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鬼と鬼ごっこ

 森の梢の間から見える空は赤い。もう日が暮れようとしていた。一通り飲んで食べて騒いだので、今は皆まったりと話をしながらちびちびとグラスを傾けている。カールは横になって剣を枕にうたた寝していた。


 ますます大きくなった青鬼は相変わらずジャニスの隣で勧められるままに飲んでいる。ジャニスってこんなに面倒見がいいイメージじゃなかったのにな。木下さんはうちの生徒なのに任せっぱなしにしてしまって、後でお礼を言わなくちゃ。


 クリスにキスされてからというもの、レイデンの顔色がすぐれない。グラスのワインもほとんど減っていないし、女の子たちと会話はしているものの表情は物憂げだ。やがて、席を立って森の木々の間に姿を消した。


「ねえ、あの人に呪いをかけられたんじゃないよね? 気分が悪そうなんだけど……」


「飲み過ぎたんじゃねえのか? 便所に行っただけだろ」


 ニッキの返事はそっけない。


「レイデンさ、真面目過ぎて節度を守った飲み方しかできないの。それにトイレはあっちでしょ?」

 

「気になるんだったら様子見に行ってみるか」


「うん……あれ、クリスは?」


 彼の姿も見当たらない。存在感が無さすぎていなくなったのにも気づかなかった。また何かやらかさないか注意して観察するつもりだったのに、つい目を離してしまったのだ。


 私とニッキは立ち上がってレイデンの後を追った。かさかさと鳴る落ち葉を踏み分けて彼の向かった方向に進むと、百メートルほど先の木々の間にレイデンとクリスの姿が見えた。お互いから少し離れて立ち、向き合って言葉を交わしている。


「あいつ、クリスを追っかけてったんだな」


「大丈夫かな? あの人、絶対におかしいよ」


 レイデンの不安気な表情が遠くからでも見て取れた。何かの交渉をしているようにも見える。


「ここじゃ何言ってるかわかんねえ。もっと、近づこうぜ」


「だめだって。気づかれちゃうよ」


 ニッキはにやっと笑って口の中で呪文を唱えた。


「これで気づかれねえよ。でも、声は出すな。足音もなるべく立てんなよ」


 そろりそろりと忍び足で近づくと、彼らの声がようやく届くようになった。話の内容までは分からないけれど、レイデンの表情が目に見えて和らいだ。何を言われたんだろう?


 ニッキも気になるらしく、ぐいぐいと背中を押されて私はさらに前に出た。


「……つもりはありません。僕はあなたほどの美しい存在に出会ったことがないのです」


 最初に耳に飛び込んだのはクリスのこの言葉だった。なんと彼はレイデンを口説いていたのだ。彼が言い寄るとは予想していなかったので驚きはしたけれど、レイデンがモテるのは今に始まったことじゃない。出歩けば男女問わず声をかけられるので、こういう展開には慣れている。


 それよりも気になるのはクリスの方だった。内容は口説き文句なのに、淡々とした声にはなんの感慨もこめられていない。本当に美しいと思っているのかさえ疑ってしまう。あらかじめ決められたセリフを機械が読み上げてるみたいに白々しく聞こえるのだ。


「僕と付き合ってくれませんか?」


 さっきと変わらぬ口調でクリスが尋ねた。


「すみません。私にはとても大切な人がいるのです」


 レイデンは予想通りの答えを返した。彼にはもう好きな人がいる。誠実な彼を口説こうったって無駄なことだ。私と付き合っていた時にも、きっぱりと、それでいて申し訳なさそうに断るレイデンを何度も見てきた。


「……ですから、その人を優先することになってしまいますが、それでも構いませんか?」


 え? どういうこと?


「ええ、構いません」


 表情も変えずにクリスが答える。


「では、いいですよ」


 あれれ? お付き合い決定? レイデン、どうしちゃったの? 矢島さんはどうするの?


 複数の恋人を持つエレスメイア人は多いし、リリーダニラさんみたいに重婚してる人だっている。でも当事者全員がその関係に納得していることが大前提なのだ。こんな風に勝手に決めてしまっていいはずがない。


「ありがとうございます」 


 礼を言ったものの、クリスの顔には僅かな笑みさえ浮かんでいない。なんなの、この人? 嬉しくないの?


「あなたに一つだけお願いがあります。私に触れるときには必ず目をつぶってもらえますか?」


 レイデンは彼と付き合う上で一番重要な決まりをクリスに伝えた。そうは言っても付き合い出したらうっかり素肌に触れることもあるだろう。私だって何度『目玉』を見て飛び上がった事か。いくらクリスが変わっていても、あの『目玉』を間近で見れば、付き合う気を失くすかもしれない。


「その必要はないと思いますが。さっきも薄目を開けていましたし……」


「え!?」


 クリスの返事にレイデンは頬でも叩かれたかのようにたじろいだ。


「明らかにあなた方は何かを隠していましたから、確認したかったのです」


「で、ですが、見えたのでしょう?」


「大きな目の事でしたら、見えましたよ。あれを見られるのを避けたかったのですね?」


「怖くはなかったのですか?」


 クリスはレイデンに歩み寄って彼の頬に手を押し当てた。彼の顔を見つめたままで。


「どうしてこれが怖いのか僕にはわかりません。これはあなたの能力なのでしょう?」


「はい、この目玉は『ミョニルンの目』と呼ばれる『天』から与えられた力です。私には人の本質を見抜くことができます」


「本質を見抜くとは?」


「いい人は美しく、悪い人は醜く見えるのです」


「『いい人』と『悪い人』ですか。善悪とは主観的な観念であると思うのですが、それは誰が判断しているのですか? あなたですか? それともあなたに力を与えた『天』ですか?」


「私にはわかりません」


「その力はあなたに最初から備わっているものですか?」


「はい、そうですが……」


「それは興味深いですね」


 その声は冷めていて、興味なんてこれっぽっちも持っていないように聞こえる。質問の意図もよくわからない。すべての能力は先天的なものだと研修会でも習っているはずなのに。


「暗くなってきましたね。そろそろ戻りましょう」


 クリスは質問をやめ、私たちの方に向かって歩き出した。その後をレイデンが黙って続く。付き合うと言ったのに、手を握るわけでも隣を歩くわけでもない。どう見てもできたてほやほやのカップルには見えなかった。


 どうして突然にレイデンに興味を持ったんだろう? キスをしたからっていきなり惚れたりしないよね。


 あの時、確かに彼はレイデンに対して能力を使ったのだ。『魔法院』が滞在許可を出したのは、『カラクリ』工房に弟子入りしたのが理由ではない気がする。彼には隠された力があるのだ。『魔法院』が公表したがらない『深い』魔法の能力が。


 その上、彼には『ミョニルンの目』への耐性がある。これも彼の能力と関係があるんだろうか?


 私たちは大きな木の幹に身を潜めて、彼らが通り過ぎるのを見送った。



        ****************************************



 クリス達に覗き見していたことを悟られないように、ニッキと私は回り道をして戻ることにした。


「あの人、ゲイだったんだね」


「いいや、プロフィールじゃ違ったけどなあ?」


 ニッキが首を傾げた。


 悪趣味なことに第一次審査に通った段階で留学生は性的指向まで報告させられる。 『ICCEE(アイシー)』はトラブル防止という口実で、プライベートだろうが何だろうか可能な限り調べつくすのだ。過去の交友関係や学歴にも調査が入るので申請時に嘘をついてもたいていはバレる。


「何が目的なんだろ?」


「え? あいつが気に入っただけだろ? 情けねえ奴だけど、見た目は悪くねえからな」


「でも恋に落ちたようには見えなかったよ」


「そりゃ、お前が外界人だからそう思うんだろ? 惚れるのはまずは付き合ってみてからじゃねえのか?」


 確かにエレスメイアじゃ順序が違うんだけど、レイデンが身体の関係から始めるタイプだとは思えない。それにクリスだって外界人だ。


「レイデン、大丈夫なのかなあ?」


「心配いらねえだろ? ハルカは過保護だな」


「でも、変な魔法を使われてたら? あんなにあっさりと付き合っちゃうなんて、魔法で操られてたのかもしれないよ」


「そんなの違法じゃねえか。心を操る魔法なんて重罪だぜ」


「違法でも使っちゃう人はいるでしょう?」


 私の視線にニッキが赤くなった。『束縛の縄』で私を縛ったことを思い出したのだ。


「ま、(しもべ)ができたのもそう悪くないって気がしてきたけどね」


「そ、そうだろ? 契約してよかっただろ?」


 ニッキという不思議な存在にどれほど助けらてきたのか、今さらながら実感が湧いてくる。失恋の苦しみも、彼が支えてくれなければさらに耐えがたいものになっていただろう。今だって私一人だったら動揺して、こんなに落ち着いてはいられなかったはずだ。


「なんでニヤニヤしてんだよ?」


「ううん、ありがとうね」


「急に礼なんか言うなよ。気持ち悪いな」


 その時、湖の方角から大きな水音が響いてきた。木の上で眠っていた鳥たちが驚いて目を覚まし、一斉にさえずり出す。


「なんだ、ありゃ?」


「見に行った方がいいね」


 森を抜けて湖岸に出ると、巨大な水柱が湖面から立ち上っているのが見えた。太陽はすでに沈み、辺りは薄暗い。はっきりとは見えないけれど水柱の先に何かいるようだ。


 それは巨大な馬だった。そしてその背に誰かがまたがっている。


 「あの馬鹿女、ケルピーに乗ってやがる」


 ニッキが呆れ果てた顔でつぶやいた。けれどもその声にこもる畏怖の念は隠し切れてはいない。


 うねる波に運ばれて馬は湖面を進んでいく。髪を振り乱しケルピーを駆るジャニスの姿は魔女にしか見えなかった。


 生徒さん達も湖岸に出て荒れ狂う湖を眺めている。その中にレイデンとクリスの姿も見えた。


「何があったの?」


 私は近くにいたカールを捕まえた。


「ジャニスさんがタケに捕まえてみろって言って、二人で走り出したんです」


 もう、あの人は生徒さん相手に何をやってるんだろう?


「で、木下さんはどこ?」


「あそこです」


 カールは湖の中ほどを指さした。目を凝らせば大きな波の合間に青い姿が見え隠れしていた。


「え!? 木下さん!?」 


 大きな鬼は湖の水をかき分けてジャニスの乗ったケルピーの方へと向かっている。


「鬼って凄いんですね。寒くないんだ」


 驚くポイントはそこなんだ。それを言うなら人間のジャニスが寒くない方が不思議なんだけど、『水使い』の彼女には水に濡れない秘訣でもあるのかもしれない。


 今や湖は嵐の真っ直中のように荒れ狂っていた。湖面が生き物のように姿を変え、水柱が上がったかと思うと、轟音を立てて崩れ落ちる。たてがみを振り乱した馬が駆け抜け、その後を青い鬼が追った。


 つまりこれは壮大な鬼ごっこなのだ。本物の鬼が魔女を追いかけている。


 ジャニスが杖を振る度に、水面が蛇のように伸びあがり、鬼の手の届かないところへとケルピーを運び去る。酔っていても凄いな。いや、お酒が入った方が技のキレがいいのかもしれない。


 スケールが大きすぎて生徒さんたちも度肝を抜かれている。当事者たちは物凄く楽しそうなんだけど、こんな鬼ごっこ、他には誰も参加できないし、参加したら死んでしまう。


「こりゃ、誰にも止められねえな」


 ニッキが仕方ねえなという顔で肩をすくめた。


「だね」


 湖を駆け巡るケルピーと青鬼をしばらく見物した後、私たちは暖かなキャンプファイアの燃える空き地へと引き上げた。


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