ボトルを回す
カールが手際よく魚を捌いている間に、生徒さんたちは学校で覚えた魔法で火を起こして焚火を始めた。すぐに魚の焼けるいい匂いが漂い出す。
異世界でもキャンプといえばキャンプファイヤーのようで、森の中の空き地には火を焚く場所も用意されていた。四方の木の枝には風除けの幕が何枚も吊るしてあり、さながら大きな天幕の中にいるようだ。また日は高いけど、木々の下は薄暗くて雰囲気が出る。
魚が焼きあがると大きな敷物の上に車座になって飲み会のスタートだ。食べ物はたくさん持ってきたし、ワインや発泡酒に至っては飲み切れないほどある。アルコールの調達をジャニスに任せたら、木箱一杯にボトルを詰め込んで持ってきたのだ。今日の目的は木下さんに思う存分飲んでもらうことなのだけど、どれだけ飲ませるつもりなんだろうか?
ニッキに警告はされていたものの、レイデンはすでに女性二人に両脇を固められ、脱出は難しそうだ。あの子たち、キャスとアニーって言ったっけ? 礼儀正しいレイデンは嫌な顔一つせずに、二人との会話に付き合っている。全身の肌を隠してはいるけれど、唯一剝き出しの顔に触られないように気を張っているようだ。もうちょっとしたら助け出してあげようかな。
ジャニスは木下さんの隣に座って、彼のグラスが空にならないようにワインを継ぎ足している。飲み会の発案者として心ゆくまで飲ませるつもりなのだ。
ニッキのストーカー、カナダ人のアリソンは相も変わらず彼の写真を撮っていた。彼女に隣に座られまいと、ニッキは私とカールの間の狭い空間にちんまりと収まっていた。
「なあ、あいつなんとかなんねえか?」
「あと、二週間でしょ? 我慢してあげなさいよ」
「最後に告白とかされたら困るだろ?」
「え、そんな心配してるの? うぬぼれすぎじゃないのかな?」
そう言ってから、彼が外界ではまずお目にはかかれないほどの超美形であるのを思い出した。私だってニュージーランドから 『ICCEE本部』までの軍用機の中でずっと隣に座られて緊張した記憶がある。今じゃ布団の中で抱き着かれても平気なんだから、慣れというのは恐ろしいものだ。
「告白されたら断らねえとなんねえからさ。かわいそうじゃねえか」
「私の彼氏って事になってるんだし大丈夫だよ」
鬱陶しがってるくせに、傷つけないかと心配してるんだ。やっぱりいい奴だな。
お酒が入るにつれて木下さんの身体が徐々に大きくなってきた。服が裂けて恥ずかしい思いをしては困るので、今日はゆったりとした腰布を巻いている。隣のジャニスとグラスの注ぎ合いをして楽しそうに笑ってる。研修会の時よりも一回り大きいけれど、悪酔いしている様子はない。今のところ、暗い過去の話は出てこないのでほっとした。
「ねえ、そろそろゲームでもしませんか?」
レイデンにぴったりとくっついていたアニーが明るい声で呼びかけた。
「『ボトル回し』は?」
すかさずキャスが提案する。
「だめです!」
私とレイデンが同時に声を上げた。
『ボトル回し』とはワインボトルを床の上で回し、ボトルの口が向いた相手にキスをするという単純なゲームなんだけど、レイデンにキスなんかされた日には『目玉』を見られて大騒ぎになってしまう。
「ええ、どうしてよ?」
「二人で反対するなんて怪しいですよ。ハルカとレイデンって付き合ってるの?」
「いえ、今は違います」
馬鹿正直にレイデンが答えた。
「え、じゃ、付き合ってたんですか?」
キャスが信じられないという面持ちでレイデンと私を見比べる。私じゃ不釣り合いってことだろう。まあ気持ちはわからないでもないけどね。
「別れたのに、どうしてキスしちゃだめなの?」
アニーが不満そうに頬を膨らませる。
「ええと、レイデンとキスすると悪いことが起きちゃうの。だから彼とはキスできないんです」
「ええ、そうだったの!?」
彼女たちを脅かすつもりが、ジャニスを驚かせてしまった。彼女は『ミョニルンの目』の事は知らないのだ。
「それならあなた達、キスしたことなかったの? 悪いことが起きるんだったら怖くてできないわよね?」
「……そういうわけじゃないけど」
「それなのにキスしたの? ああ、そうか! だからあなた、こっぴどく失恋しちゃったんだ!」
ジャニスが納得した様子でぽんと手を叩いた。
「え、レイデンとキスすると失恋するんですか?」
「本当にキスのせい? ただフラれただけじゃないの?」
レイデンの取り巻きがうるさい。
「ええと……」
話がややこしくなってきた。みんな酔ってるから遠慮がないな。人前で失恋の話をされちゃ迷惑だ。
「そうじゃねえんだよ。レイデンとはな、目をつぶってキスしねえとおっかねえ事が起きるんだ。ハルカ、そういう事だろ?」
ニッキが横から口を挟む。助け舟のつもりらしいけど、それを聞いた女の子たちの表情がぱっと明るくなった。
「じゃ、レイデンにキスするときは目を閉じればいいんですね」
「なんだ、簡単じゃない。どうせキスするときには目をつぶるでしょ?」」
「そうね、それじゃそういう決まりにしましょう」
ジャニスもすんなりと賛成した。彼女もゲームに乗り気なのだ。
挨拶代わりにキスをする国から来た人たちは、このゲームに抵抗がない。どちらかというと学生に人気のあるゲームなのだけど、今夜はレイデンとニッキがいるので女性陣にとって逃すには惜しいチャンスなのだ。
失恋したばかりのマイアもいるのにな、と思って彼女の方を見ると、彼女はにこっと笑って見せた。自分の事は気にするなと言っているのだ。
仕方ないな。
「もう一度言いますが、レイデンに当たった人はしっかりと目をつぶってくださいね。世にも恐ろしいジンクスなんです。責任は持てませんからね」
元カノの私が、くそ真面目な表情で念を押したので説得力があったのだろう。レイデンの両側の二人も真面目な顔でうなずいた。
「ようし、今日はタケのための飲み会なんだから、タケからスタートね」
ジャニスが大きなワインボトルを木下さんに差し出した。
「え?」
彼が驚いて腰を浮かせる。
「だって、あなた、キスなんてしたことないんでしょ?」
人前で指摘しなくてもいいと思うんだけど、お酒が入ったジャニスは容赦ない。このゲームじゃファーストキスの相手が男になる可能性だってあるんだけど、そうなったら私が止めてあげよう。
ジャニスに逆らっても無駄だと思ったのだろう。青い鬼は敷物の上にワインのボトルを置いて、大きな指で押して回した。ぐるぐると勢いよくボトルは周り、その口は彼の隣のジャニスを指して止まった。
「あらら、もう私なの?」
ジャニスが隣の木下さんに向き直る。今や座高だけで二メートルほどもある木下さんは、慌てて大きな手のひらで顔を覆った。
「あ、あの、無理です。僕にはできません」
「どうして? あたしじゃ不満だって言うの? 傷つくわね」
「そんな。とんでもありません。でも……」
「じゃ、いいじゃないの。やりにくいんだったら、あたしからしてあげるわ」
ジャニスは立ち上がって、彼の手を顔から引き離し、伸びあがって唇にキスをした。周りからはやされて、大きな鬼は恥ずかしそうに身体を縮こまらせた。
「次はあたしの番ね」
ジャニスが回したボトルの口はカールを指して止まった。彼はまんざらでもない様子でジャニスのキスを受けてから、身を乗り出してボトルを回した。
次にボトルの口が向いた先にはクリスがいた。
あれ? 最初からずっと輪の中にいたはずなのに、今まで彼の存在を忘れてた。さっきジャニス達と彼の滞在許可について話しをしたところだったのに。
「あーあ、やっちゃったよ。ま、ジャニスとキスできたからいいか」
男を引き当ててしまったカールが陽気に笑う。オーストラリアでもおなじみのゲームだし、こういう展開にも慣れているのだ。不快そうな顔をして場を白けさせるような真似はしない。
クリスはというと、黙ったまま自分の方を向いたボトルに目を落とし、次にカールに目をやった。眼鏡の奥の瞳は薄い水色で、見ていると落ち着かない気分になる。
「君はどうしていつも剣を持っているんですか?」
唐突に彼はカールに尋ねた。
「え、剣ですか? ええと、外界では剣士に憧れてたんですよ。だから、こちらにいる間は剣士の気分でいようと武器愛好家のクラブから剣をお借りしているんです」
ゲームとは関係のない質問に戸惑った様子で、それでも人のいいカールはクリスに向かって真面目に説明した。
「かなり古いもののように見受けられますね。その剣を見せてもらえますか?」
自分がゲームを中断しているのに気づかない様子で、彼はさらに会話を続ける。クリスって空気みたいに存在感が薄いけど、空気を読むのも苦手なのかな?
「ほら、しゃべってないで続けましょ。キスは十秒以内よ。守らない場合はフレンチキスね」
ジャニスが罰則ルールを追加したので、カールが慌てて立ち上がった。
「わかりました。剣は後で見せてあげますよ」
彼はにやっと笑って見せると、クリスの唇に軽く触れてさっさと終わらせた。
次はクリスの番だ。彼はボトルに触れた後、意味ありげにジャニスの方にちらりと目をやった。あれ、彼女を狙っているのかな?
彼の回したボトルは勢いが足りず、すぐに止まってしまった。その先はぴたりとレイデンを指していた。
「あらら、男ばっかり続くわね」
ジャニスが苦笑した。
「ええ、いいなあ」
レイデンの隣の女性二人は羨ましそうだ。クリスは輪の反対側に座っていたので、立ち上がってレイデンに近づいた。
「あの……」
素肌に触れられるのはやはり不安なのか、戸惑った顔でレイデンが口を開く。
「決まりは覚えています。目をつぶるのでしょう?」
クリスは目を閉じて、レイデンの頬に顔を近づけた。
彼の唇がレイデンに触れた瞬間、首筋の毛がざわりと逆立つような奇妙な感覚に襲われた。レイデンの表情が凍りついている。悪夢を見たあの夜のように彼のまつ毛が震えていた。『ミョニルンの目』が何かを見たんだろうか?
クリスはレイデンからすっと離れ、自分の席に戻って腰を下ろした。
「感じたか?」
ニッキが耳元でささやく。
「うん、今のなに?」
「『深いとこ』で魔法が使われたみてえだな」
「クリスが使ったの?」
「わかんねえけど、たぶんな」
二人のキスに周りははやし声をあげたけど、レイデンの隣のキャスだけは居心地悪そうに周りを見回している。彼女も今のを感じたようだ。
「ほら、レイデン、あなたの番よ。期待してる人がたくさんいるわよ」
「は、はい」
我に返ったレイデンは慌ててボトルを回し、その先がアニーを向いたので、彼女は飛び上がって歓声をあげた。
その後は順調にゲームは進み、それぞれ目当ての相手とキスをしたところで、別のゲームをすることになった。私はずっとクリスの動きに気を配っていたけれど、再び彼にボトルの口が向くことはなく、あの時何が起きたのか、手がかりを掴むことはできなかった。