4.ご対面
翌日。
結果が出てから報告すると一条さんには伝えてあったので、あまり期待していなかったのだろう。電話したとき一条さんはとても驚いていた。
陀宮さんの下校を待ってからということで、時刻は前と同じ。どうせ誰も来ない店だ。店を少し早めに閉めてしまっても構わないだろう。
「店は早く閉めてもいいけどさ、ご飯も出してもらっててその言い方はないんじゃない?」
そろそろ怒るよ? と店を出るとき頬を膨らました陀宮さんに半眼でそう言われ、僕は素直に「すみませんでした」と謝った。本当に読心術使えるのかこの人? 使えるなら完全に超能力者だろ。しかも霊能を持っているからなんか説得力あるし。
車を走らせて前と同じところに停めて歩く。インターホンを鳴らして名前を言うと、今回はスムーズに中に入れてくれた。
「早かったですね。びっくりしました」
依頼完了の知らせを受けたからだろう。一条さんの声音は明るく若干弾んでいる。
彼女は僕と陀宮さんを居間に通し、前のようにお茶とお菓子を用意してくれようとする。
「ああいいよ。お構いなく」
が、立ち上がろうとした彼女を陀宮さんは止める。それに彼女は少し戸惑ったが「なら……」と座り直し、本題に入る。
「あの……本当に成仏したかどうかの確認って……」
「その必要はありません」
一条さんの質問に、陀宮さんは嫌な笑みを浮かべてぴしゃりと言い放つ。それに一条さんは思わず「え?」と漏らす。そして申し訳なさそうにしながらも僕らに疑いの視線を向けてくる。
「あのぉ、確認できなかったらお代を渡すのはちょっと……」
「まあまあ、そう焦らないでって」
「はぁ……」
彼女の発言に若干混乱する一条さん。だが構わず陀宮さんは説明を……と思ったら隣にいる僕を肘で小突いてくる。続きは面倒だから任せたと言いたいのだろう。
気が重い。何せ導き出された結果が結果だ。こんなもの……こんな結果簡単に口にできるものじゃない。
しかし、
「結果はこの近森が説明してくれます。というわけで後は任せた」
そう彼女は僕の肩を叩く。無理矢理丸投げされた。
陀宮さんの言葉を受けて一条さんは僕の方を見てくる。その視線が説明を請うている。これで逃げ道が完全に塞がれてしまった。
僕はため息を吐きたくなるのをぐっと堪え、「森近です。では、」と一条さんを見る。
「まず僕たちは事故のあった横断歩道に向いました。あそこは人通りも少なく、場所的にも事故が起こりやすい場所なのだろうという印象を受けました」
「はい。確かにあそこは事故の多い場所だって言われています。犬や猫もよくあそこで……」
「やはりそうでしたか。そういった場所……つまり、よく何かが死ぬところには見えない力が溜まるものなんですよ。簡単にいうと霊魂とか霊力ですね。だから本人に理由がなくても溜まった力が溢れ出て、その拍子に現れるということはあるんですよ」
例えば今言ったように、思い出や関係性などが無くても、犬や猫がたくさん死んでいると場所は犬の霊や猫の霊が現れたりする。だから一条さんの祖母が現れた、という現象自体に違和感はない。
違和感があるのは、この依頼自体だ。
僕は一拍置き、心の中で少し深呼吸をすると、
「でもですね一条さん。だとするとこの依頼はおかしいんですよ」
「……おかしい?」
その瞬間、明らかに彼女の顔が翳った。だがここまで来た以上、どう言い訳しても引き返せない。
僕は意を決し「はい」と続ける。
「あなたは言ましたよね? 祖母はなぜか恐ろしい顔をしていたと」
そう。物事には理由がある。
彼女の口から聞いた情報だけでは、どうしてもこの理由が分からないのだ。
「おそらく、恐ろしい顔というのは怒った顔のこと」
そう。なぜ彼女は怒っていたのだろうか。それも呪いを孕んだ言葉を放つほどに。
「車の運転手だった大学生を恨んでいるというのなら分かるのですが、なぜあなたに向ってそんな顔をしたのでしょう? 僕にはそれが分からなかった」
「それは……」
彼女はそこで口を噤む。これ以上何も話したくないと。僕を、僕たちが出した結論を察し、拒むように。
しかし、僕は最後まで言う。
静かに独善に酔って、罪人を追いつめる。
「一条生花さん、あなた………………………………静華さんを押しましたね?」
「………………」
口にした瞬間、恐怖か、それとも後悔か。胸の中に真っ黒い痛みが泥のようににじみ出た。
一条さんの沈黙は、他の何よりも肯定の意を示している。
部屋の空気が一気に重たくなるのを感じた。真っ黒で、泥のようなじっとりと重くなるのを。
「……さっきの矛盾が分かった時点で聞き込みをしました。そして、あなたが静華さんの介護をしていたことも聞いています。静華さんは認知症だったそうですね」
認知症ということを聞いて、僕は少しあの静華さんの霊の姿に納得した。多くの場合は事故に遭ったときの姿で出てくるのだが、何故か彼女の頭の中は空洞になっていた。確証はないが、きっと認知症だったからだろう。
「……………」
「あそこの歩道は狭い。曲がり角から思い切り突き飛ばせば車道まで出るでしょう」
「もっとも、計画的だったとは思えないけどね」
そこで、今まで黙っていた陀宮さんが口を出す。彼女は机に肘を突き、不敵に口の端を歪める。
「衝動的だったんでしょ? カッときて突き飛ばしたら目の前に車が来てドーン。人形のように吹っ飛んだ一条静華の姿に、あなたは逆に唖然としてしまった」
「……」
「まあもっとも、吹っ飛んだ後引きずられた遺体はかなりぐしゃぐしゃになっていたようだし、『突き飛ばされたみたいに飛び出してきたんだ!』なんて、半場ひき逃げかつ飲酒運転をしていた運転手が言ったところで、どこまで信じてもらえたか」
「……」
しばらく彼女は黙って動かなかった。
「…………――――――、はぁ」
そして大きくため息を吐くと、ゆっくりと顔を上げる。
「……証拠は、あるんですか?」
その声にはまるで感情が無く、表情も同じように無感情だった。
その一言で分かった。
彼女は自分の罪を認める気がない。
「ええ確かに祖母は認知症を患ってました。介護も大変でしたよ。自分のお母さんなのに、お父さんは仕事だって手伝ってくれないし、おばあちゃんはダメって言うとすぐに虐待だって怒り出すし。正直、不謹慎だって分かってますけど、あの人が事故に遭ってスッとしたところもありました」
ですが、と次いで彼女は徐々に表情を怒るかのように歪めていき、しかし声は静かに、
「それで私が殺したというのは考え方として少々飛躍し過ぎです。私はあの瞬間、あの横断歩道に居ませんでした。留守にしている間におばあちゃんが家から居なくなったので探してたんです。そしたら偶然あの場所に血痕を見つけて……あの姿を見た時は……」
彼女はそこで堪えるように涙を流し始める。俯き、口を押えて嗚咽と声を抑え、零れた涙がズボンの上に染みを作る。
その姿に僕は思わず揺らいでしまう。それはこの後の結果を知っているからだ。
おそらく僕たちの推理は間違いないだろう。一条さんの言う通り物的証拠は確かにない。強いてあげるなら霊的証拠だ。だがそんなものは証拠と呼べない。最大限の譲歩で参考程度だ。
だがそれでも、これで話の筋が通っている。
僕は再度問う。理解していないだろうが、これが彼女の最後の機会だ。
「……それじゃああなたは、自分の行いを認めないんですね?」
「……認めるも何も、私はやっていません」
そう俯き嗚咽を漏らしながら、彼女は首を横に振った。
「ま、分かってたけどね」
そこで、今まで黙っていた陀宮さんは呆れたように肩を竦める。そして席を立ち、
「一応あの場所にいた君の祖母は弾いておいたから。口座は後でメールするよ」
それに彼女は泣くのをやめて涙を拭う。しかし顔は上げず、何も言わなかった。もうこれ以上僕たちと話したくないのだろう。そう思って僕も立ち上がり「失礼しました」と一礼して部屋を出た。
・・・
二人が出ていった居間で、『私』は大きくため息を吐いた。
今更……そう。本当に今更だ。
警察も事故で解決した。
近所の人たちもそれで納得し、私を心配してくれた。
丸く収まっていたのだ。
全て丸く。
それを今更掘り返されて、引っ掻き回されて。うんざりよ。
私はただあの女を、鬱陶しいから消してほしいと依頼しただけなのに。次から次へと余計なことを。
……あのときは本当に運が良かった。事件が事故で終わった時、私は本当に神様がいるんじゃないかって思った。だってあんな押しただけで全部うまくいったんだから。
玄関で彼らの靴を履く音が聞こえる。確かに殺したのは私だ。だけど認知症のババアが勝手に出て行って、それを追いかけたことは間違いじゃない。
そう。本当に偶然だったの。
偶然あの横断歩道にあの女がいるのが見えて、そこで偶然あの横断歩道のことを思い出して、
気が付いたら突き飛ばしていた。
フフフ、これも日頃の行いね。
頑張って辛い介護に耐えていたから神様が機会をくれたのよ。
ご苦労様、て。
もう楽になっていいよ、て。
それを……せっかく手に入れた私の幸せを、邪魔されてたまるもんですか。
この幸せは私だけのもの。
苦労して掴み取った、私だけのものなんだから!
「……ああそうそう」
玄関で靴を履き終えたのだろう。トントンと整える音とともに、あの陀宮という少女の声が聞こえてくる。まだ帰っていなかったのか。早く出て行って欲しい。
あの女の霊を祓ったのならもうあなたたちに用はない。関わりたくない。
あなたたちが帰ってくれれば私は完全な日常に戻れる。やっと待ち望んでいた平穏を手に入れることができる。
警察に言いたいなら言えばいい。もう証拠なんて出てこないだろうし、何より私とほぼ無関係の、しかも霊能力者の言葉なんて誰が信じるかしらね!
そんな私の気も知らず、彼女は言葉を放つ。愉し気に。
「さっきも言ったけど、私は一条静華をあの場所から『弾いた』だけだから」
見えなくても声だけで分かる。彼女は薄ら笑いを浮かべている。だがどうしてだろう。今の言葉にスッと自分の中で血の気が引いていくのが分かった。
弾いた?
さっきはそれを彼女なりの『祓った』という意味なのかと思ったが、どうしてだろう。何かを見落としているというような、この不安は。
ガチャッ、と取っ手が引かれる音がした。
『弾いた』。ひょっとしたらそれは……本当にそれだけの意味なのでは?
「さて、『彼女』は次にどこに行ったんだろうねー」
「――――――――――――――――――――――――――――――」
その言葉を聞いた瞬間、私は反射的に立ち上がり駆け出した。
まさか、
まさか、
まさかまさかまさかまさかまさかまさかまさかっ!
居間から飛び出し、私は玄関にいる二人を見つけた。
そしてドアは今にも開かれようとしている。
「だめッ!」
叫んで私は廊下を走る。ダメだ。そのドアを開けたらダメ!
私の中の何かが警鐘を鳴らしている。そのドアは最後の砦。
その向こうにはいる。
あの女が、開けた瞬間に入ってきてしまう!
そうなれば………私は!
「やめて! やめてぇッ!」
そう叫んで手を伸ばす。が、そこで目に入った。狼狽している森近という男と、陀宮という少女の振り返った顔が。
彼女は嗤っていた。
髑髏のように、死者よりも死者のように。鎌を携えた死神のように。
そして、―――――――
「さあ、ご対面」
躊躇い無くドアは開かれた。




