12.沼男―スワンプマン―
『沼男』は私の他の作品でも登場していますが、
実はこれが一番初めに使った話です(余談)
あまり童話に詳しいわけではないが、浮かべるのは『人魚姫』だろうか。
人間の王子に恋をした人魚の悲しいお話だったはず。
人魚は王子に会うために自分の声を魔女に差し出し、足をもらう。よって陸に上がっても声を出せず、王子に思いを伝えられないまま泡となって消えてしまうのだ。
「そう思わないタモリ君」
「森近です。僕はサングラスをかけてテレビに出たことなんて一度も無いですよ」
「ん? ニュースの端っこにちょっと映ったことくらいあるでしょ?」
「それなら少しあるかもしれませんが……」
その日の夜。僕は今日の余った時間で店番をして、二階で夕食をもらった後、ダイニングで今日の報告をしていた。まあそこから派生して半分雑談みたいになってしまったりしているが。ちなみに塚井さんは入浴中だ。
陀宮さんは「国語の課題なの」と言って『人魚姫』を読んでいた。メモのことを報告し終わって、今はそちらに話題がズレてしまっているが、特に依頼に関して思いつくこともないので乗っかっている。
「で、さっきは何の同意を求めたんですか?」
「これこれ。人魚姫」
彼女はそれをダイニングの机の上に置き、頬杖を突きながらパラパラとめくる。
「人魚の姫様は声を奪われてしまった。よって王子様に思いを伝えることができなかった。この結果は少しおかしくない? 紙とか土に書くとか、色々伝える方法があったはずなのに」
「それは童話だからですよ」
「夢が無いねえ近森君は」
「森近です。なんですかその力強い名前は」
というか夢が無いと言っている本人が、『童話』という夢を壊そうとしていることに気づいているのだろうか。
陀宮さんはそこで「ん~!」と大きく伸びをすると、「あ、」と何かを思い出したようで、
「さっきメールを確認したんだけど。あれ、二田都雄からメールが来てたよ。『明後日の休みに今日と同じ喫茶店でお願いします』だって。彼の行き付けなの?」
「行き付けかどうかは分かりませんが、まあ了解です。ありがとうございます」
ということは、明日は店番だな。
こういったことをしているとやはり、いつもの何気ない時間が心の安定を保っているというのがよく分かる。居場所というのは良くも悪くも人の心を穏やかにしてくれる。すっかりここに依存してしまっている。なんだかんだで今日も夕食をもらってしまったし。そういえばあの喫茶店のコーヒーをまだ飲んでいなかった。塚井さんと比較するつもりはないが、少し興味があるし、今度頼んでみよう。
しかし、
「陀宮さん」
「何?」
「やっぱりあの『門崎三葉』さんは死体なんですかね? それとも……」
ああ、と陀宮さんは思い出したように、そして今度は少し呆れた様に返事をし、
「近森君。人か人形かって、そんなに大切かな?」
「……僕は大事だと思っています」
死体なら、人が一人死んでいるのだから。
僕の答えに陀宮さんは「ふーん」と何だか意外そうにし、
「私はね、そこまで拘ることじゃないと思う。そもそも何をもって『人間』とするの? 何をもって『生きている』というの? 心臓が動いていたら、というなら植物は死んでる?」
確かに言われてみればそうだが、なんだろう。どこか納得がいかない。それを認めてしまうのは、何か、嫌悪感を抱いてしまう。
「そう。納得なんてない」
彼女は言う。
「だって答えなんて無いんだから。まあ、小学生に言い聞かせるようなちっぽけな答えかもしれないけど。でも逆にいうならその程度の問題だってこと」
と、陀宮さんは得意げな顔をし、頬杖を突いて僕の方を見る。
「『人間』を定義するなら、私は『人間』が作り出している『この社会』に馴染んだものが『人間』である、と定義する。『猿』ならば『猿の社会』。『犬』なら『犬の社会』。『キジ』なら『キジの社会』に」
「なんで例が桃太郎なんですか?」
「猿で思い浮かんだのがこれだったの! ここはツッコまないところ!」
「あ、はい。すみません?」
もう、と頬を膨らませる陀宮さんに、思わず疑問符が浮かんでしまう。今のはツッコミどころではなかったのだろうか。
一拍間をあけた後、彼女は気を取り直して、
「まあとにかく、そういうことだと私は勝手に思ってるよ」
そう彼女は言う。
しかしなるほど、確かにそうかもしれない。身近な例えで浮かんだのが大学でよくいたダブった学生だ。
普通に話していて同年代かなと思ったら一つか二つ歳上の人だったというのはよくあった。これの場合最終的に答えを聞いているが、きっかけが無ければそのまま同年代だと思って過ごしていただろう。その感覚になんとなく似ているのかもしれない。
それともう少し深く考えてみると、
「……『沼男』、ですかね」
「有名な問いね。『沼から生まれたソレは本人か否か』、と」
簡単にいうと、ある沼の前で一人の男が死んだ。そしてその隣にあった沼から、その死んだ男と同じ記憶と人格、容姿を持った『沼男』が出来上がり、その後死んだ男の代わりに生活する。
誰もその成り代わりに気が付かないし、社会に支障もない。が、それは果たして本人といえるのかどうか、というものだったはず。大分ざっくりと説明したが。
「まあさっきの流れ的には、私は『認める派』に近いかな。あんまり断定するような意見は持ちたくないんだけど」
「僕は……どうですかね?」
「それは私に聞いてる?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど……」
『本物』か『偽物』か。いや、そもそも何を基準に『偽物』というのだろうか。
しかし同じ人格や記憶を持っている以上『別人』というもの抵抗がある。
「……自分で言い出してあれですけど」
「気持ち悪くなった?」
情けなさを感じながらも、僕は素直に「……はい」と頷く。なんだろう。考えれば考えるほど何か自分の中の『核』のようなモノが揺れて崩れてしまいそうな、そんな……そう、まさに沼のような不安が滲み出てくる。
陀宮さんはそういったことはないのだろうか。そう思って彼女を見てみると、楽しんでいるようだった。こういった問答が好きなのだろうか。毎日『正義とは何か?』『愛とは何か?』とか考えているのだろうか。難儀な頭だ。
「そんな無駄なことは考えないわよ。これだってお遊びよ。お・あ・そ・び」
僕の考えをバッサリ両断し「私そんなイメージだったの?」と少し不満気な視線を飛ばしてくる。僕はそれに、今度は情けなしで「はい」と頷く。正直、ヒューマンウォッチが趣味で、毎日色んなことを考えて生きてるんだろうなぁと思っていた。
僕の返答に陀宮さんは、何か思うところがあったのか、少し他所に視線をズラすと「ふむ……」と何かを考える。
「どうにもイマドキといったものは分からないんだよねぇ」
「……」
意外だ。陀宮さんでもそういった悩みを抱えているか。なんだか新鮮。
そう思うと、今の考えている横顔も、哲学者めいたものから物思いに更ける歳相応の少女に見えてくる。そういえば学校ではどんな風に振舞っているのだろうか。家にいるときの様に太々しいのだろうか。それとも……
「失礼な思考を巡らさない!」
「僕には思想の自由もないんですか!?」
憲法も何もあったもんじゃない。
「読心するまでもなく、顔に全部出てるから言っているの!」
う……、と思わず頬を触って確認した僕に、陀宮さんは呆れ顔でため息を吐く。
「一応言っておくけど。私はまだ高校生、少女なの。そんな無気力な余生を過ごしている老婆みたいな扱いはさすがに酷い」
「……僕、そんな風にしてました?」
「少なくても年寄臭いとは思ってたでしょ?」
「……」
否定できない。確かに今思えばかなり失礼なことを考えていたような気がする。しかし無気力な余生というのは少し御老人方に失礼だろう。いや、今そこは重要なところじゃないのか。
とにかく素直に反省だ。
「……すいませんでした」
「よろしい」
そう言って陀宮さんはクスリと笑う。その笑みを見ると結局弄ばれただけのような気がしてしまうが、しかし言動、思考を振り返ってみると、失礼なことは確かに思っていたので何も言えない。
まったく。女性、特に少女とは難しい。きっと女性から見たら「男性は分からない」といった感じなのだろうが。そう思うとやはり恋愛に限らず、異性との関係は難しい。
……っと、この状況。僕の方が『愛とは何か?』について考えてしまっているのではないだろうか。
「そのまま考えててもよかったんだよ?」
なんて、陀宮さんが意地悪な顔をしてきたので思考を切り上げることにする。やはり、この人に口喧嘩で勝てる気がしない。
と、
「奈々ちゃんお風呂空いたよ~」
なんてガチャリとドアが開き、バスタオル姿の塚井さんが出てくる。それと同時にフワリと甘い香りが漂ってくる。いつも髪を縛っている姿しか見たことがなかったため、下ろした濡髪はなんというか、新鮮だった。
他意はない。
「最後の一文に疚しさが凝縮されているよね?」
「あ、優真君もおったんか! あ、いやあ堪忍な、こんな見苦しい姿で」
そう塚井さんはドアの向こうに素早く、笑って誤魔化しながら隠れてしまう。それに僕は反射的に、
「あ、え、そ、そんなことないですよ!」
なんて言ってしまったばっかりに、
「……へ~」
陀宮さんから刺すような視線を向けられてしまう。
「何がそんなことないの?」
「あ、いや……そのぉ……」
……どういうことだ、この状況は。いや、自業自得というのはなんとなく分かるのだが。それ以外のことは皆無だ。
陀宮さんは一体なぜ不機嫌に……というか怒っているのだろうか。胸だろうか。確かに陀宮さんと比べたら塚井さんの方が大きいが。
「……」
「お先に失礼します」
その無言の圧力に耐えられず、僕はロボットの様に立ち上がるとそそくさと玄関に向かう。これ以上ここにいても墓穴を掘り続けるだけだ。塚井さんの「ま、また明日ね~」という申し訳なさそうな声を背に、僕はドアを閉めて、帰路に就いた。