それぞれの気持ち
レイデンとクリスの事は気になったけど、留学代理店の職員としては二週間後には帰国してしまう生徒さんたちを優先しなくてはならなかった。私はぽつんと一人で座っているマイアの隣に腰を下ろした。
今回の留学期間は比較的順調だったけど、彼女の事だけが心にひっかかっていた。会う度に罪悪感を覚えずにはいられない。今日も楽しそうに会話に加わってはいたけれど、合間に浮かべる寂しげな表情がどうしても気になってしまう。
「ねえ、大丈夫?」
「そうですね。寂しいですけど、なんとかやってます」
彼女とはあれから何度も話したけど、私にはいつも包み隠さず気持ちを打ち明けてくれた。
「あの……どうしても辛かったら病院で『失恋の薬』が貰えるんだよ」
教えるべきなのか迷っていたのだけれど、せっかくのエレスメイア留学を悲しい気持ちで終えてほしくはなかった。
「私も使ったの。おかげですごく楽になれたから……」
「レイデンさん……ですか? 」
「うん。今では好きだった時の気持ちも思い出せなくなっちゃった」
「……やめておきます。苦しくても彼と過ごした時間を失いたくないんです」
彼女は寂しげな微笑を浮かべた。
「これってやっぱり失恋なんですね。好きだって自覚もなかったのにおかしいですよね」
「……こんな事になっちゃってごめんね」
「いいえ、ハルカさんのせいじゃないですよ」
彼女はこの想いを外界に持って帰ると決めているのだ。強いな。私なんて耐えきれずに何もかも捨ててしまったというのに。
レイデンに目をやると、飲み直すことに決めたらしいアニーとキャスに絡まれて、困り切った顔をしている。彼は私との過去なんてもう忘れてしまったのかな? それとも暖かな思い出として少しは胸の奥に残してくれているんだろうか?
クリスは離れたところでカールと話をしている。外界から来た長剣を見せてもらっているのだ。付き合えと言ったくせに、レイデンが異性にベタベタされても気にならないらしい。キャスがレイデンの腕に自分の腕を絡めて大きな胸を押し付けている。これは助けに行った方がよさそうだ。
「レイデン、明日の事で話があるんだ。一緒に来てくれるかな?」
「は、はい」
私の呼びかけに、レイデンはこれ幸いとキャスの腕から抜け出した。
ニッキはニッキでアリソンに話しかけられて引きつった顔をしていたので、彼もついでに救出した。キャンプファイアから少し離れた木々の間に連れだして、大きな丸太の上に二人を座らせた。
「ハルカ、助かったぜ。ありがとな」
アリソンの相手がよほど嫌だったのか、ニッキが素直に礼を言った。
「ここでちょっと休憩しようよ」
「そうだな」
「あの、明日の話はいいんですか?」
人を疑わないレイデンは、本当に仕事の話だと思っていたらしい。
「困ってたから助けてあげたんでしょ」
「ああ、そうだったんですね。ありがとうございます。ええと、あの……」
レイデンは私とニッキを交互に見ながら口ごもった。
「どうしたの?」
「……さっき、私とクリスを見てたでしょう?」
「え? 気づいてたの?」
「ええ。見えましたから」
彼は自分の額を指さした。
「しまった! 『目玉』には呪文が見えんだった!」
ニッキはレイデンの能力の事を忘れていたらしい。肝心なところで頼りにならないなあ。でも、バレてしまえば質問もしやすい。
「ねえ、レイデン。どうしてあの人と付き合うって言ったの? 断ってもよかったんでしょ? それとも弱みでも握られてるの?」
「はい」
「え? 本当に?」
あっさりと認められて拍子抜けだ。
「弱みってなんなの?」
「話せないのです。すみません」
やっぱり呪いをかけられちゃったのかな? でもレイデンが話せないと言えば決して話さないのは分かってる。追求しても無駄なのだ。
「どうするつもりなの?」
「どうもしませんよ。彼と付き合えば済むことです」
「でもあの人、すごく変わってるでしょ?」
「そうですね。私が美しく見えるようですから」
「レイデンは誰が見てもきれいだよ」
「そうでしょうか?」
問い正すように言われて、自分には彼の『目玉』が直視できないのを思い出した。
「あの……ごめん」
「謝ることはないですよ」
彼はおおらかに微笑んだ。
「ねえ、矢島さんはどうするの?」
「彼には話さないで貰えますか?」
「嘘つくつもり?」
「折をみて私から話します」
「ヤジマってキュウタだろ? なんでそこにキュウタが出てくるんだ?」
意味が分からないといった様子でニッキが口を挟んだ。
「そりゃ、レイデンの恋人だから……」
と、言ってから思い出した。矢島さんはニッキには秘密にしてたんだったっけ。極上のからかいのネタを彼の敵に与えてしまった。こりゃ、こっぴどく叱られるな。
「ええ、お前とキュウタか?」
ニッキは心底驚いたようだ。
「はい」
「ハルカを捨てといてキュウタか? お前、馬鹿なのか?」
「すみません」
ニッキに謝る事ではないと思うんだけど、レイデンは気まずそうに下を向いてしまった。
「ま、キュウタならお前が誰と会おうと気にしねえよ。あいつだって色んな奴と遊び回ってるからな」
「それがね、今回は本気みたいなの。レイデンと付き合い出してからは他の人には会ってないんだって」
「馬鹿言うなって。キュウタに限ってそれだけはねえよ」
「私もそう思ってたんだけどね。ラウラおばさんの情報だから間違いないと思うよ」
ニッキはまじまじとレイデンの顔を眺め回した。
「へえ、あいつ、こんな情けねえ奴に惚れちまったのか。でも、お前の方は真剣じゃねえんだろ? じゃなきゃ、キュウタに黙って二股かけるなんてしねえよな」
「いえ、矢島さんは好きですよ。クリスのことはやむを得ない事情があるのです」
「そうか。そうだったな。お前はくそ真面目だもんな」
彼は肩をすくめて立ち上がった。
「あのバカ女の様子を見てくるよ。あんな奴でも溺れ死んじゃ困るからな」
彼の姿が湖の方角に消えると、私はレイデンに向き直った。ニッキがいる間は茶化されそうで真面目な話はしにくかったのだ。
「ねえ、レイデン」
「はい」
「私の事、大事な友達だって言ってくれたよね」
「ええ、言いました」
「もしも困ってるんだったら正直に話して。好きな人がいるのに弱みを握られて付き合うなんて間違ってるでしょ? 私にできることならなんでもするよ」
「あの、本当に大丈夫ですから……ハルカは心配しないでください」
申し訳なさそうな彼の表情を見ると、クリスよりも私の方がずっと困らせてしまっているみたいだ。
「あ、いたいた。まだお話し中ですか?」
木々の間からアニーとキャスが顔を出した。
「レイデン、一緒に写真撮ろうよ」
「は、はい。行ってきますね」
レイデンは慌てて立ち上がり、彼女たちについてキャンプファイアの方角へ戻っていった。はっきりと安堵の表情を浮かべて。
あの子たちよりも私の方が煩わしかったんだな。ニッキの言う通り、私は過保護過ぎるのかもしれない。彼はもう、私の助けなんて必要としていないのに。
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そろそろお開きの時間かな。みんなぼんやりと眠たそうな顔をしている。飲み始めたのが早かったからまだそれほど遅くもないのだけど、冬の日は暮れるのが早い。星の輝きが森の梢の隙間を埋めつくしていた。
片づけは明日の朝でいいかと思案しているところにニッキが戻ってきた。胸にボトルを二本抱えている。
「これ、飲もうぜ。外界のワインだ」
「え、今から?」
「まだ寝るには早えだろ?」
「でもそれ、ジャニスのでしょ? 勝手に飲んじゃっていいの?」
「いいんだよ。あんな無責任な奴、職員失格だろ? 迷惑料に貰っちまおうぜ」
「ジャニスと木下さん、大丈夫だった?」
「まだ追っかけっこしてたぜ。さっきほど、派手じゃねえけどな」
確かに湖から聞こえてくる水音もかなり穏やかになっている。ニッキは呪文でコルクの栓を抜いて、なみなみと自分のグラスに注いだ。
「お前も飲むか?」
「せっかくだからちょっとだけね」
私がちびりちびりとすすっている間に、彼はグラスを二杯空けた。たいして強くないくせに、ペースが速すぎる。
「あのさ、私たちは生徒さんの面倒をみなくちゃならないんだから、そんなに飲んだらまずいでしょ? あなただって職員失格じゃないの」
「もう遅せえよ」
さっきから表情が暗いんだよな。この顔はなにかあった顔だ。ジャニス達の様子を見に行くまではケロッとしてたのに、さて、何が起こったんだろう? 『主従の契約』を使って聞き出してもいいんだけど、ここは話すつもりになるのを待ってあげようかな。
「……なあ、お前はなんであいつが好きだったんだ?」
三杯目を空にしたニッキが暗い顔のまま尋ねた。
「レイデンのこと?」
「ああ。めっちゃくちゃ惚れてただろ?」
「何もかもがタイプだったからなあ。格好いいし優しいし気が利くし……」
「俺はダメか?」
「え?」
彼はいきなり身を乗り出して私の両肩をつかんだ。
「お前は俺には惹かれねえんだろ? その理由を教えてくれ。どうして俺じゃダメなんだ?」