王子の名前
有事の際には王陛下御夫妻は最短距離で『ヘッドクォーター』に移動することになっている。けれども軍事演習では視察も兼ねて王都をぐるりと大回りするルートを取るのだそうだ。
院長の後をついていくと、矢島さんのそりの十倍はある立派な飛行そりが待ち受けていた。すでに王陛下御夫妻と高官たちが乗り込んで出発を待っている。
「え、あれに乗るんですか?」
私は思わず歩みを止めた。あんな恐ろしいもの、もう二度と乗りたくない。
「おや、飛ぶのは怖いんでしたね。では私たちは馬で参りましょう」
私の動揺に気づいた院長が、笑顔で提案してくれた。
「それなら友達に乗せてもらいます。今日村から一緒に来たんです」
正直に言えばジャンマー以外の馬の背に乗るのも怖いのだ。門の前の広場に集められた馬たちは、それぞれ荷車を引いたり兵士を乗せたりして、自分の持ち場へと向かっていく。幸いジャンマーはまだ順番を待っているところだった。
「おう、嬢ちゃ……おっと、『スレイヤー』殿、何か御用ですかい?」
私に気づいたジャンマーが駆け寄ってきて、かしこまった様子で話しかけた。人目を気にしてくれているのだ。
「また乗せてもらっていい?」
「いいですともさ。怖くってそりに乗れねえってとこでしょう?」
馬は愉快そうに笑いながら膝を折り曲げてくれたので、私は背中によじ登った。
やがて、王様の乗った先頭のそりが動き出した。院長も私に気を使って、馬に乗って並んで歩いてくれている。
先頭のそりは地面すれすれをのんびりと進んでいく。私たちはそのすぐ後ろを歩き、背後に近衛隊のそりが続いた。
国軍の兵士たちも同行するのでかなりの大所帯だ。沿道には国民が見物に出て私たちに手を振っている。どうやら、これは軍事パレードのようなものらしい。
「こんな前を歩いちゃってもいいんですか?」
「そりゃそうだろ。院長さんは本来なら王様のそりに乗るべきお方なんだぜ」
院長の代わりにジャンマーが答えた。
「それにしても嬢ちゃんは大した人気だな」
「ええ、『スレイヤー』のあなたがいると士気が上がりますね」
院長も愉快そうに沿道の賑わいを見渡している。三人目の『スレイヤー』が参加しているという噂が広まったらしく、集まってきた人々が口々に「『小さいスレイヤー』!」と歓声をあげている。王様より注目を浴びてしまうなんてなんとなく気まずい。王ご自身は面白がっているようで、時々こちらを振り向いては笑顔を見せてくれるけれど。
「こんな大所帯で移動するのは大変ですね」
私はぞろぞろと後ろに続くそりや馬に乗った国軍の兵士たちを振り返った。
「いいえ、実際には移動するのは王のご家族と近衛隊だけなんですよ。国軍の兵士たちは普段から『ヘッドクォーター』に詰めていますから、移動の必要はありません。今日は国民へのアピールのため、全員参加のパレードをしているのです。兵士の募集もしなくてはなりませんしね」
「募集……ですか?」
「ええ、軍人はあまり人気のない職業なのです。派手にパレードを行いますと、目立つのが好きだという人が、応募して来ますから」
そうなんだ。
「あの、王様のご家族全員が『ヘッドクォーター』に行くんですよね?」
「はい」
「それなのに王子は演習には参加されないんですか?」
行事にも出ないと聞いていたので期待はしていなかったけど、一応尋ねてみた。
「ええ、演習には来られません」
「お父さんは王子に会ったことがあるのでしょう?」
「はい」
「どこにいるのかも知ってるんじゃ……」
「知っていますよ。ですが、誰にも教えないと彼と約束したので、話すわけにはいかないのです」
サリウスさんの指輪が気になってはいたものの、彼氏が王子様かもしれません、なんて義理の父には相談しにくいな。
「王子の名前はなんていうんですか?」
「イギリュナサイルです」
全然違う名前だ。でも、仮にサリウスさんが王子だとしても本名を名乗るはずがない。辞書登録は『イギル』にしておこう。
もしもサリウスさんがイギル王子だったら? 私を伴侶にするって言ってたけど、それっていずれは『婚姻の契約』を結びたいって意味だよね? となると王夫妻が義理の両親になっちゃうの? 王子様と結婚したら私はプリンセス?
いや、それどころじゃない。彼が王子だとすれば、いずれは陛下の跡を継いでエレスメイアの国王になってしまうのだ。それは困る。外界側に知られると物凄く面倒なことになってしまう。
こうなればサリウスさんが『ただの』貴族の息子であることを祈るしかないな。
「ハルカ? どうしました?」
黙り込んだ私に院長が声をかけた。
「あの……いずれは王子が陛下の跡を継ぐのでしょう? いつまでも姿を隠してはいられませんよね?」
「聡明な方ですからね。何かお考えがあるのでしょう」
「凄いイケメンっだって噂を聞いたんですが本当ですか?」
少しでもヒントを貰おうと、彼の外見についても聞いてみる。
「はい。非の打ちどころのない美男子ですよ。羨ましい限りですね」
「お父さんも人を羨むんですね」
「彼ほどとはいいませんが、私ももう少し男前に生まれたかったものです。まあ、こればかりは仕方がありません」
彼は照れたように笑った。何事にも達観しているように見える院長が、自分の見た目を気にしていたなんて驚きでしかない。
「いえ、私だってモテたいと思うこともあるのです」
頬を赤らめて言い訳する義理の父がなんだか可愛いく思える。やっぱり彼が人の見た目を重要視するとは思えないから、つまりは彼の好きな相手が面食いなんだろう。だとしたら、頭の禿げかけた小さな中年のおじさんには、望みはないかもしれないな。
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王都をぐるりと一巡りした後、行列は王都のはずれにある『ヘッドクォーター』に到着した。大きな金属製の門から高い塀の中に入る。 敷地に足を踏み入れた途端に、空気中にピリピリとしたものを感じた。結界だか防壁だかを通り抜けたらしい。
『ICCEE』の情報が正しければ、ここに入る外界人は私が初めてのはずだ。せっかくだから記憶に刻みつけておこうときょろきょろと周りを観察した。
塀の中の広々とした空間には整然と石畳が敷き詰められ、敷地の中央には巨大な石造りの建造物がどっしりと構えていた。両端には二つの四角い塔が聳えている。高い塀の外側からはあの塔の先端しか見えないのだ。
奥の方では一般市民らしき人たちが、壁際に置かれた的を狙って攻撃魔法の練習をしている。
「攻撃魔法を使える人は全員参加だって聞きましたよ。私は参加しなくてもいいんですか?」
「いいえ、あなたは『ドラゴンスレイヤー』ですからね。その必要はありません。それに練習ならいつもサフィラさんのところでしてるでしょう?」
あれは練習って言うよりも実験台なんですけどね。攻撃魔法の事となると見境のないサフィラさんに、どこから調達してきたのかわからない怪しげな物体を吹っ飛ばすように命じられるのだ。最近は貴重な遺物めいたものも出てくるので、違法な実験に加担させられているんじゃないかと不安になる。今のところ、壊せなかったものはないから、我ながら凄い呪文だとは思うんだけどね。
「そう言えば、アミッドとエルビィはどこにいるんですか?」
「別の会場で射撃練習の面倒を見ていますよ」
「じゃ、次回は私もお手伝いに行った方がいいですね?」
「いえ、ハルカは行かなくてもいいんです。彼らには『ドラゴンスレイヤー』以外の職務もあるのですよ」
それは知らなかったな。『スレイヤー』以外の職務って何なんだろう?
パレードの最後尾が門を通り過ぎようとしている。この後、それぞれが建物内の持ち場について設備や備蓄品の確認をしたら今日の演習は終わり。その後は皆で食事を取るのだそうだ。
「今日は楽しかったですよ。娘とこうやって並んで歩くのはよいものですね」
馬から降りると、院長は私に微笑みかけた。
「この演習が役に立つ日など、永遠に来ないでほしいものです。ですが……」
彼の瞳は私の目をまっすぐに見つめている。
「そのような日が来るとすれば、あなたの隣で戦いたいものです」
院長の考えていることはいつもよくわからない。でも遠回しに外界とエレスメイアのどちらかを選べと言われている気がした。
私はエレスメイア国に忠誠を誓っているわけではない。『ドラゴンスレイヤー』の任命式でも国王陛下は私に忠誠を求めようとしなかった。
外界人だから免除されたのかと思っていたのだけど、最強竜ですら太刀打ちできない攻撃魔法の持ち主を、首輪も付けずに野放しにしてもいいのだろうか? 外界側についてしまえば、エレスメイアにとって最悪の敵になるのは分かっているはずなのに。
私はそこまで信用してもらってるのかな? それともほかに理由があるんだろうか?