ゴブリンの村へ
「おばさん、まさか村まで連れて行かれちゃったの?」
私はラウラおばさんに詰め寄った。
「ああ、そうだよ。アルギスの店から出て行ったって、モジンセ爺さんから聞いたんだ。あんたに知らせた方がいいって思ったんだよ」
エレスメイアにはかなりの数のゴブリンが住んでいる。彼らはいくつかの村に分かれて集団生活をしているのだが、娯楽や行商には街まで出てくる。ゴブリンには男性しかいない。どうやって増えるかというと、人間や他種族の女性に子供を産ませるのだ。
「それ、いつの話?」
「爺さんの話じゃ、出て行ってから一時間ほどだそうだ」
「そんなに経ってるの? すぐに連れ戻さないと」
「馬車を借りてきます」
飛び出そうとしたレイデンを矢島さんが引き止めた。
「待て。俺のそりで行ったほうが早い」
「ええ、飛ぶのはちょっと……」
慌てて異議を唱えようとしたけれど、矢島さんに鋭い目つきで睨まれた。
「手遅れになったらどうするんだ? 地面ぎりぎりを低空飛行してやる」
「わかり……ました……」
彼の言う通り、今は一刻の猶予もない。レイデンに後を任せて上着を羽織ると私は事務所を出た。
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矢島さんの飛行そりは長方形のボートのような形をしている。全長は三メートルほど。立って操縦するので前部の手すりは高くなっているが、後ろに行くほど低くなり、またいで越えられる高さしかない。
覚悟を決めてそりに乗りんで床にぺたりと這いつくばった。
「シートベルトはどこですか?」
「そんなのないよ」
「揺れたら落っこちますよね?」
「落としやしないよ。俺を誰だと思ってるんだ」
「へえ、大した自信だな。調子に乗って川に突っ込んだのはどこのどいつだよ?」
見送りに出てきたニッキがわざとらしく呆れて見せた。
「七年前の話を引っ張り出すな。あれからは無事故無違反だ」
睨まれてもニッキはニヤニヤ笑うだけだ。私の不信の眼差しに矢島さんはため息をついた。
「仕方ないな。レイデン、お前も来い。ハルカについててやれ」
「はい」
彼の指示にレイデンが私の後ろに飛び乗った。
「事務所は俺が見といてやるよ。キュウタ、ハルカを落とすんじゃねえぞ」
ニッキの言葉は無視して矢島さんはおばさんの方を向いた。
「おばさん、どこの村のゴブリンか分かりますか?」
「北の村のゴブリンだったってさ。ユンスムニルって名前だよ」
さすが、情報収集の得意なおばさんだ。必要なことはきちんと調べてくれている。
「矢島さん、場所は分かるんですか?」
「ああ、ナビがある」
矢島さんはソリの前部のポケットから方位磁石のような丸い物体を取り出した。手すりに貼り付けられた地図に素早く目をやった後、方位磁石を手に掲げて呪文を唱える。そんな便利な『魔具』があったのか。いつも馬任せの私には必要ない物ではあるけれど。
「よし、あっちの方角だ。一直線に飛ぶからしっかりつかまってろよ」
「え、スピードは出さないでくださいよ!」
「留学生の危機だというのに『ICCEE』の職員が悠長にしているわけにはいかんだろ。我慢しろ」
そりがぐぐっと浮き上がり、胃がねじられるような不快感に襲われる。ゴブリンの村が遠くないことを祈りながら、私は床に伏せて目をつぶった。
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矢島さんは約束通りに低空飛行をしてくれたけど、低空と言っても農地や林の上を突っ切って飛ぶので地面から数メートルはある。ちらっと目を開けてみれば刈り取りの最中のバサの畑を横切っているところだった。なるべく身体を低くしていたけど、滑り落ちるんじゃないかと心臓がバクバクする。
「ハルカ、あの……私が支えていましょうか?」
レイデンが遠慮がちに後ろから声をかけてきた。
「うん、お願い」
私がうなずくと彼は腕を伸ばして私の身体を抱きかかえてくれた。まだ怖いけど、身体が安定すると動悸も少しだけ落ち着いた。
手袋に覆われたきれいな形の指が私の身体の前でしっかりと組まれている。レイデンの腕の中にいるなんておかしな感じだな。少し前までは彼を求めてやまなかったというのに、今は異性に触れられている感じすらしない。
「森を越えます。少しだけ上昇しますよ」
私を怖がらせないよう、周囲の様子を逐一報告してれる。彼の暖かな身体は安心感を与えてくれたけど、それでもぎゅっと目をつぶっていた。
「見えたぞ!」
矢島さんの声に目を開くと、前方に高い塀に囲まれた円形の集落が迫っていた。
塀の周りを半周して、大きな門の前にふわりとそりは着陸した。下あごから大きな牙をはやした門番のゴブリンが、地面を這うように飛んできたそりを不審気に眺めている。
「おかしな飛び方だな。具合でも悪いのかい?」
ゴブリンはそりに近づいて、矢島さんに声をかけた。
「高いところが苦手なのが乗ってるんだよ。ここに外界人の女の子が来てないか? ちょいと急用なんだが……」
「ああ、ユンスムニルのところだな。あそこはちょっと分かりにくいんだ。俺が案内しよう」
門番は門も開け放したまま、私たちを連れてユンスムニルの家へと向かった。気持ちは焦るけど白い土でできたドーム状の同じような家が立ち並んでいて、案内なしではたどり着けそうにない。
目的の家に着くと、私は開きっぱなしの大きな扉から中に駆けこんだ。
「お邪魔します!」
家の中には十人近いゴブリンと人間の女性がいた。みんな驚いた顔で私を見ている。丸いテーブルを囲んで、お茶会の最中だったようだ。
「ハルカさん、どうされたんですか?」
私たちの姿に一番奥にいたマイアが立ち上がった。
「ちょっと困ったことが起きちゃったの。事務所まで戻ってもらってもいい?」
「ここまで迎えにくるとはよほどのことなんだろう。すぐに帰った方がいいね」
マイアの隣の大柄なゴブリンが立ち上がった。彼がユンスムニルだろうか。くすんだ灰褐色の肌に燃えるようなオレンジ色の目をしている。
「せっかく誘ってもらったのにごめんなさい」
マイアが申し訳なさそうに彼に謝った。
「いや、気にしなくてもいいよ」
彼はテーブルの上のお菓子を手早くナプキンに包み、マイアに手渡した。
「ありがとう」
「ああ、来週また店で会おう」
私たちはその場にいた人たちに謝って、ゴブリンの集落からマイアを連れ出した。
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「何があったんですか?」
ぎゅうぎゅう詰めの帰りのそりの中で、不安げにマイアが尋ねた。
「あなたを助けに来たの」
私はレイデンの腕の中から彼女の問いに答えた。格好悪いけど仕方がない。
「……どういう意味ですか?」
「ゴブリンに連れて行かれたって聞いたから」
「誘われたから遊びに来ただけですよ。危ない目になんてあってません。ユンスムニルさんはああ見えても凄く優しい人なんです。何度も会ってるから、よく知ってます」
「それがまずいの」
「意味がわかりません」
「ゴブリンはね、気に入った女の子を見つけたら家に誘うの」
「お茶に誘ってもらっただけですよ」
「そこで家族に紹介するの。この人をお嫁に貰おうかと考えてるって、みんなに見てもらうのね」
「え、え?」
マイアの顔が赤くなった。
「うん、そういう事。誰でも誘うんじゃないの。家まで呼ぶなんて、かなり気に入られてるってことなんだ。お披露目が終わったら、結婚を前提としたお付き合いを始めるの」
「それ、本当なんですか?」
「うん。男性として意識してなかった?」
「ええ、ユンスムニルさん、ゴブリンですし、いいお友達ができたなって……」
「そうか。じゃあ大丈夫だね。彼には悪いけどもう会わないでね」
「でも、また会うって約束しちゃったんですけど……」
「アルギスの店でしょ? 彼に伝言を頼むから心配しないで」
「はい……」
マイアはそのまま黙り込んだ。自分の手元を見つめてぽんやりしている。
しまったな。かえって意識させてしまったのかもしれない。でもこの段階に来るまでに、彼とはかなりの時間を過ごしていたはずだ。気づくのも時間の問題だっただろう。
「ハルカ、まずいですね。ユンスムニルさん、物凄いイケメンでしたよ」
レイデンが『ミョニルンの目』で見たゴブリンの印象をこっそりと報告してくれた。
ゴブリンは見た目はぱっとしないが、実はモテる。村での共同生活はなかなか楽しいものらしい。彼らはウィットも富んでいて話し上手だし、一度惚れるととことんまで尽くしてくれるし、奔放に遊ぶエレスメイアの女性も最後にはゴブリンのところに落ち着くことが多いのだ。
「……ゴブリンだって聞いて怖いなと思ってたんだけど、みんなと仲良く話してるし、興味を惹かれたんです」
しばらくしてマイアが口を開いた。
「みんなあんなにいい人なのに、どうして外界のお話だと悪者なんですか? ゲームでもいつも敵役でしょ?」
「昔、まだ『門』がたくさんあった時代には、外界の農村とゴブリンの村の交流があったんだ」
矢島さんが振り返って、私の代わりに答えてくれた。
「ゴブリンに嫁げばいい暮らしができるって、たくさんの娘が『魔法世界』に渡ったそうだよ。だが、外界で農民が一揆をおこしたときに、親戚のゴブリン達が加勢したそうでな、それ以来、支配階級には嫌われて、悪いイメージを広められてしまったったと言うな。まあ、見た目も凶暴そうだから無理はないが……」
「イケメン揃いなんですけどね」
納得がいかないといった様子でレイデンがつぶやいた。
マイアは暗い表情で、流れていく景色を眺めている。慌てて連れ戻しには行ったものの、とうの昔に手遅れだったようだ。
どんなに注意していても恋というのはどこから降ってくるのかわからない。生徒さんを四六時中監視するわけにはいかないし、今回なんて、本人は気づいてもいなかったんだから。
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私は翌日ゴブリンの村に戻り、ユンスムニルと話をした。外界人は滞在が許されないと聞いて驚いた様子だった。自分が恋愛対象だと見られていなかった事に少し傷ついたようだ。
「いえ、マイアはあなたの事が好きでしたよ。今朝も事務所に来て辛いって泣いてました。会えなくなって気づいたみたいです」
言うべきかどうか迷ったけれど、彼は知った方が喜ぶと思ったのだ。
「そうですか」
ゴブリンとの知人はいないのではっきりとは分からないけど、彼の瞳のオレンジ色が昨日よりも濃く見える。彼も泣いていたのかもしれない。
「ご心配はいりません。会いに行ったりはしませんよ」
彼の口角が持ち上がる。笑顔を見せてくれようとしているのだろうけど、恐ろしい形相だ。
「ごめんなさい。私がもっと早く気づいていれば……」
面談でマイアの友達グループの中にゴブリンがいるというのは聞いていた。でも恋愛の対象として意識している気配はなかったので、私も気に留めていなかったのだ。
「いや、謝る必要はありません。こんなことになっても、彼女に出会えてよかったと思えますから」
私の不行き届きで、生まれかけた恋を引き裂くことになってしまった。自分が散々失恋で苦しんだのに他の人に同じ思いをさせてしまうなんて胸がきりきりと痛んだ。
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「シホちゃんとゼッダみたいにはいかないよね」
事務所に戻って私はため息をついた。
「ええ、好きな人と別れなくてはならないなんて、気の毒ですね」
レイデンが相槌を打つ。
お前が言うセリフか? と思わないこともなかったが、彼の表情は真剣そのものだ。私の視線に気づいて彼は赤くなった。
「すみません」
「謝るような事じゃないでしょ。気にしなくていいよ。私もあなたが言った通り、幸せに近づいてきた気がするから」
「そうですか。それはよかったです」
「あなたも今は幸せなんだね」
「はい、とても幸せですよ」
彼はにっこりと微笑んだ。
これが彼の見た未来だったのかな? みんなが幸せになれるのなら、確かにその方がいいもんね。