ハルカ、軍事演習に参加する
今期も軍事演習の日が巡って来た。演習の間は留学生たちを居住地区から連れ出さなくてはならないのだが、ニッキにも話した通り、今回私はツアーの引率はせず王都へ向かう。
こんなに平和な国なのに、年に二回も国を挙げての演習を行うのはどうしてなんだろう? レイデンは災害時に備えての訓練だと言っていたけど、それだけだとは思えなかったので、先月『魔法院』に行った際に院長に尋ねてみたのだ。外界人の私に秘密にしておきたいというのなら話さなければ済むことだ。だが彼はためらいもなく話してくれた。
「たいしたことじゃないんです。もしも『壁』が突然消えるような事でもあれば、『壁』の向こう側からどのような脅威が現れるか見当もつきませんからね。備えあれば患いなしというでしょう?」
「脅威ってロインダスのことでしょうか?」
過去に何度もエレスメイアと小競り合いを繰り返したという厄介な隣国だ。図書館でサリウスさんから聞いた薄気味の悪い話を思い出した。
「現在は国が存在しているのかさえわかりませんけれどね。昔はロインダスの侵入に備えて同じような演習が行われていました。『壁』の出現により両国が切り離された後もそのまま続けられているのです」
「どんなことをするんですか?」
「行軍の練習をしたり、避難所や物資の確認をしたり色々ですね。攻撃魔法の使える者は射撃練習を行います。普段は禁止されてますからね。たまには練習しておく必要があるんです。……それに『壁』の向こう側以外にも脅威はあるんですよ」
彼の表情に私は察した。
「外界ですね」
「ええ、そうです」
やはりエレスメイアは外界を警戒しているのだ。留学生と滞在資格保持者以外の入国を認めようとしないのはそれが理由なのだろうか。
「もしハルカが見たいというのなら、次回の演習の際には王都に残ってもらって構いません。ツアーはレイデン君だけでも引率できるでしょう」
「私、外界人ですよ」
「あなたは私の娘です。エレスメイア人でもあるのですよ」
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ということで、院長の許可を貰った私は王都に向かった。
乗合馬車の停留所に向かう途中、ジャンマーに声をかけられた。彼も今回は演習に出なくてはならないということで、ツアーに使う馬車はいつもとは違う馬車屋にお願いしたのだ。
「嬢ちゃんも王都まで行くんだろ? 乗ってけよ」
「あれ、ジャンマーも王都?」
「ああ、有事の際には大きな軍馬がいるからな」
ありがたく乗せてもらうことにして彼の背中によじ登った。ジャンマーは演習の準備にせわしなく行き交う人々の間をすいすいと抜けていく。
「よう、ハルカ、今日は格好いいな」
上級魔法使いのローブを纏い『スレイヤー』の杖を持った私を見上げて村人たちが口々に声をかけてくれる。今日は外界人ではなく『スレイヤー』として参加しろと言われているのだ。
村から出て王都への街道に乗り入れるとすぐにローブを頭からかぶった。村人は私の正体を知っているけど、よそから来た人に見られては困る。
空は晴れ渡り、顔に当たる秋の風が気持ちいい。遠くの空をドレイクが舞っているのが見えた。
「嬢ちゃん、走るぞ」
「え、怖いってば。走らなくても間に合うんでしょ?」
「こんな日に走らずにはいられねえだろ? 鞍につかまってりゃ大丈夫だ」
大きな馬はゆっくりと走り出した。最初は言われた通りにしがみついていたけど、だんだんと上下の揺れにも慣れてきて、背中を伸ばして景色を楽しめるようになった。すれ違う人が私の杖の青い石に気づいて、驚きを顔に浮かべて振り返る。
王都に入ると「『小さいスレイヤー』だ!」と街の人たちが声を上げた。もっと格好いい呼び名はないのかな? 滅多に人前には現れない三人目の『スレイヤー』を一目見ようと、あちこちから人々が駆け寄ってくる。
「うわあ。有名人になった気分だね」
「そりゃ、有名人だかんな。ちょっとは自覚を持った方がいいぞ」
ジャンマーがブルブルと鼻を震わせて笑った。
王宮前の広場にはたくさんの人や馬が集まっていた。中庭まで来るようにと言われていたので、ジャンマーに乗ったまま正面の門に近づく。門の前では山吹色の軍服を着た近衛隊の兵たちが、王宮に入る人々を一人ひとりチェックしていたが、私が野次馬をぞろぞろと引き連れて近づいてくるのを見て、近衛兵の一人が駆け寄ってきた。顔を見たら元留学生のリチャードだった。
「『スレイヤー』さん、ど、どうぞ、先にお入りください」
緊張した様子で、門の方を指し示す。院長の呪文のかかったローブのお陰で、彼には私の顔も声も判別できないはずなのだが、彼がローブの中の私の顔をまじまじと眺めるのでさすがに不安になった。
馬たちは門の外で集合のようだ。ジャンマーと別れて門に向かって歩き出すと、リチャードが私を追ってきた。
「あ、あの、待ってください」
「なんでしょうか?」
「あ、握手してもらってもいいっすか? 俺、『ドラゴンスレイヤー』に憧れてるもんで……」
「もちろんですよ」
正体に気づいたのかと内心ぎくりとしてしまった。やっぱり知り合いが相手だと落ち着かないな。そこでやっとおかしなことに気がづいた。外界人のリチャードがどうしてここにいるんだろう?
「あの、あなたは外界人ですよね? 演習に出てもいいんですか?」
「あれ、やっぱ、外界人だって分かっちゃいます? 今までは出してもらえなかったんですが、王様が今回から出てもいいって言ってくださって……。やっと認めてもらえたみたいで嬉しいっすね」
「へえ、よかったですね。お仕事、頑張ってくださいね」
「は、はい!」
リチャードは感極まった様子で、私に向かって深く頭を下げた。憧れの『ドラゴンスレイヤー』の中身がが私だなんて知ったら失望させてしまうかも。
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王宮の中庭は明るい緑色の軍服を着た人たちで埋め尽くされていた。列を作るわけでもなく、バラバラに立っておしゃべりに興じているけど、国軍の兵士たちなのかな? 軍事演習というからには緊迫感に溢れたものなのだろうと思っていたけれど、拍子抜けだ。
「おや、来ましたね」
私を待ってくれていたらしい院長が、いそいそと出迎えてくれた。今日は私と同じく魔法使いのローブを羽織り、赤い石のついた杖も持っている。だからと言って、やっぱり『魔法院』の院長らしくは見えないな。
彼について中庭の奥の方へと進むと、国王夫妻の姿が見えた。ハリボとフェルナルの両大臣と近衛隊のアウノル隊長に囲まれて談笑している。
「おお、『スレイヤー』殿、よくぞいらっしゃいました」
王陛下がおだやかな笑顔で挨拶してくれた。周囲には私の正体を知らない人もいるので、本名を呼ばぬように気を使ってくれたようだ。
「あの、外界人の私に見学を許可してくださってありがとうございました」
私は陛下のそばまで行くと、周りに聞こえないように小さな声で礼を言った。
「いえ、ハルカ殿が国の行事に興味を持ってくださるとは、私も嬉しいのです。お祭りのようなものですが、楽しんでいってください」
陛下も小声で返事を返してくれた。王様ご自身がお祭りなんて言っちゃってもいいのかな? でも確かにみんな楽しそうに見える。メルベリ村でも炊き出し用の大釜やバーベキューのコンロを設置してたな。演習が終わればそのままストリートパーティになるんだろう。
「今日は何をすればいいんですか?」
「私たちは陛下のお供で『ヘッドクォーター』に向かいます。非常時には国の中枢機能はすべてあそこに移されることになっているのです」
私の質問に院長が答えた。『ヘッドクォーター』は王都のはずれにある大きな軍事施設で、国軍が常時駐屯している。
「王様はそこから指揮を執るんですね?」
「はい。けれども戦時においては王ではなく国軍が指揮を執ります。戦いは戦いのプロに任せるのですよ」
「そうは言っても、もう何十年も戦争はなかったんでしょう? 戦争の仕方なんて忘れちゃってるんじゃないですか?」」
「ですが、今までの経験は蓄積されていますからね。『壁』が現われるまでは、エレスメイア国軍は『魔法世界』で最強だったのですよ」
まだその辺りの歴史は教えてもらっていない。最近はサリウスさんがすぐにベタベタしてくるので授業の中断が多いのだ。次回は心を鬼にして、近代史をしっかりと教えてもらおう。
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やがて白髪の女性が前に出て来ると、王に向かって一礼した。ザアロ国軍司令だ。彼女の声が小さいことは誰もが知っているようで、にぎやかだった中庭が突然に静まり返る。彼女は蚊の鳴くような声で軍事演習の開始を告げた。
今までダラダラしていた兵士たちが彼女の言葉に耳を澄ましている。彼らの顔には心からの敬意が見て取れた。国軍司令どころか軍人にすら見えないのだけど、彼女も院長と同じく見た目ではわからない凄い力を持っているのかもしれない。
開会式の挨拶のようなものが終わると、兵士たちはにわかに活動を始めた。何台もの飛行ぞりが引き出され、次々に兵士が乗り込んでいく。相変わらずバラバラに行動しているように見えるのに、皆迷うことなく自分の持ち場に向かい、流れはスムーズだ。魔法の力を借りているのかな?
「ねえ、あなたは『スレイヤー』なの?」
突然に後ろから話しかけられてドキッとした。振り返ると少年が私を見つめている。彼には見覚えがあった。以前王宮見学に来た時に、レイデンに向かって「化物」と罵った子供だ。
リチャードは雇い人の子供だって言ってたっけ。どうしてあんなことを言ったのか聞きただして叱ってやりたい衝動に駆られたけど、自分の正体を明かすわけにはいかないので諦めた。
「うん、そうだけど。あなたはこんなところにいて叱られないの?」
「大丈夫。父上がいてもいいって言ったから」
父親は軍の人なのかな? 誰も注意する様子がないから、彼のいう事は本当なんだろう。
「その杖、触ってもいい?」
「使っちゃだめだよ」
「そんなことしないよ」
いたずらっ子に杖を触らせてもいいものなのか少し迷ったけど、彼の顔は真剣そのものだ。信用することにして杖を手渡した。
「これ、パピャイラでしょう? こんなに重いんだね」
彼は嬉しそうに杖の三本線を指でなぞった。
「いいなあ。僕も『ドラゴンスレイヤー』になりたかったな」
ということはテストは受けたのか。幼く見えるけど十四歳にはなってるってことだ。
「『スレイヤー』になっても、たいしてやることないよ」
「でも、ドレイクに乗ったんでしょ? 凄いなあ」
怖い怖いといいながら頭に乗って運ばれただけだって言ったら、がっかりするだろうな。
「そろそろ私たちも行きますよ」
院長が私に声をかけた。
「あ、僕も行かなくっちゃ。じゃ、またね」
少年は別れを告げると、兵士たちの流れの中に姿を消した。