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レイデン、現る 《二年前》

 レイデンと出会ったのは今から二年と少し前、年が変わってすぐの寒い日の午後のことだった。


 私はオフィスの机に向かって、あくびを噛み殺していた。留学生がいない時期は比較的暇だ。オフィスを訪れるのも世間話をしに立ち寄る村人ぐらい。五日前に『魔法院』を通して現地人スタッフの募集をかけたのだけど、いまだに誰も現れない。


 エレスメイアは外界の文化や技術の受け入れに積極的とは言えない。外界人の入国には厳しい制約があり、基本的には留学生と滞在資格を持つ者以外は受け入れない。留学事務所の職員のみ例外とされるのだが、滞在資格保持者がいる場合は優先して雇用しなくてはならないという決まりがある。


 このオフィスにも滞在資格を持たない女性が駐在していたのだけど、留学期間を終えた私がここで働くことに決まり、半年間の引継ぎの後、帰国してしまった。一つの代理店で働けるのは、外界から派遣された職員と現地人スタッフの二人と決まっている。一人きりになってしまった私は、現地人スタッフの募集を出したのだった。


 それにしても眠い。昨夜は遅くまで小説を読みふけってしまった。表では冷たい風が吹いているけど部屋の中はぽかぽかと暖かい。生徒さんがいないこの時期、誰が訪ねて来るわけでもないので、ソファで横になっても問題はないのだけど、営業時間中に昼寝するのはさすがに気が引ける。


 まぶたがくっつきそうになったその時、ドアが開いた。入って来たのは超絶美形だった。エレスメイアには男女ともに美形がとても多い。それがゲームやファンタジー映画に出てくるような衣装を着て歩いているものだから、さらに格好良くみえてしまうのだが、目の前の男性は数ランクも上の格好良さだった。


 声をかけることも忘れて、私は彼の姿にじっと見入った。こんな男が事務所の中にいるはずがない。これは夢? それとも誰かのいたずら? 先週ごみ箱をひっくり返したエルフがいたけれど、あいつらにはこんなに凝ったいたずらはできないはず。見つめられて、男が居心地悪そうに目を逸らしたので私は我にかえった。


「こんにちは。なんのご用でしょうか?」


「あの、募集を見てきたのですが」


「はい?」


「あの、アシスタントをお探しと聞いて」


「は、はい、お仕事の件ですね」


 こんな美形がうちで働きたいとはどういう風の吹き回しなんだろう。誰かのいたずらだという疑いを拭い切れないまま、私は彼に椅子を勧めた。


「ケロ!」


 私は二階に駆け上がり、ベッドで昼食後の昼寝をしている猫に声をかけた。


「どうしたの?」


「ケロの仕業じゃないよね?」


「ええ? なんの話?」


 台所に戻ってお茶を入れている間に、ケロがオフィスを覗きに行った。


「ふうん、たしかに人間の基準じゃかっこいいいかもね」


「誰か化けてるんじゃない?」


「まやかしの呪文はかかってないみたいだよ。シェイプシフターだったら僕にはわからないけどね」


 ケロの目には呪文が見える。あまり『深い』呪文は見えないそうだけど。


 それにしても美形過ぎる。真っ黒な長髪、浅黒い肌、瞳は深い緑色。RPGのキャラクターにこんなのいたなあ。持っているのは長剣じゃなくて杖だけど。


 滑らかに磨かれた杖の先端には、見慣れない半透明の白い石がはめ込んである。どこにも印がないところを見れば『魔法院』の杖ではないようだ。薄手の手袋をはめた指には地味な銀の指輪。深緑のロングチュニックは手入れは行き届いてはいるけれど、新しいものではなさそう。


 お茶のカップを彼の前に置いて、私も腰を下ろした。


「私はハルカです。ええと、お名前は?」


 彼は自分の名を告げたけど、まったく聞き取れない。レェイドィンエナニュ……なんとか? やたらに長いし。


「レイデンさんですね」


 勝手に改名して、『レイデン』と書類にも書き込んだ。翻訳魔法の便利なところは、私が「これが彼の名前」と一旦決めてしまうと、相手にもそれが自分の名前として通じてしまうことだ。私はこれを翻訳魔法の『辞書登録機能』と呼んでいる。


 本人は現地語の履歴書を持参しており、人事にはこちらも沿えて提出するので、呼び名が少々間違っていても問題はない。『本部』の通訳が、エルスメイア語を英語表記に書き直してくれる。


「はい、レイデンです」


 彼は微笑んだ。


 控えめな微笑に頬が赤くなるのを感じる。こんな人がこの事務所で働きたいなんて、どう考えてもおかしすぎる。何かの詐欺だろうか? ケロは地だといったけど、この完璧さは怪しんでかかるべきた。まずは彼の話を聞こう。


「私、現地語は読めないんです。履歴書を読み上げていただいてもかまいませんか?」


 読み上げる声がまた美声だった。


 物腰に品があるので貴族の出かと思ったら、北部の農家の出身だそうだ。『魔法院』で二年ほど農作物に関しての研究をした後、北に戻って農耕をしていたらしい。


 現地語のリファレンスレターには『魔法院』の職員の名前が書いてあるようだ。役職は上の方ではないけど、あそこで働いているというだけで信頼に値するので問題はないだろう。


「ええと、まず一週間働いてもらって、お互い問題がないようでしたら、仮雇用になります」


「あれ、雇っていただけるんですか?」


 彼は本気で驚いたように見えた。


「はい。それからまた試用期間が三週間もあるんですが、構いませんか? その間も給与は求人情報に書いてある額面通り支払われますが」


 社長には数人面接をしてから決めろと言われてたのだけど、気が変わられては困ると思い、採用してしまった。


「さっそくだけど明日から来てもらっても構わないですか?」


「はい、もちろんです。ありがとうございます」


 彼は礼をして足取りも軽く出て行った。背筋がピンと伸びた後ろ姿も恰好いい。村の宿屋に泊まっていて、仕事が決まれば家を探すつもりだと言っていた。ちなみにこの国の人は頭を下げて礼をする。日本人には馴染みやすい習慣だ。


 一つだけ、彼がお茶を飲むときも手袋をはずさなかったのが気になった。『魔具』なのかな? それともただの潔癖? 



        *****************************************



 スキャンしてデータ化した履歴書とデジカメで撮った彼の顔写真を社長へのメッセージと共にSDカードに収めた。エレスメイアでの人事は留学代理店と『ICCEE(アイシー)本部』が協議して決めるらしいのだが、彼の経歴なら問題なさそうだ。


「ケロ、郵便屋さん、探してきて。速達でお願い」


 ケロは表に出ていくと、大きなグレーの鳥を連れてすぐに戻って来た。


「『門』までだと五円になります」


 鳥の首から下げられた布製のポーチの中に、五円のコインと封筒に入れたSDカードを収めて蓋を閉めた。鳥はよちよちと表に出ると大きな翼を広げて舞い上がった。ふらふらとなんだか危なっかしい。


「ねえ、ケロ。あれが速達?」


「ツバメバトがいなかったんだよ。風に乗るとあいつも結構速いんだよ」


「でも今日は無風だよね」


 まあいいか。そんなに急ぐ案件でもないし


 SDカードは『門』の詰所に届けられ、外界側の『ICCEE(アイシー)本部』からカードの内容が社長に宛ててメールで送られる仕組みだ。エレスメイア側と『本部』で二回も検閲されるので、うっかりしたことは書けないのだけどね。


 ちなみに通貨の単位は『円』ではなく、『ニェエエン』みたいに聞こえる言葉なのだが、最初聞いたときに『円』と聞こえたものだから、それ以来私の耳には『円』にしか聞こえなくなってしまった。一円が日本の百二十円ほどの感覚なので、金銭感覚がおかしくなってしまう。


 明日また彼が戻ってくると思うと落ち着かなくなって、部屋の整頓をすることにした。机の上にも書類が積み上げてある。バインダーにまとめようと思いながら先送りにしていたのだけど、今日中にこちらも片付けてしまおう。現地の人には英語の書類は読めないので、彼が直接触れることはないんだけど、見た目がきちんとしてるだけで印象も違うはず。


 不純ながらも目的があると作業もはかどるもので、就業時間前には見違えるほどにすっきりと片付いた。


 そうだ。明日のお昼ごはんも頼んでおかないと。


「ケロ、モジョリさんに一人分追加してもらって。男の人だから少し多めにって伝えてね」


「はーい」


 ケロは珍しく意気揚々とお使いに行った。猫好きのモジョリさんの所に行けばおいしい残り物を貰えるのを知ってるのだ。


 モジョリさんは村の仕出し屋さんだ。こっちの食材は馴染みのないものが多く、食べてみたいと思っても料理の仕方さえ分からない。レシピの本も現地語だし、だからと言って料理はさほど好きではないので、習いに行く気もしない。昼ご飯を宅配してくれる業者がいると聞いて頼んでみたら病みつきになるおいしさで、それ以来毎日お願いしている。


 しばらくすると黒い小鳥が勢いよく飛び込んできて、机の上に小さな封筒を落とした。


「郵便だよ」


「ありがとう」


 封筒から取り出したSDカードをPCに差し込み、社長からの返信メールを開いてみれば、『写真を見て納得しました。頑張って』と書いてあった。


 採用したのはよさそうな人だったからだよ。頑張れって……あんなのどう頑張ったって無理だって。いや、別に付き合いたいなんて思ってないし。


「ハルカ、顔が赤いよ。熱でもあるの?」


 お使いから戻ったケロが心配そうに私の顔を見上げた。

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