レイデン、働き始める
翌朝、レイデンは始業時間の三十分前に現れた。
「そんなに早く来なくてもギリギリでいいよ」
「初日から遅刻で首になっては困りますから」
真面目な顔で言われると本気なのか冗談なのかわからない。彼は昨日片づけたばかりのデスクの上のノートパソコンに目をとめた。
「これが話に聞いたコンピュータというものですね」
「うん。これは小さい奴だけどね」
留学代理店だけは業務用のノートパソコンの持ち込みが許されている。ネットに繋がってはいないので、データベースや写真の管理にしか使ってないんだけどね。
「英語が読めれば使い方を教えてあげられるんだけどな」
『ICCEE』の第一公用語はドイツ語なのだが、ドイツ語を話せない職員が多いため、連絡や書類の作成には主に英語が使われているのだ。
「『ホームステイ管理』……ですね」
モニターの上のアイコンを見て彼が言った。
「え、読めるの?」
「はい、珍しい能力らしいんですけどね」
珍しいって聞いたこともないんだけど。
「黙っててくださいね。『魔法院』で研究材料にされちゃいますから」
「報告してないの?」
特殊な魔法が使える者は『魔法院』で登録しなくてはならない事になっている。自分に秘められた能力に気づかない人も多いのだが、能力があると知りながら報告を怠たった事が立証されれば、厳罰を受けることもあるそうだ。
「私に話しちゃってよかったのかな?」
「ハルカさんは密告なんてしないでしょう?」
昨日会ったばかりなのにどうして私を信頼できるんだかわからない。もっとも書いてあることが理解できても、書けないことが判明したので、タイピングの仕方は教えられなかった。読めるだけでもずいぶんとありがたい。
まずは書類の整理を手伝ってもらった。文字が読めるのはとても助かる。私が英語を読むよりもずっと早い。何を教えても恐ろしく飲み込みが早く、一度覚えれば忘れないようだ。これも何かの能力なのかな? 私が褒めると彼は頬を赤くして礼を言った。イケメンなのに謙虚なのも好感が持てる。
正午を三十分ほど過ぎると、モジョリさんが弁当箱の入った籠を抱えてやってきた。うちは人数が少ないので、配達は後回しで構わないと伝えてある。
モジョリさんは恰幅のよい中年のおじさんだ。弁当箱を出しながら、にこやかにレイデンに笑いかけた。
「へえ、あんたが新人さんだね。おまけしておいたよ」
「いつもありがとう。この人、レイデンっていうの」
「初めまして」
レイデンは礼儀正しく頭を下げた。
「格好いい兄ちゃんだねえ。これから忙しくなるからね。しっかりハルカちゃんを手伝ってやんなよ」
「はい」
格好いいと褒められたからか、レイデンはほのかに赤くなった。籠を抱えて出ていくモジョリさんの後姿を、頬を染めたままじっと見送っている。あれれ、もしかして、あれが彼のタイプだったりする?
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「ねえ、どうかした?」
午後に入って、なんとなく彼の雰囲気が暗いのに気づいた。
「ご飯、おいしくなかった?」
「いえ、ものすごくおいしかったです」
「もしかして緊張してる?」
「はい。初日ですので」
それにしても恰好いいなあ。どうせ彼女か彼氏がいるんだろうけど、せっかくだから鑑賞させてもらおう。浅黒い肌は傷どころかしわ一つない。吹き出物とは縁がなさそう。美術館の彫像みたい。
見た目だけでなく彼は実に気が利いた。魔法もかなり使えるようだ。こちらでは部屋の照明や温度調整にも魔法を使う。日常生活で使う魔法は、ほとんどの人が生まれつき使えるのだけど、私は微調整が下手なので、レイデンがいてくれて楽になった。
いつの間に掃除してくれているのか事務所の床もピカピカに光ってる。毛皮にゴミがつかなくなって助かるとケロが嫌味を言った。魔法を使ってのバッテリー充電もうまい。外界製のバッテリーなんて見たこともないはずなのに、いとも簡単に覚えてしまった。いくつも破裂させまくった私とは大違い。
何もかもにおいて完璧なアシスタントだったけど、ひとつだけ気になる事があった。オフィスの小さな鏡の前を通るときに早足になるのだ。決してそちらには目を向けない。魔性のものは鏡を避けるっていうけど……まさかね。
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三日目の朝、彼に会うのが待ちきれなかった。
「ハルカ、僕はレイデンならいいよ」
「何が?」
「ハルカの恋人」
「ちょ、ちょっと何言ってるの? あんなの絶対に相手がいるに決まってるでしょ」
「そうかなあ。もしいなかったら付き合うの?」
「え?」
「赤くなっちゃって。もしかしてほんとに好きになっちゃった?」
「うん、そうみたい」
ケロが目を丸くした。
「じゃ、じゃあ、告白しなきゃ!」
「無理だってば」
「どうして? ハルカはこっちの男と付き合っても構わないんだろう?」
こちらの男と交際禁止と口を酸っぱくして生徒さん達に説いている立場ではあるけれど、留学生と決定的に違うのは、私が合法的にここにいられる身分だということだ。ここの人間と恋に落ちても何一つ問題はない。
でもね……
「あんな超のつくイケメン、私じゃ無理に決まってるって言ってるの」
「え、なんで?」
「とうみても釣り合わないと思わない?」
「そうかなあ? ハルカはかわいいと思うけどなあ」
ケットシーの美的感覚は根本的に人間とは違うのを知ってるので、褒められても全然嬉しくない。
「一つぐらい欠点があればいいのに」
「そうなの?」
「だってあまりにも完璧すぎるでしょ? たとえ付き合えてもこっちが落ち着かないよ」
それに女性には興味がないのかもしれないし。
「おはようございます」
ドアが開き当人が顔を出した。
「お、おはよう」
顔が赤くなるのを感じたので、キッチンに駆け込んで深く深呼吸。何もなかったような顔でオフィスに戻った。おかしな特技があってよかった。
付き合うのは無理だといいながらも気になって、彼のことを少し調べてみた。『魔法院』で研究していたと言っていたけど、彼の名前で登録された『魔法院』公認の『魔法使い』はいなかった。ただの研究員だったようだ。
『魔法使い』の杖にはめられた石は、特技とする魔法と関係している場合が多い。彼の杖の白い石がどういう意味をもつのか調べてみたが情報はなし。指輪も地味すぎて手掛かりにならない。
不思議なことに毎日午後になると彼は元気をなくすようだった。疲れやすいのかな? それとも仕事が簡単すぎてつまらないのかも。