指輪の紋章
目を覚ませば隣にはサリウスさんの暖かい身体があった。嬉しくて彼の寝顔をじっくりと眺めてしまう。
カーテンの隙間からぼんやりと朝の光が漏れている。壁の時計に目をやった。もう起こさなくちゃならないけど、もう少しだけ寝顔を見ていよう。
栗色の柔らかな髪はくしゃくしゃに乱れてるし、口元にはちょこっとよだれが見える。いつも隙がない彼も、寝顔は油断しきっていてかわいいな。
彼の髪に手を伸ばして、そっと触れたとたんに彼の身体がびくっと動いた。彼の目がゆっくりと開く。しまった、起こしちゃった。長い髪の毛の先にちょっと触っただけなのに。
「ハルカか!?」
私の姿を認めると、彼はがばっと身を起こした。
「ごめんなさい。びっくりさせちゃった?」
「ああ、すまない。夢に君が出て来たのだが、実物が目の前にいたもので驚いたのだ」
この人、恥ずかしいことをさらっと言っちゃうんだなあ。
「あと少ししたら出ないといけないんです」
「そうか。朝食の時間はあるか?」
「いえ、帰ってから食べます。あの……サリウスさん、身体は痛くないですか?」
「あ、ああ? ……痛くなるような無理な姿勢はとっておらぬが……」
彼は顔を赤らめて、口の中でもごもごと言った。
「いえ、あの、私に撃たれて……後遺症が出てないかと思って」
「そ、それならば大丈夫だ。私の一族は少々の攻撃魔法になら耐性を持っておる。だが『スレイヤー』の呪文に対抗できる者などおらぬからな。さすがに気を失ってしまったようだ」
自分の勘違いに彼の顔はさらに赤くなったが、わき腹の赤みはもうほとんど消えている。ほっとはしたものの、あの時の衝撃が蘇り、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ハルカ、もう気にするでない。怖がらせてしまった私が悪いのだ。君になら何度撃たれても耐えてみせよう」
「そんな覚悟されても困ります」
攻撃魔法だけは完全にコントロールできると自負していたのに、まさか暴発させるなんて。早く対策を考えないと、また誰かを傷つけてしまうかもしれない。
「ほれ、またそんな顔をしている」
咎めるように言うなり、いきなり彼に抱き寄せられたので、対策の事など考えている場合ではなくなった。
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二人で並んで丘のふもとの停留所に向かった。夜のうちに雨が降ったらしく地面は濡れていたが、洗い流された空気は澄み渡り見事な青空が広がっている。丘の上の坂道からは白く輝く王宮とそのさらに向こうに聳え立つ『エレスメイアの木』が何にも邪魔されずにはっきりと見えた.
停留所には私たち以外に馬車を待つ人はいなかった。
「サリウスさん、昨日寝る前に私に話しかけませんでしたか?」
夢だとは思いながらも、昨夜聞いた声が心に引っかかっていた。
「いや? 覚えがないが……」
「じゃ、やっぱり夢だったんだ」
「……不愉快な夢だったのかな?」
「いえ、誰かに話しかけられたような気がしたんです。はっきりとは覚えてないし……気にしないでください」
「ふむ……」
彼は訝し気な視線を私に向けたが、それ以上その話題には触れようとはしなかった。
やがて大きな黒い馬に牽かれた馬車が角を曲がって姿を現し、ゆっくりと近づいてきた。
「私も君に聞きたいことがあるのだが……」
「なんですか?」
「私が触れると目をつぶるのには何か意味があるのかな?」
「え?」
「ほんの一瞬だが、目を閉じるのだ。自分では気づいていないのだな」
全然気づいてなかった。でも原因は分かってる。
「すみません。直しますね」
「いや、無理に直すことはないが……」
「いいえ、直した方がいいんです」
この癖はレイデンが私に残したものだ。消してしまわないとサリウスさんに失礼な気がした。
「ふむ、心当たりがあるようだな。では君の好きなようにするといい」
私の心を察したように、サリウスさんは微笑んだ。
すぐに黄緑色の乗合馬車が私たちの前に停車し、黒い馬が「おはようございます」と大きな声で挨拶した。
「お貴族様が乗合馬車とは珍しいですな」
馬は気さくにサリウスさんに話しかける。
「いや、乗るのは彼女だけだ。よろしく頼む」
「今朝は時間に余裕がありますんでね。別れを惜しんでくれても構いませんぜ」
馬が気を利かせてくれたが、客車からは乗客たちが私たちを興味深げに眺めている。私は急いで馬車に乗り込んだ。
「今度は週末のツアーのない日に泊りに来ますね」
天蓋のないタイプの馬車なので、座席に座っても手すり越しに背の高いサリウスさんと顔を寄せて会話ができた。
「ああ、楽しみにしている。ところでだな……」
「はい、なんでしょう?」
「昨夜の私との行為に君は満足したのだろうか?」
「え、ええ? は、はい……」
「そうか。それならよかった。改善の余地があれば次回会う時に教えてもらいたい」
「旦那、そろそろ出しますぜ。ほら、別れのチュウはよろしいんですかね?」
馬が振り返って大きな声で問いかける。
「お、おう、そうだな」
言われるままにサリウスさんは私にキスをした。
彼が離れると馬車はゆっくりと動き出し、フィードバックを求められてうろたえる私をサリウスさんは笑顔で見送ってくれた。
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「ねえ、ケロ。サリウスさんの指輪の模様、どこかで見たことない?」
仕事の後、私はベッドに寝転がって猫に話しかけた。
話してくれるまで待つとは言ったものの、やっぱり気になるんだよな。貴族の家の門には紋章がでかでかと掲げられているものなのだけど、彼の家では紋章どころか、肖像画などの正体の手がかりになりそうなものは何一つ見かけなかった。唯一指輪の模様だけが盾の形の紋章のように見える。
でも貴族の家の紋章には似たものはなかったけどな。
「どうだろう? 竜のアクセサリーなんてよくあるからね」
ケロが前足でくるりと髭をなでた。
「竜って?」
「あれって竜の横顔だろ?」
あれ? たしかに竜にも見えるな。すり減ってるものだから、ヤギか馬だとばかり思ってた。
おばさんのところで見たポスターの貴族家の紋章には竜をあしらったものはなかった。竜の柄を使うのって……王族だけって言ってたっけ?
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エレスメイアの王家は歴史が古く、王族の数はやたらに多い。王の二人の妹にも子供が三人ずついる。
王のいとこまで入れるとかなりの数だ。多すぎるので王から何親等か離れると、庶民に降格されるそうだ。貴族と同じで、容赦なくリストラされるのだ。
人数が多いわけだから、サリウスさんが王族の一員だとしても驚くことはない。あの若さであれほどの品格を備えているなんて、むしろ王族であった方が納得がいく。
翌日の昼休み、私はラウラおばさんを訪ねた。
「王族の紋章って竜なんだよね?」
「そうだよ。あんたと仲良しの竜がモチーフさ」
「ドレイクのこと?」
「黄金竜はエレスメイアの守護竜とされてるからね」
へえ、全然、知らなかった。
「だから竜が王都を飛ぶなんて縁起がいいことだって皆言ってるのさ」
私は壁の大きなポスターを見上げた。王家と言っても、家族ごとにそれぞれ紋章が違う。ほとんどの紋章には複数の竜が様々なポーズで小さく描かれていた。サリウスさんの指輪の模様とは全然違う。やっぱり王族とは関係ないのかな。
「竜の横顔の紋章ってある?」
「ああ、そりゃ、王様のご家族の紋章だよ」
「ご家族?」
「ほら、あそこにあるだろ?」
おばさんが数ある王族の紋章のさらに上を指さすと、そこには金色の竜の横顔が光っていた。サリウスさんの指輪の柄と同じ構図だ。
「この紋章、他の人が使うこともある?」
「ああ、王族ファンの庶民は使っちまうよ。使っちゃいけないって法律はないからね」
そう言って、おばさんは竜が浮き彫りになったペンダントを胸元から取り出した。すり減ってはいないがサリウスさんの指輪と同じデザインに見える。でも貴族ともあろうものがわざわざ王家の紋章が入った指輪を身に着けるだろうか?
「王様のご家族って何人いるの?」
「あら、そんなことも知らないのかい。ご夫妻とお子様が二人だよ。上の王子様はいまだに姿を現さないけどね。下の子はまだ小さいってのに、困った王子様だよ」
サリウスさんが王様の家族の一員だとしたら? 当てはまるのは行方知れずの王子様しかいないのでは……。
……いや、まさか、そんなはずはないよね?