Jump
時間がバラバラに弾け飛んだことは、みなの記憶にも新しい。だろう。少なくともわたしの中では新しい。
二日の違いで生まれたわたしの幼馴染は、そう、良き隣人だった彼女は、わたしがまだ中学生をしているときに、二十歳を迎えた。眼帯を付けて長いマフラーをたなびかせていたわたしを見て嘲ると、
「なにをしているの?一緒にいて恥ずかしい限りだよ」
呆れたように呟いた。
それはつい昨日のことだ。あれ?違う?ああ、きみの中では十年前の出来事なのか。
隣の彼女は自分の記憶で述べる。時間や年齢は変動しても、関係性までは変えられない。現在研究者の立場になったわたしの助手として彼女はいる。
しかしその出で立ちは到底二十歳に見ることは出来ない幼女だ。だから十年前の出来事と言っても、見た目にして八歳の彼女は生まれてさえいない。
いや、それはまだいい。所詮は時間だ。時計の針を回せば時間は加速するし、赤道直下に行けば南極人より先を生きれる。どうしても世界のさらに向こうへ走りたいのなら、飛行機を使って世界一周の旅に出ればいい。そうすれば0,000000059秒の先へ行けることは、わたしの常識の中では常識だ。
問題は、近年になって空間までもがバラバラになってしまったことだった。これはまだ公に知らされていないので他言しないで頂きたいが、実は、沖縄と北アメリカ大陸の位置が逆転してしまっているらしい。
これによって世界情勢や地球温暖化問題など、研究対象外なので何とも言えないが、きっといろいろとややこしいはずだ。だからこれについては、みなが知るところへなる前に、早急に沖縄返還を要求したい。
ここまでは彼女の幼馴染として程度のわたしの見解だったが、ここからは研究者としての意見を出す。
始めに結論を提示するなら、この一連の事件(世界時空会議が呼ぶところの時空間変動事件)は、カエルの仕業だと考えている。
先ずもってカエルとは、もちろん両生網無尾目に属する、南極大陸の除いた全大陸に生息するあのカエルだ。
カエルは初めに卵として水中に沈められた。ここではその卵を一次元生態物とする。
次に孵化してオタマジャクシとなり、えらと尾を持って水中内での移動を可能にする。これを動かないカエルの卵、つまりは一次元生態物と比較して二次元生態物となずけた。
その後しばらくして手足が生え、足には筋肉を付け始める。これは偏に空を飛ぶためだ。もちろん水中で空を飛ぼうとするバカはいない。カエルはバカではなく、もちろんカバでもないのだから当然だ。言いはしないが馬でも鹿でもない。よって不要なえらと尾を排した。
地上に上がったカエルは跳ぶ。飛ぼうとしていた以上は、カエル自身想像以上に飛ばなかったことには苦悩しただろう。まあ結果としてそれが未来の糧になるのだからここでは言及しない。例によって成体となったカエルは三次元生態物と呼ぶ。
失意の中でカエルは空を飛ぶ準備を始めるのだが、そのためにはどうしても足の筋肉だけでは足りないことに気がついた。それを気づかせてくれたのは皮肉にも鳥だったのだが、百舌に捕まり串刺しにされたカエルは最後の力をふり絞りそれを仲間に伝えた。
しかし苦難はさらに続いた。それは、カエルが既に成体だったことで、成体となったカエルはさらなる進化をすることは現実的に考えて難しかった。オタマジャクシの時に教えてくれれば足なんて生やさず翼を生やしたのに!という声が聞こえてきそうである。
だからカエルは自分たちの子どもに夢を託す。カエルはオタマジャクシを育てることがないので口伝えすることは叶わなかったが、その産卵された大量の卵に付与した。
卵に付与するとは、擬人法で言うなればプログラムを作ることだ。一つ一つの遺伝子コードを繋ぎ合わせて先へ先へと進み続けるためのプログラムコードを作った。
もちろんコードがあるだけでは使い物にはならないので、大量の一次元生態物を用いた動物性知性体郡を作り上げた。
これで完成だと納得したカエルは冬眠の用意が間に合わず死んでしまうのだが、大きな大きな間違いがあることに気がつかなかったのはきっと、カエルがバカだったためだろう。
遺伝子コードを繋いでプログラムにするよりも、足が生える遺伝子を翼が生えるに書き変えるだけで済んだはずだ。
けれどもう遅く、その後生まれたオタマジャクシは翼を生やすことはせず、四次元生態物へ昇華する。
その姿はカエルの中にカエルを飼う多胞体として初出することに至る。しかしそれだけに留まらず、四次元への発展は多胞カエルを含めて大きく三つに分かれる。
二つ目は四次元球体としての姿。超球面としてのそれは(n+1)次元で示された。並んで多面体としての姿もあるにはあったが、それは五次元以降に注目される。
三つ目とは四次元の方向を時間としたミコンフスキー空間として現れた。
そして三つ目のカエルが跳ぶと、そのカエルは未来方向へ消えた。こうして時間は狂いだすことになる。
一方で一つ目のカエルは多胞体としての自らを増幅し始める。四次元は五次元になり、五次元は六次元となり、腹の中で多くのカエルを飼った。
また二つ目は超球面としてS'n={X∈R'n+1:││X││=r}で計算されるのともう一つ、超多面体としてポリテロン、ポリペトン、ポリエクソンと続き次元を増やしていく。
そうしてやがて十四次元に達したカエルは、自分が動物であるはずなのに超多面体、超球体となってもはや動くことが出来なくなっていたことにはたと気づく。
そこでカエルは自身が動くためにしなければいけないことを考え、零次元転移を思いつく。零次元の有用性は場所の制限がないことで、飛ぼうと思えば沖縄からアメリカなんてお茶の子さいさいになる。水中でしか生きることが出来なかった過去を憂い、未来を尊んだ。
先ず零次元へ移行するプロセスを仮想的に踏んでみた。成体として最初の形態まで退化して三次元。オタマジャクシで二次元。卵で一次元。無になり零次元。はて?無の状態とはどういうことか。
屍であるべきか。この世から細胞残さず居なくなった状態か。カエルには零次元が何か分からなかった。
よって零次元の転移を早急に諦め、それからは次元数を伸ばすことに邁進する。そうすれば何れ世界全てを飲み込み、ミクロで見て穴があっても、センチメートル単位程度でなら何処に行くにも差し支えはないと考えた。
計画は案外早く完成し、二十次元程度で何処へ跳ぶにも困らなくなった。カエルは跳ぶとアメリカに着いた。もう一度跳び中国に。ニュージーランドに。オーストリアに。
こうして空間は狂いだす。
狂い始めた時間と空間はカエルに及ぼす影響のみに留まらず、幾らかの動植物を経た後、ついに人間を対象とするようになり、今に至る。
わたしの前には一匹のカエルがいる。超多面でも超球体でもない。もちろん腹を掻き切ってもカエルが出てくるなんて突拍子もないことが起きるはずがない。
「お前は、空を飛びたいか?」
わたしはカエルに問う。
けれど、もちろん返す言葉はない。カエルが話すわけがないためだ。
カエルの目はわたしに向いていない。だからと言って空に向いているとするのは人間側がそう思いたいだけなのだろう。カエルは何か考えているのかも知れない。あるいは何も考えていないのかもわからない。
「責任、きっちりと取ってもらうぞ」
わたしの結論はカエルに向いている。
「わたしの幼馴染をこんな老婆に変えてしまった罰は、お前が飛ばない限り果たされない。バカではないお前なら、分かっているだろう?」
わたしは憐れなカエルを前に自分の研究発表を結んだ。
だから飛べ。
飛べ。
飛べ。
飛べ。
未来へ。
宇宙へ。
空高く。
誰も届かない。
誰も辿りつくことの出来ない。
その先へ。
飛び続けろ。