どうしちゃったんだろう? 飲みなれない外界のお酒の作用で惚れっぽくなっちゃった?


「ダメじゃないけどさ、私にはもうサリウスさんがいるから、ニッキを好きになるわけにはいかないの」


「ああ? 何言ってんだ?」


 彼が目をぱちくりさせた。


「おかしな誤解すんなよ。口説いてるわけじゃねえ。あいつと比べて俺のどこがいけねえのか知りたいって言ってんだよ」


「もう、紛らわしい質問の仕方はやめてよね」


「いいから教えてくれよ。俺の何が悪いんだ?」


「ええと、偉そうなところかな?」


「他にもあるだろ? いつも文句言ってるから、よく分かってんじゃねえのか?」


「それなら自分でも分かってるんでしょ?」


「はっきり言えって頼んでるんだよ」


 酔っ払い相手にはっきり言っちゃってもいいのか迷ったけど、言わないといつまでも絡まれそうだ。


「生意気なところだな。自分勝手だし自信過剰だしすぐ調子に乗るし……」


「ああ、くそ! 全然ダメじゃねえか」


 今にも泣き出しそうな顔で、こぶしをぎゅっと握りしめている。


「……ねえ、急にどうしたの?」


 今まで何を言っても気にも止めなかったのに、やっぱり外界のお酒のせい? 飲むと自省モードに入るのかも。それなら会う度に飲ませてやるんだけどな。


「くそ、あいつの事、情けねえ奴だと思ってたけど、俺の方がずっと情けねえよ……」


「どうして自分とレイデンを比べるの? ニッキにはニッキのいいところがあるでしょ?」


「それじゃダメなんだ」


 今までレイデンの事なんて眼中にないって感じだったのに、どうして急に気にし出したんだろう? まるで彼に嫉妬でもしてるみたい。


「くそ、キュウタの野郎……」


「え……今、キュウタって言った?」


「あ、ああ? 言ってねえよ」


「言ったじゃないの」


 なんでここに矢島さんが出て来るの? もしかして、彼がレイデンに嫉妬する理由って……?


「ええ! ニッキ、矢島さんが好きなの!?」


「ば、馬鹿言うなよ。あんなの好きなはずねえだろ?」


 蔑むような口調でそう言ったものの、彼はそっぽを向いて私と目を合わせようとしない。


「じゃ、なんで『キュウタの野郎』なの?」


「言ってねえってば」


「でも顔が赤くなったよ。ほら、真っ赤。鏡見せようか?」


 彼は慌てて顔を覆った。


「う、うるせえ!」


「隠しても分かるよ。ニッキが好きなのって矢島さんだったんだ」


「しつこいな。好きで悪いか!」


 うわ、認めた!


 彼は口をへの字に曲げて黙り込んだ。まさか好きな相手が犬猿の仲の矢島さんだったなんて。ずっとジョナサンだと思い込んでいたので、にわかには信じがたい。 


「……いつから? 矢島さんが一期生だったころ?」


 金色の頭が下を向いたままこくりとうなずく。


「そんなに長い間、ずっと片想いしてたんだ。気持ちも伝えないで……」


「あいつは俺が鬱陶しいみたいだからさ。言えば絶対にフラれるだろ」


 確かにあの人、彼を見るたびに本当に鬱陶しそうな顔をするんだよな。嫌悪の情さえ感じられることがある。留学期間中は仲が悪かったわけでもなさそうだけど、なんでこんなにこじれちゃったんだろう?


 研修会で盗み聞いた矢島さんとジョナサンの会話を思い出した。つまり矢島さんはニッキの気持ちは知ってたわけだ。知っていながら何年もの間、気付かないフリを通してきたのか。こりゃ例えレイデンと付き合ってなかったとしても絶望的だな。


「どうしようもないのはわかってるんだけどな」


 本当にどうしようもないな。応援してあげようにも、矢島さんはレイデンの恋人だし、違法な魔法でも使わない限りニッキを好きになることはないだろう。


「あなたが好きなのはジョナサンだと思ってたんだけどな」


「はあ? なんでだよ?」


「だっていつもジョナサンの話をしてるし、凄く会いたがってたでしょ?」


「そりゃ、あいつが一緒にいてくれたら、キュウタとも話ができるからな。昔みてえにさ……」


 矢島さんと普通に会話したいばかりに、ジョナサンがいる時を狙って彼に会いに行ってたのか。健気すぎて胸が痛い。


「お前は笑わねえんだな」


「笑うはずないでしょ? 今夜は好きなだけ飲んだらいいよ。生徒さんは私がみるから」


 私は彼のグラスに残ったワインを残らず注ぎ込んだ。さっさと酔い潰して眠らせた方がいい。こんな顔したニッキ、見てる方が辛いから。



        ****************************************



 程なくしてニッキは私のひざに頭を乗せて寝息を立て始めた。酔っていてもきれいな顔だ。でもその表情は苦し気で、何もしてあげられないのがもどかしい。


「寝ちゃいましたね。写真、撮ってもいいですか?」 


 いきなり後ろからアリシアに話しかけられた。いつから見てたんだろう?


「ニッキの写真ばっかり撮ってるね」


「はい」


「あなた、ニッキが好きなの?」


「ええ、外見がとても」


「外見?」


「彼、最高ですよね。ハルカさんは彼女なんでしょ? 秘蔵の写真とかあったら分けてもらえませんか?」


 『彼女』の持ってる秘蔵の写真ってなんだろ?


「寝顔……とかかな?」


「そうそう、そういうのです」


「外見が好きだから写真を撮ってるの?」


「私、絵を描くんですよ。外界に戻ったら彼の絵を描こうと思って。だからなるべく記憶に残しておきたいんです」


「へえ、そうだったんだ」


 彼女は理想のモデルに執着していたわけか。


「あの、今スケッチしてもいいですか? この表情、逃したくないんです」


「うん、いいけど」


 彼女は小さな手帳を取り出して、さらさらと鉛筆を走らせ始めた。


「見てもいい?」


 しばらくして彼女が手を止めたので、私は尋ねた。


「ええ、どうぞ」


 差し出された手帳にはニッキの苦悶の表情が柔らかな線で見事に描写されていた。


「へえ、すごい。上手だね」


「一応、プロなんですよ」


 アリシアが照れたように笑う。


「でも、彼、大丈夫ですか? 辛そうなんですけど」


「うん。彼にも色々あるんだ」


 好きなのは外見だけか。これは今のニッキに教えるわけにはいかないな。



        ****************************************



「ねえ、ちゃんと寝た方がいいよ」


 私はニッキの身体を揺すった。もうみんな寝に行ってしまった。ここで彼を眠らせたのは失敗だったな。今夜はどこに泊まるつもりだったんだろ? 私もまだ繭を選んでいない。自分の荷物は馬車に積みっぱなしだ。


「嬢ちゃん、まだ起きてるのか?」


 夜の散歩を楽しんでいたジャンマーがぽくりぽくりと近づいてきた。


「『東の森』の兄ちゃん、酔っぱらっちまったんだな。悲しそうな顔してどうしたんだ?」


「すごく辛いことがあったんだ。繭の中に一人で寝かせたらまずいかな?」


「いやだ……置いてかねえでくれ……」


 目が覚め切らないままニッキがうめいた。困ったな。こんなに酔ってちゃ梯子を上れるかどうかもわからない。


「馬車の中で一緒に寝てやっちゃどうだ? 毛布はたくさん積んであるし、暖房の呪文はこないだ更新してもらったばかりだ。馬車の中にいれば寒くねえよ」


 ジャンマーの首につかまらせて、湖の近くの馬車までニッキを連れて行った。


「なあ、ハルカ、ここにいてくれよ」


 分厚い毛布をかぶせようとしたら、彼がにゅっと手を出して私の手を掴んだ。


「うん、隣で寝てあげるから心配しないで」


 彼がぎゅっと手を握ってくる。子供みたいでかわいいな。


「お前を抱いちゃダメか?」


「ひっついて寝るって意味だよね?」


「いいや、ほんとに抱きたい」


「それはダメ」


 かわいいと思ったのは撤回だ。身体で『慰める』風習のあるエレスメイアではこんな発言も許されるけど、だからといってニッキと寝るわけにはいかない。


「そうだな。そんなことしちゃ、サリウスさんにも失礼だよな。すまなかった」


 ニッキは一瞬だけ真顔に戻って、もごもごと謝った。泥酔している彼に自制心を取り戻させるなんて、サリウスさんってほんとに何者なんだろう?


「……じゃ、ひっつくのはいいだろ?」


「そこまでなら許してあげるよ」


 寂しそうな顔を見ると断れない。私も毛布の下に入って、彼の肩を抱き寄せてやった。


 長い恋だったんだな。矢島さんがふらふらしている間は、もしかしたらって諦められなかったんだろう。これを契機に新しい恋を探してくれればいいんだけどな。



        ****************************************



 ニッキが眠ったのを確認して、私は毛布から抜け出した。そういえば、湖が静かになってるな。


「ジャニスたち、戻って来てるのかな」


「さっき、あっちの方で見かけたぜ。岸辺に座ってしゃべってたな」


 ジャンマーが鼻面を右手の方角に向けた。


「探してくる。生徒さんたちの様子も見てくるよ」


 ジャニスは職務を放棄しちゃってるし、ニッキは酔いつぶれている。北アメリカ地区の生徒さんの様子は私が見て回るしかないな。繭にも防寒の呪文をかけないと朝方は冷えるだろう。


 ニッキを見ていてくれるようにジャンマーに頼んで、ジャニスたちを探しに行った。木下さんがどうしているのか気にかかる。魔法の明かりをともして湖の岸に沿って歩いた。


 大きな木の根元に暗い色の塊が見えた。近づいてみるとそれは茶色い毛布で、下から大きな足の先が突き出している。木下さん、こんなところで寝ちゃったんだ。


 声をかけた方がいいのかな? さらに近づいたら毛布がもぞもぞと動いた。


「ジャニスさん……。寒くないですか?」


「うん、タケって体温高いのね」


 二人の声が聞こてくる。毛布の形状から推測すると抱き合って寝ているようだ。


 結局ジャニスは鬼に捕まってしまったらしい。鬼の方が捕まったと言うべきか。濡れた木下さんの腰布が近くの木にかけてある。いくらエレスメイアに居残ることが分かってるからと言って、代理店の職員が留学期間中に生徒さんに手を出してはいけないのだが、注意するには手遅れらしい。


「キスの相手がジャニスさんでよかったです」


「あれ、わざとよ」


「え?」


「ボトルにワインが残ってたでしょ? あたし、水だけじゃなくて液体全般操れるから」


「それ、僕にキスしたかったって意味ですか?」


「聞かなくてもわかるでしょ?」


 おかしいと思ったらジャニスがズルしてたのか。うまいこと女の子たちが目的の人とキスしてキリよく終わったから、そういうこともあるんだと感心してたんだよな。でもクリスとレイデンをキスさせたのは悪趣味だ。おかげで面倒なことになってしまった。


 間もなく毛布の中から甘い声が聞こえ出したので、私は慌てて退散した。


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