金曜日の午後
金曜の午後遅く、ニッキがふらりと事務所に入ってきた。枯草色の丈の長いシャツを羽織り木の肌のような質感の短いブーツを履いて秋らしい装いだ。相変わらず見た目だけは麗しい。
「あれ、今日はずいぶん早くない? 今から面談なんだけど……」
「俺んとこも面談だからな。さっさと出てきちまった」
「ええ? 事務所にいなくてもいいの?」
「今日は鬱陶しい奴が来るんだよ。俺のファンだとか言ってつきまとってきやがる」
「研修会でニッキの写真撮りまくってた女の子?」
「ああ、そいつだ」
「エルフに憧れてるのかな?」
「それ、やめろって言ってんだろ?」
彼は金色の頭を傾けて憂鬱気にため息をついた。
「今日は早退してもいいってジャニスが言うからさ、遠慮なく出て来たんだ」
彼女が気を利かせるなんて、その生徒さん、よっぽどしつこいんだな。
「ジャニスは元気にしてるの? しばらく会ってないけど」
留学期間中はスタッフのどちらかが村にいなくてはならないから、二人そろって遊び歩くわけにはいかない。私が出向けば済むことなんだけど、今はどうしてもサリウスさんが優先になっちゃうんだよな。
「明日はアミッドのとこに行くんだってよ」
「まだ付き合ってるんだね」
「気は合うみたいだな」
「彼が好きな人って誰なのかわかった?」
「いや、絶対に話さないらしい」
「ふうん。気になるなあ」
「ま、聞き出したら教えてくれるだろ。お前こそサリウスさんとはうまくいってるんだろうな?」
レイデンがキッチンに入ったのを確認してからニッキがささやいた。小声でも尋問口調なのが気に障る。
「まあね」
平静を装ったつもりだったのに、あの晩の出来事を思い出してしまい顔が熱くなった。
「へえ、ほんとにうまくいってんだな」
訳知り顔でにやにやと笑われて、余計に腹が立ってきた。
「正体はまだ話してくれないけどね」
「おおっと、俺に聞くなよ」
「サリウスさんとの誓い、破ったらどうなっちゃうの?」
「どうもならないよ。なにも縛りは設けなかったからな」
「え? そうなの?」
「でも俺の自尊心がずたずたになる」
「へえ。じゃあ話してもらおうかな。どうせニッキに自尊心なんてないでしょ」
「ああ? 何言ってんだ? 話せるわけねえだろ!?」
「でも、主人の言いつけは絶対なんでしょう? やっぱり付き合ってる相手の正体ぐらいは知っておくべきだと思うんだよね」
「お、おい、勘弁してくれよ」
ニッキの顔からみるみる血の気が引いていく。
「うそうそ、聞かないってば」
彼の情けない顔を見て留飲は下がった。からかうのはここまでにしておこう。
サリウスさんが王子様なんじゃないかと疑っているのは黙っておくことにした。考えれば考えるほどあり得ない気がしてきたし、はずれてたら恥ずかしい。でもニッキの態度から推測すれば相当身分の高い人であることは間違いなさそうだ。
レイデンがお茶を持って戻って来たが、ニッキと私の前にカップをおくとさっさと席に戻った。恋人同士の邪魔をしないよう、遠慮してくれているらしい。
彼の前でサリウスさんの話を続けるわけにはいかないので、話題を変えて武器愛好家の集いで出会ったニッキのいとこについて尋ねてみた。
「へえ、あいつ、そんな事やってんのか。昔から外界に憧れはあったみたいだけどな」
ニッキは特に興味を惹かれた様子も見せない。それほど仲がいいわけでもないのかな?
「すっごく綺麗な人だね。男にも女にも見えたんだけど、どっちなの?」
「うーん、俺にもわかんねえな」
「わかんない? いとこなのに?」
「俺がガキんときは女だった気がするけど、何度も変えてるからな。何年も会ってねえし、王都にいたのも知らなかった」
「変えるって? 性別を?」
「ああ、驚くような事じゃねえだろ?」
そうなんだ。まあ確かにエレスメイアじゃ普通そうだな。
「あれ、お前、指輪変えたのか?」
ニッキが訝しげに私の指に目を向けた。外界で付き合った相手はジュエリーには興味のない人ばかりだっだので、男性に指輪のことを指摘されると不思議な感じがする。けれども、ここエレスメイアでは指輪は装身具というよりも魔法を発動させるアイテムとしての役割が強い。男女関係なく自然と相手の指輪に目が行ってしまうのだ。
「ずいぶんと細いのにしたんだな。前のやつ、気に入ってただろ? 失くしたのか?」
「ううん、でも細い方が繊細な女性らしく見えるかなって思って」
「ああ? 意味が分かんねえ。指輪は関係ねえだろ?」
彼は心底不思議そうな顔をした。
本当のことを言えば、あれからすぐに新しい指輪を買いに行ったのだ。細い指輪は大きな負荷には耐えられない。うっかり攻撃魔法を使っても、電気製品のヒューズのように相手にダメージを与える前に切れてしまうはずだ。
ニッキの敬愛するサリウスさんを攻撃して気を失わせたなんて知ったら、なにを言われるかわかったもんじゃない。この話題はさっさと流してしまいたかったのに、彼は疑いの眼差しを私に向けている。
「どうも納得がいかねえな。なんか他に理由があんだろ?」
「別に?」
「怪しいなあ」
このエルフもどき、妙に勘がいいので困るな。
「こんにちは!」
ちょうどその時、元気な声がして青鬼の木下さんが入ってきたので、指輪の話はそれで終わりになった。
「ああ、ニッキさん、お久しぶりです」
木下さんはニッキがいるのに気づいて頭を下げた。
「おう、元気そうだな。楽しくやってんのか?」
「はい、とても」
彼はニッキの質問に青い顔をほころばせた。
実際、彼は驚くほどの短期間でエレスメイア生活に順応してしまった。鬼の身体にもすっかり馴染み、学校生活も楽しくてたまらないそうだ。村の人たちからも新しい村のメンバーをして仲良くしてもらっている。
ホストファミリーとも気が合うそうで、留学期間が終わってからも、自分の家を見つけるまでは滞在させてもらう事に決まっている。国民としてエレスメイアに受け入れてもらえることになったので、どこに住んでも構わないのだけど、私のようにこの村に居ついてしまうことになりそうだな。
「困ってる事はない?」
悩みなんてなさそうに見えたけど、念のために尋ねたら、木下さんはもじもじと下を向いた。
「それが……」
言いにくい事らしく、頬を赤らめて視線をテーブルの上にさまよわせる。
「どうしたんだよ?」
しびれを切らせたニッキにせかされて、彼はようやく口を開いた。
「……いろんなところで女の人に誘われるんです。男の人にもですが……」
「誘うって、デートの誘い?」
「そんな感じです。外界じゃ恋愛なんてする余裕もなかったんで、どうしたらいいのかわからなくて……」
木下さん、イケメン鬼だし、確かにモテそうだ。この場合、なんてアドバイスすればいいのかな? これからもここで暮らす彼には『恋愛禁止令』は関係ないのだけど、今期の生徒さんの前であまり堂々と付き合われても困るしな。
「お前は女が好きなのか?」
いきなりニッキが隣から口を挟んだ。
「……え? い、いえ、別に女好きってわけじゃないですよ」
「そうか、じゃあ男の方がいいんだな?」
「あ、ああ、違います。女の人の方がいいです」
質問の意図を理解した彼は、顔を赤くして訂正した。
「ようし、今期の生徒が帰ったら、お前の相手を探そうぜ」
「相手……ですか?」
「こっちに身を落ち着けんだろ? 恋人の一人や二人はいた方が楽しいぜ」
「そうでしょうか?」
木下さんは少し怯えたような表情で大きな体を縮こまらせた。
「俺が言うんだから間違いねえって」
ニッキは自信満々に胸を張る。何年も片想いしてるくせにこいつは何を言ってるんだろう?
「そうですね。ハルカさんとニッキさんも楽しそうですよね」
「あ、う、うん。楽しいよ」
私は青鬼に向かって笑顔を作って見せた。早くニッキと別れたことにしないと、フリをしてるのも面倒になってきたな。
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「研修会でさ、木下に思い切り酒を飲ませてやろうって話をしてただろ? ジャニスが軍事演習の日に湖に集まって酒盛りしようって言ってたぜ。うちの事務所はいつも森林浴なんだが、お前んところは湖に行くんだろ? 合同ツアーにしないかって」
木下さんが帰ると、ニッキはソファに寝そべったまま私に話しかけた。
「ごめん。その日は私は行けないから、酒盛りは別の日にしてほしいな」
「え、そうなのか? 何があるんだよ?」
「軍事演習の見学に行くの」
「外界人なのにか?」
「うん。院長が来てもいいって。今回はニッキは出なくていいんでしょ?」
現地代理店職員は留学生の付き添いをしなくてはならないので、演習への参加は免除される。
「『東の森』の一族はどうせ出なくも構わないんだ。エレスメイアの国民じゃねえからな」
「へえ、知らなかったよ」
「ま、そうは言ってもみんな演習には参加してる。いざと言う時には連携が取れなきゃまずいからな。ババアが出とけって言うんだよ」
ニッキのおばあちゃんのいうことはみんな素直に聞くんだな。一体、どんな人なんだろう?
「私が行くのは秘密にしといてね」
「わかってるよ」
「ほう、何が秘密だって?」
いきなり矢島さんが入ってきた。
「いつも立ち聞きしてから入って来るんですね」
「ドアを開けたらちょうど聞こえたんだ。俺のせいじゃない」
「私たち二人の間の秘密ですから聞かないでください」
「まあ、いいけどな。お前ら、仲良くやってるんだな」
矢島さんはレイデンに近づいて、彼の肩をポンと叩いだ。
「おい、レイデン。俺たちがいたら、こいつらイチャイチャできないだろ。遠慮してやろうぜ」
こっちを見てニヤッと笑うと、矢島さんは彼の腕を引っ張ってキッチンに消えた。
そっちこそ、イチャイチャしたいんでしょ、と言い返しそうになったけれど、彼とニッキが同じ部屋にいると喧嘩になるので我慢しよう。
「ねえ、今の聞かれてなかったよね?」
「大丈夫じゃねえのか? 聞こえてたら質問してくるだろ?」
「このことは『ICCEE』には知られたくないの。外界人が軍事演習に出ることは許されてないから、バレたら尋問されちゃうかも」
「だな」
その時、ばたんとドアが大きく開いて、ラウラおばさんの丸っこい身体が飛び込んできた。
「ちょいとハルカ、大変だよ!」
慌てて走ってきたらしく、おばさんの顔は真っ赤で大きく息を切らしている。
「あんたとこのマイアちゃん、ゴブリンにつれて行かれちまったっていうんだよ!」